この冬は天気予報を語ることが多い。こんな年は初めてだが、話題にせざるをえない不満を感じているからこそ、ブログにも書いてしまうのだと思う。
今冬は暖冬になるという長期予報が出ていたことは知っている。そして、暖地では既に桜が平年よりも早く開花するなど、やはり暖冬であったとも言われている。しかし、これを以て『長期予報のとおりだったね』という気持ちにはとてもならないのだ、な。
小生が居住している北海道道央地方も吹雪が過ぎればプラス気温の日が続いているので、「暖冬」と言えば「暖冬」だ。とはいうものの、先日も月参りに見えた寺のご隠居が『1月は4回も吹雪いた。それも単なる吹雪じゃない』と除雪の大変さをぼやいていた。いま現時点で積雪量がこれまでの最高値を更新している地点はこの付近にも多いのだ—小生が暮らしている町は一昨年の冬、その前にも毎日深々と静かに雪が降り続けた年もあったから積雪記録更新はないだろう。
「気温」が概ね正確に予測できたから良い予報であったとは言えないだろう。なぜなら雪国の住民にとって、平均気温が3度程度上下しても、それだけで大変なわけではない—もちろん産業活動では相応の対応措置を講じる必要はあるし、そのための経費もかかるだろうが。ドカ雪と暴風雪、急な気温上昇による雪崩の発生をこそ心配しているのだね。雪のあとに雨が降るような正月は20年余り前に当地に移住してから初めて経験する正月だった。
こんな冬は、ズバリ初めてである。確かに「平均気温」は高いのでーそれは実感できるー「暖冬」ではあるが、気温以外の次元については実に厳しい冬であり、まだ1月であるにもかかわらず、大量で滑りやすい除雪に疲弊している。そんな感覚なのだ。
天気予報は気温予報ではないと思うがどうだろう。予報の精度向上のためには大変な努力が費やされているとは思うが、情報の評価は、良いか悪いかを出し手が決めるプロダクトアウト型ではなく、聞き手が使えるかどうかを決めるマーケットイン型で為されるべきものである。
この点は、天気予報ばかりではなく、経済予測、防災情報などあらゆる予測情報サービスについて言えることである。
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