小生の愚息も20台後半となり、いつ相手を紹介してくるか分からない状態であるのだが、そもそもどうやって素敵な相手と巡り合うのか。その仕掛けが現代日本では極端になくなってきた。そんな感覚もあるのだ、な。
小生はいわゆる<お見合い>であるが、色々と紛糾したので<お見合い:亜種L型>とでも形容されるパターンだ。当時としてはもう少数例になっていましたな。圧倒的多数は<職場結婚>である。職場結婚も大別して人事課による<職場:亜種A型>、先輩や友人が紹介する<職場:亜種B型>の二つがあった。そしてもう一つの大分類が<運命型>というか<恋愛型>。小生が出席した披露宴は、大体がこれらによって網羅されていた。ところが、これらのパターンを支えていた社会的・慣習的基盤が、この20年で致命的に突き崩されてきた。「失われた20年」は日本経済の話しであるばかりでなく、社会システムという意味でも「失われた20年」だったと思うのだ。
大学の卒業生組織の収益事業として「婚活支援」をする。これは一つの方法だと…、先日そんな話をした。親しい大学同士、縁を深めたい企業サークルとも共同できそうだ。当然、サービスは有料である。パーティや食事会、観楓会、観桜会等々、いろんなイベントを企画できそうである……、というか、もうどこかの同窓生組織はやっている。そう予想する。
今度、高校女子バレーで三冠王となった金蘭会高校は、その昔、大阪高等女学校(現・大手前高校)同窓会である「金蘭会」が設立した女学校が継承されてきたのだという。大学の同窓会にはその位の力があると思う。
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もう一つ。「うまく行くのかなあ」という話は日本のサッカーだ。
一体、日本がサッカー強国になる日はやってくるのだろうか。長くやっていても、中々、強くなれない。もっと人気のあるスポーツ種目がその国にはある、そんな国は数多くあるのを忘れちゃあいけない。その国の国民は他の種目を好む。こういう論点はずっとあり続けると思うのだ。
メキシコ五輪で日本サッカーは銅メダルを獲得した。名選手・釜本や杉山がいたからでもあるのだろうが、組織・戦術も良かったのだと思う。戦術とチーム、選手がピタリとマッチした。そう言えるのじゃないか。
確かその時の指導者は、ドイツから来たクラマー氏、『日本サッカーの父』と敬称される人物だ。
元来、日本人とドイツ人は国民性や完璧を求める性癖、組織への忠誠など多くの点で共通性があると指摘されている。組織的攻撃、組織的防御を重んじるドイツサッカーが日本人に順応したのは、猛練習もあったのだろうが、分かりやすい、親しみやすい、感覚に合った。そんな側面もあったような気がする。
嫌いなものは、いくら合理的に説明されても、やっぱり嫌いなものだ。原・資本主義が今でも多くの日本人に好かれていないのは、儲けを楽天的に肯定するその感覚がどうにも嫌らしく感じられてしまうからだ。
小生、サッカーは全くの素人でおしゃべりするしか能がないのだが、それでもドイツのサッカーを見ているといかにも合理的でドイツ的だと感じるくらいはできる。そして、その戦術を成り立たせている要因の一つに、まず大きな体格がある。
日本人はその感性からいってドイツ的サッカーと親和性があるのだろうが、やっぱり体格面で実行には限界があるのだろう。それで、必ずしも体格が大きくなく、日本人とどちこちない南米で展開されているサッカーに目を向けるようになっているのだろう。
そんな話をしたのだな。
しかし、だとすると、体格的にはバランスがとれるものの日本人にはどうだろう。これが話のポイントだった。
チームと個人との関係 ➡ 個々人の感性 ➡ どう振る舞うのがよいとされるのか会社組織でも致命的に勘所になる上の点である。その時、その選手にひらめいた直観にしたがって、予想外の飛び出しをする。それをみて瞬時に理解した選手がサポートして追随する。味方にも突然の行動は、相手にとってはもっと予想外だ。サッカーの攻撃力は、こんな要素がないといけないのじゃないか。こんな所がサッカーの面白さの本質じゃないか。南米やスペイン、ポルトガルといったチームはそんな感性が本当にマッチしているように思うのだがどうだろう。そして、そんな感性で振る舞うことは、日本的な美学とは少し違っているような気がするのだがどうだろう。
だとすると、W杯優勝を特に戦略的目標にせずともよいではないか。自分の感性にあったプレーをすればよい。感性に合ったプレーを磨く限り、個のレベルにおいて、日本サッカーは一流の人材を世界に輩出できる。そんな期待もあると思うのだね。
小生、意外と中国はサッカーという競技で求められる感性をすんなりと自分のものにして、あっという間に変幻自在の攻撃を得意とするサッカー強国に生まれ変わるような予感がしてならないのだ。何せ中国は杓子定規なA型人間ではなく、予想ができない行動を旨とする長嶋型B型人間の大集団であるのだから。決して悪口ではないが、キチっとしていない、そこがプラスに働く可能性は大いにある。そう思っているのだな。
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