そんな目線で書いておきたい。理研のSTAP騒動が永らく世を騒がせてきたが、再検証でも確認はできず、ようやく収束したようである。
「まず、最初に結論を申し上げさせて頂きます。STAP現象は再現することができませんでした。来年3月までの予定だったが、検証実験を終了することとしました」
(中略)2時間以上にわたる会見を終え、退席しかけた相沢氏は立ち止まり「モニター監視や、立ち会いを置いた小保方さんの検証実験は、科学のやり方でない。そういう実験をしてしまったことに、検証実験の責任者としておわび申し上げるとともに、深く責任を感じている」と謝罪した。
(出所)朝日新聞、2014年12月19日14時04分
別の報道によれば、懲戒処分を検討していた当事者から退職願を受理するのは問題ではないかという主旨の質問まであったそうだ。
ずっと昔、記者レクを聴いていたこともあるので、時々気になっていたのだが、記者会見というのは結局何なのだろうと疑問に思うことがある。会見をする側が伝えたいことを伝える場であるのか。それとも、会見に出席するメディア側が伝えたいことを確認する場であるのか。伝えたくないことはメディア側が食い下がっても話しはしないものだ。無理に聞き出したことを報道しても聞き手の主観的バイアスが混じる分「情報」としては落ちる。また、伝えたいと思うことをその通りに報道してもらうなどは最初から期待するのが無理だろうと思う。ホームページや、その他SNSがあるのだから、当事者の立場からネット経由で伝えていけばいいことである。
最近の情報過剰時代に、小生、「記者会見」とか「記者レク」というのは、一体誰の・誰による・誰のための場であるのか、ちょっと分からなくなっているのだ、な。
ま、どちらにせよ、研究活動というのは知的ベンチャーである。ベンチャービジネスは、概ね、100分の1だと耳にしたこともある。百発一中なら満足せよということなのだろう。ということは、うまく成果を出せなかったにしても、早とちりをしたとしても、反証が第三者から早々に出されたにしても、決して恥ではなく、更に言えば(今回のケースが該当するという意味ではなく)出世欲にかられた欺瞞や、嫉妬や疎外を恨んだ犯罪行為に汚されるとしても、専門的能力はあるがその他は未熟かもしれない人間がすることである以上は、あらゆる醜聞もまた予想しておくべきである。そう思うのだ。当然、使った金の返済を求めるべきではないし、あらゆる失敗のコストは稀な成功で取り返す。失敗した研究者は、逆転ホームランを打たれた投手さながら、淡々と悪びれずに敗者としてその場を退場すればそれで済むことだ。スマートなビジネスというより、ギャンブラーに近い知的な賭博。それが「研究」なのだと思う。
三流の研究者くらいには入っていたいと願う小生はそう感じているし — もちろん、研究というより、確実なビジネスをする感覚で仕事を進める「研究者」もいるし、またいてもよい — もしアカウンタブルな経理とギャンブルはなじまないと思う人がいれば、そもそも知的ベンチャーには最初から手を出すべきではない。時代を切り開くような研究は他の先進国に任せておけばよい。小生、そう考えるのだ、な。『後手の先』という言葉もあるではないか。なにも先頭をきって進む必要はない。たとえばナイロンとか、ペニシリンとか、そういうエポック・メイキングな革新的特許は他国に譲って、我が方は改善とマーケティングとCRMで競争優位を築いてもよいのだ。巨額の創業利益は得られないがリスクがなく安全確実である。こんなこと位は周知のことではあるまいか。
丁度、3割バッターが3打席のうち2打席に凡退しても「打てない」わけではなく、あとの1打席でヒットを打てば「好調を維持していますね」。そう評価されるのと同じである。研究活動の成否は、集計的・統計的に行って初めて意味があるものであり、個別のケースに厳しい目を向けても、世の中がギスギスするだけで、何のプラスにもならない。
マスメディアは確かに有益な情報の流通に大きな役割を果たしているが、取材・検証・発信のコストはゼロではない。小さな事実に大きなコストをかけるのは無駄である。色々あったが敗者の退場を静かに見送る。これで良いのではあるまいか。"Such is life", "Such is scientist's life" である。
別の報道によれば、懲戒処分を検討していた当事者から退職願を受理するのは問題ではないかという主旨の質問まであったそうだ。
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ずっと昔、記者レクを聴いていたこともあるので、時々気になっていたのだが、記者会見というのは結局何なのだろうと疑問に思うことがある。会見をする側が伝えたいことを伝える場であるのか。それとも、会見に出席するメディア側が伝えたいことを確認する場であるのか。伝えたくないことはメディア側が食い下がっても話しはしないものだ。無理に聞き出したことを報道しても聞き手の主観的バイアスが混じる分「情報」としては落ちる。また、伝えたいと思うことをその通りに報道してもらうなどは最初から期待するのが無理だろうと思う。ホームページや、その他SNSがあるのだから、当事者の立場からネット経由で伝えていけばいいことである。
最近の情報過剰時代に、小生、「記者会見」とか「記者レク」というのは、一体誰の・誰による・誰のための場であるのか、ちょっと分からなくなっているのだ、な。
ま、どちらにせよ、研究活動というのは知的ベンチャーである。ベンチャービジネスは、概ね、100分の1だと耳にしたこともある。百発一中なら満足せよということなのだろう。ということは、うまく成果を出せなかったにしても、早とちりをしたとしても、反証が第三者から早々に出されたにしても、決して恥ではなく、更に言えば(今回のケースが該当するという意味ではなく)出世欲にかられた欺瞞や、嫉妬や疎外を恨んだ犯罪行為に汚されるとしても、専門的能力はあるがその他は未熟かもしれない人間がすることである以上は、あらゆる醜聞もまた予想しておくべきである。そう思うのだ。当然、使った金の返済を求めるべきではないし、あらゆる失敗のコストは稀な成功で取り返す。失敗した研究者は、逆転ホームランを打たれた投手さながら、淡々と悪びれずに敗者としてその場を退場すればそれで済むことだ。スマートなビジネスというより、ギャンブラーに近い知的な賭博。それが「研究」なのだと思う。
三流の研究者くらいには入っていたいと願う小生はそう感じているし — もちろん、研究というより、確実なビジネスをする感覚で仕事を進める「研究者」もいるし、またいてもよい — もしアカウンタブルな経理とギャンブルはなじまないと思う人がいれば、そもそも知的ベンチャーには最初から手を出すべきではない。時代を切り開くような研究は他の先進国に任せておけばよい。小生、そう考えるのだ、な。『後手の先』という言葉もあるではないか。なにも先頭をきって進む必要はない。たとえばナイロンとか、ペニシリンとか、そういうエポック・メイキングな革新的特許は他国に譲って、我が方は改善とマーケティングとCRMで競争優位を築いてもよいのだ。巨額の創業利益は得られないがリスクがなく安全確実である。こんなこと位は周知のことではあるまいか。
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マスメディアは確かに有益な情報の流通に大きな役割を果たしているが、取材・検証・発信のコストはゼロではない。小さな事実に大きなコストをかけるのは無駄である。色々あったが敗者の退場を静かに見送る。これで良いのではあるまいか。"Such is life", "Such is scientist's life" である。
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