にもかかわらず、この10年間で学校教育の在り方、法律専門家、会計専門家、医師、看護師、薬剤師などの高度職業教育の在り方をめぐって、色々な改革が講じられてきた。
ところが……
(1)
法科大学院は出たものの、法曹への道は断念-。そんな法科大学院修了者の就職活動を支援する動きが広がっている。新司法試験で不合格となった修了者が一般企業に職を求めても、年齢の高さに対して社会人経験が乏しいため、企業側に敬遠されるケースも多かった。こうした中、修了者の法的知識に着目し、企業への紹介を行う会社が登場。法科大学院側も「就職支援をアピール材料に」と同社と提携を始めた。(滝口亜希)
■ 気がつけば30歳
「学んだことを強みにできるのではないかと法務の仕事を希望したが、面接にさえ進めなかった」と就職活動の厳しさを振り返るのは関西学院大学法科大学院を修了した花(はな)畑(はた)雄(ゆう)さん(31)だ。
新司法試験では法科大学院修了後5年以内に3回の受験が認められているが、花畑さんは平成24年試験までに3度不合格に。いわゆる“三振”となり就職活動を始めた。このときすでに30歳。資格は普通乗用車の運転免許しかなく、就職サイトから応募した5社は全て書類選考で落ちた。
文部科学省によると、17~19年度の修了者約1万1500人のうち5年以内に合格したのは約5900人。ほぼ半分が受験資格を失った計算だ。企業への就職に切り替えても、さらに苦労する例は少なくない。
(出所)http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/619369/
本ブログで何度も話題にしているが、法曹専門家養成の制度改革は一体なんであったのか、と。導入を急いだにせよ、あまりにも多くの見落とし、未検討の問題が残っていたのではないか。身近なことでもあるし、言い募りたいところだ。
(2)
公認会計士試験(国家試験)の受験者が減っている。平成18年度から試験制度が改革され、合格者が大幅に増加したものの、その“受け皿”となる就職先が見つからなかったためだ。25年度の受験者はピークだった22年度の6割程度まで減少。現在、試験合格者の「就職浪人」は少なくなったとはいえ、受験を躊躇(ちゅうちょ)する人は多く、関係者は合格者の質の低下を招きかねないと気をもんでいる。
(中略)■ 発端は金融庁の“失政”
会計士業界で「2009年(平成21年)問題」と呼ばれた試験合格者の就職難。監査法人だけでなく一般企業で働く会計士を増やすため、金融庁が18年度から合格者を増やし始めたのが発端だった。20年度までは、上場企業を対象にガバナンス(企業統治)体制をチェックする内部統制制度への対応で監査法人が会計士の採用を増やしたため、就職は合格者側の「売り手市場」だった。
日本公認会計士協会によると、会員(会計士と会計士補、試験合格者)の数は、12年に約1万6000人だったが、22年に約2万7000人、24年末時点で約3万2000人と順調に増えた。
しかし、内部統制への対応が一巡した21年から状況は一変。20年秋のリーマン・ショックが会計士の需要減少に拍車をかけ、大手監査法人は採用数を前年から3~5割も減らした。不景気で企業の新規上場が激減したうえ、企業の業績悪化により監査報酬の値下がり圧力が強まったためだ。
(出所)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130826-00000503-san-bus_all見込み違いは、裁判所・法務省だけではないということだが、いずれも官庁の裁量によって決定された事である。それが混乱を招いている。
(3)
高学歴プア 東大院卒就職率56%、京大院卒はゴミ収集バイト
学歴は武器、どころか足かせとなった。名だたる大学院を出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが続々と生まれている。そんな高学歴ワーキングプアの実態を『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)の著者である評論家の水月昭道氏がレポートする。
京都大学大学院で博士号を取得したAさん。30代前半で他の大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。生活を維持できないからだ。
大学の非常勤講師は1科目を担当すると月4コマ(1コマ90分)の講義を行なう。報酬の相場は1科目3万円だから、Aさんは月収6万円。生活費に加え、資料代や研究費などの経費まで自己負担するため、アルバイトせざるを得ない。「超高学歴ワーキングプア」といったところだろうか。
(出所)http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/620856/大間違いをおかしたのは、法務省・裁判所、金融庁だけではない。文部科学省の大学院拡充路線も日本国内の現実とかけはなれた空想的な制度改革であって、悪名高い失敗例として確定しつつある。
☆ ☆ ☆
この10年の制度改革の失敗例は、もっと挙げられるがキリがないので止めておく。
確かに明治期においては明らかに、大正・戦前期昭和においてもまだなお、中央官僚の専門的知識と職業能力は一般国民に比べて比較を絶するほどに高かった。そもそも旧制高校から大学を併せて計6年間の高等教育が戦前では通則となっており、当時の進学率を考慮すると、文字通りの選りすぐり(=選良・エリート)が中央官僚を目指していた。前半の高校3年間は人間形成を目的とした教養教育が徹底されていた。寮生活を軸とした友人との切磋琢磨が人格形成、学力形成の土台であったことは、経済学者・森嶋通夫が何より力説していたところだ。
大事な事は、それにもかかわらず、というかそれでもなお戦前期日本の指導層は愚かな開戦を選んでしまったという事実である。組織と規律が崩壊すれば、個々人がいくら優秀であっても、全体としてはバカ同然になってしまう好例であろう。しかし、専門家養成の基本路線は正当なものだったと感じている。それは亡くなった祖父や父から聞いた話しからも憶測できるのである。
現在はどうだろうか。中央官僚の専門的知識水準は、平均的にみて、戦前期とは比較を絶するほどに劣悪である。この点については、わざわざ述べる必要はないと思う。
現在の中央官僚、特にキャリア層は、口では政策の企画立案を担当するといいながら、実は十分な専門的知識を有していないために自らを<事務方>と称し、各種審議会や有識者会議を経ることによって政策立案を行ってきた。しかし、実はそれらの会議は<事務方>が誘導したいと願っている結論を得るための<隠れ蓑>であることが多い。その事務方による考察はと見ると、専門的知見に基づいた高度な提案などではないのだ― 反対に、学者に転出したいとホンネでは思っている役人が、欧米から直輸入された分析ツールを使って、演習のような結論を出す事もあるかと推測する。そもそも審議会とはいえ、最近の「御用学者」は知見では劣り、知見に優れた一流の有識者は自らの仕事に多忙であって、審議に入るにしても一過的である。
……どちらにしても地に足がついた結論が出てくる道理はない。制度改革が失敗するのは当然である。上に三つ上げた制度改革の犠牲者は、日本の中央官僚の学力低下によるものだと思う。
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大体、「消費増税の集中点検会合・有識者60人」は、何の意義があるのだろう。なぜ60人なのだろう?なぜ100人ではないのだろう?なぜ500人ではないのだろうか?多ければ多い程、偏りが小さくなるのではないか。そもそも60人もの有識者に意見を求めなくとも財務省、経産省などの官僚が議論し、合理的な結論は出せないのか?責任を負うのが嫌だから、みんなの意見を聴いているだけではないのか?データを踏まえて学問的な議論を省庁内部で詰めて行くだけの知識、学力がないからじゃあないのか?法学、経済学、都市工学などなど、メシを食う分野においては、学者としても一流でありうる知見が、本来官僚には求められているのではないだろうか?専門外のことも本筋を理解する知力と地頭がいるはずだ。
英首相だったチャーチルは『第二次大戦回顧録』を執筆し、ノーベル文学賞を受賞しているのだ。古典『戦争論(Vom Kriege)』を書いたのはドイツの職業軍人クラウゼヴィッツだ。江戸期の老中・土井利位は雪の結晶を研究して「雪華図説」を著したし、その家老であった鷹見泉石は一流の蘭学者でもあった。鷹見泉石と親交のあった三河・田原藩家老の渡辺華山は画家としても歴史に残り、泉石の肖像画はいまは国宝となって国立博物館に保存されている。近く戦後では元大蔵次官・長沼弘毅氏の翻訳したシャーロック・ホームズを、ずっと昔に愛読していたが、氏は国際的なホームズ愛好者団体である"Sherlockians Club"の会員でもあった― だからといって仕事の方でも超一流であったかどうかまでは熟知してはいないが。そもそも法律専門家として、経済専門家として著名な人物は官僚内部で育ってきているのだろうか。いつの間にか身も心も100%「事務方」になってしまったか。
一体、中央のキャリア官僚はいま何をして、何を目指して、何のために俸給をもらっているのだろうか?