2012年10月14日日曜日

日曜日の話し(10/14)

ドイツが生んだ巨大な文化人であるゲーテは自らが不惑の齢を迎えてから約20年間、フランス革命という政治的嵐の中で世を過ごすことになった。暮らしていたワイマール大公国がフランス軍に蹂躙された時には、自宅に侵入した仏軍兵が迫り、図らずも生命の危険を感じる経験をしたという。そのゲーテの芸術は古典主義であり、彼が賞賛するのは先ずは古代ギリシア・ローマ文化であり、さらには14世紀から16世紀にかけて特にイタリアで展開されたルネサンスの作品である。

ゲーテと同時代のフランスでは<新古典派>の美術が開花し、ダヴィッド、アングルなどの絵画作品が生まれていたのだが、たとえばエッカーマン『ゲーテとの対話』で彼らの名が登場することはなく、ドイツの同時代の画家に至っては散々な貶しっぷりである。まして前時代に一世を風靡したロココ美術はゲーテの目には一顧の価値もなかったようである。


Fragonard, The Stolen Kiss, 1756-61

ロココ美術の最後の代表者であるフラゴナールは、しかし、ゲーテの一世代前の人物かと思ったがそうではなく17歳の年長、死んだ年も1806年だから26年前、親子の違いとも言えそうだが、実は重なって生きた人である。にもかかわらずゲーテはフラゴナールを一顧だにしていない。というか、フラゴナールは早熟の天才であり、最高の作品は、ブルボン王朝の治世の下、若い頃に描いてしまい、革命勃発後は世から忘れ去られて生きた画家である。

ゲーテと生きた時間を共有した芸術家としては、ほかにスペインの大画家フランシスコ・デ・ゴヤがいる。こちらはゲーテより3歳年上、死んだ年も2、3年先でまさに重なり合っている。しかし、できれば一度でもゲーテと面談がかなっていれば、それはそれは興味深い面会になっていたであろうと思うのは、フランスの女流画家ヴィジェ・ルブランである。フランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットの肖像画を何枚か描いているので非常に有名である。

Madame Vigée Le Brun、Marie Antoinette、1787
Source: The Art of Elisabeth Louise Vigée Le Brun

画家ルブラン夫人は欧州全域で大変な人気であり、招待されるがままに時間を見つけて多くの国を旅行した人である。
Madame Vigée Le Brun、Lord Byron、1802

上の作品は英国のロマン派詩人バイロンであるが、この作品が描かれた1802年にはバイロンはまだケンブリッジ大学にも入る以前でおそらくハロー校在学中であっただろう。

晩年のゲーテの人となりと佇まいを有りのままに伝える『ゲーテとの対話』を読んでいると、彼が真から尊敬した作家・詩人は親友シラーを別格とすれば、シェークスピアと上に描かれているバイロンであることは明瞭である。だから、シラーがまだ存命中であった1802年という時点で、若いバイロンと会い、彼の肖像画を描いたルブラン夫人が、もしゲーテを訪れていたとすれば、二人の間でどのような会話が交わされたことだろうと、小生、非常に想像力を刺激されるのである。夫人は革命後のフランスで隠棲しながら暮らしていたが、1814年にはその隠宅もプロイセン軍に接収されてしまった。その前後にワイマールのゲーテを訪ねていれば、ゲーテは65歳、ルブラン夫人は59歳であったはずである。これは面白い、トーマス・マンでなくてもよいから、作品化してほしいものである。

バイロンは『チャイルド・ハロルドの巡礼』で世に知られるようになったが、最近は多くの人が読む作品ではないのだろうか。昔に比べるとやや下火になっているようだ。やはり流行というものがあるのか、それとも絶版になっているのだろうか店の書棚に並ぶ文庫版を見かけることが減ったためなのか。ただ熱心なバイロン・ファンは現在もいるようで、たとえば土井晩翠の日本語訳をネット上に発見したのはブログ「バイロン詩集」である。


バイロン、チャイルド・ハロルドの巡礼、第2巻から引用

バイロンも詠っているのは「人工の巧」(=人間の作為)は醜悪であり、「自然」(=有りのままの姿)は常に美しいということである。この美意識はゲーテと全く共通しているのだな。

英国の古典派経済学者である ー というより最初の経済学者である ー アダム・スミスが大著『国富論』(Wealth of Nations)を公刊したのは、1776年、ゲーテが27歳の時である。スミスの経済理論の全体を流れている思想は、自由な市場が<自然価格>を形成することにより、社会全体には最も望ましい経済状態がもたらされる。したがって、政府は余計な規制や認可などを行うことをせず、自然のままに経済を運行させることが最良である。そんな考え方が基本である。ま、いまでいう<市場原理主義>の香りがしないでもないが、<有りのまま>が最も良いのだという価値観は、どうやらゲーテ、バイロンとも共通しているし、またジャン・ジャック・ルソーなどフランスの啓蒙思想家とも通じる所がある。市場は人間の欲望を調整する場であるが、人間は自然においては善なる存在である、そんな公理から社会システムをデザインするとすれば、自由市場が最良のあり方であるという結論もモラル的に支持されるという理屈になる。

有りのままの自然な現実は問題に満ちており、優れた人間が矯正しなければ良い状態にはならないのである。こんな思想がいつから世の中に浸透することになったのか?経済学者ケインズは明らかに人間による社会の改良が可能であるという見方をしており、古典的な啓蒙思想とは正反対の立場に立っていたが、たとえばマルクスですらプロレタリア革命は資本主義の自然な発展によって必然的かつ自然な結果として実現されると考えていたと耳にしている。とすれば、いわゆる<裁量的経済政策>の思想的かつ倫理的な土台はいつから、どのようにして多数の信任を得るようになったのか。実は、小生、いま調査中であり、よく分からなくなっているところだ。

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