要点は次の文章だ。ここは愚息も焦点をあてることができていた。
それ故、最高裁が展開しているロジックは、一つの経済政策であり、極めて政治的である。
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小生: お前が判事の立場に立って考えるんだぞ。上の指摘は論理的に正当か?
愚息: 確かに正当だね。人数に比例して定数配分をすると、農村地域は少なくならざるを得ないから、政治的には弱者になる。
小生: そこからどんな批判が予想される?
愚息: ええっと … …
小生: 経済政策を実行する権限はどこにある。
愚息: 裁判所にはないよね。
小生: 行政府。というより、政治の基本方針は国会が立法によって決めるものだ。憲法に明らかに違反していない限りね。だから、裁判所が(事実上)特定の政治的立場を支持するのは司法権を逸脱する。こんな批判はありうるな。じゃあな、いまのこの批判を反批判してみな。論理的にだよ。
愚息: そもそも国会議員は選挙区の代表ではないんじゃないかな…
小生: 相手の論理、相手が拠って立つ根本前提を使って、相手にとって都合の悪いもう一つの結論を導き出すんだよ。
愚息: ・・・・・・・
小生: 職業選択の自由は憲法で保障されている。そうだな?
愚息: うん。
小生: ところがBではなく、Aという職業を選ぶと、最初から政治的に発言力が弱い立場に置かれてしまう。これは不適切ではないか。それを裁判所が主張するのは問題じゃないか。それが判決批判の本質ではないかい?
愚息: そうだね。
小生: だとすると、反批判は簡単だぞ。「あなたの言うとおりだとすると、こんな結論も導かれますよ」とな、そういう議論をすればいいんだよ。
愚息: う~ん、思いつかない
小生: 現在は、農村地域に住んでいる100人は、大都市に住んでいる100人より、多くの国会議員を選ぶことができている。これは、農村地域に暮らしている人は政治的に強い発言力をもっている。そうなるよな。そもそも居住、移動は自由であるとされている。であるのに、大都市に移動すると政治的に不平等な立場に置かれてしまう・・・
愚息: 現在の定数配分に問題はない。そう判断するとしても、やっぱり特定の政治的立場を支持することになってしまう。こうかな・・・・・・
小生: そうだね。選ぶ職業によって政治的強弱が決まってしまうのが不適切だというなら、選ぶ住所によって政治的強弱が決まってしまう現在の状態も不適切と言えるでしょう、と。そうなる。
愚息: 確かに批判を封じることができるね。
小生: 相手の拠って立つ大前提から別のもう一つの結論をだしてきて矛盾に追い込む。それによって相手の大前提そのものを否定する。こんな論証の仕方を「背理法」とも言うね。
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もちろん議論は、ここでは終わらない。
議員定数配分をどうするかは、どんな結論を出しても、必ず特定の一つの政治的立場に立たざるを得ない。これが要点なのだ。
だとすれば、議員定数配分について違憲訴訟に直面する裁判所は何に基づいて判断すればいいのか?それは、当然、憲法の文言しかない。
憲法の理念である「法の前の平等」というのは、具体的に「どのような時の、どのような平等」のことを言っているのか?この問いかけである。(いずれにせよ)一つの特定の政治的立場に裁判所が立つことを、憲法が要請しているのだとすれば、それはどんな立場に立てと言う要請なのか?その問いかけである。
中々に興味深い、ハイレベルの議論が展開できると思う。しかしながら、小生、個人的には喧々諤々の議論をするよりは、国政を基礎づける選挙の定数配分くらいは、憲法でその理念を書いておくべきだ。そう思っているのだ。
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