仕事部屋で書き物をしていると廊下を奇声を発しながら仲間数人とつばえながら(方言ではないと思うので使ったが)ドヤドヤと駈け去っていく。そうかと思うと、踵の高いサンダルをはいてカツカツという音を響かせながら、笑い合いながら通り過ぎていく女子学生たち・・・、こんな風景は少なくとも小生が学生時代にはありえませんでしたなあ、こう言うとすれば小生が齢をとったためだろう。
確かに喧嘩の仕方をしらないとか、一度仲違いをしたら仲直りの機会を見つけることも出来ない等々、若い世代特有に見られる人間関係形成の未熟さが指摘されることもある。う〜ん成る程ねえ、小生もどちらかと言えば「おしゃべりよりは観察、人間よりは自然が好きだがなあ」と。そう感じるが、これだけ頻繁に言われるのだから、一面の真実は含まれている。確かに最近の若年世代は幼稚化している。これは事実なのだろう。
しかし、幼稚化しているのは若年世代だけではない。これまた事実だと思う。大体、TVのワイドショーに出てくる各界の中高年。何と若いことよと画面を通していながらもわかる。オジサン、オバサン達が同世代の仲間達とはしゃぎ回る姿は、小生の亡くなった両親と同国人であるとはとても思われないのだな。自動車の運転ぶりを見てみたまえ。アッと驚くとんでもない暴走や追い越しをしかけているのは、しばしばシルバーグレーの往年の名ドライバーと思われる御仁である。やはり戦争を知らない世代は幼稚化するのかねと。そう思ったりもすることは多い。
しかし、世間では今のオジサン、オバサンが幼稚化しているとは言わない。それは「論評権」なるものを中高年の社内幹部が独占しているからだと思われる。
おそらく若者が起業した会社が成長するに伴って、今後は幼稚化しつつある中高年という批評が広まり、バランスがとれていくだろう。
若者達の幼稚化を心配するなら、日本社会全体の幼稚化がプラスなのか、マイナスなのかを考察するべきである、な。
いまも報道ステーションで第二次大戦末期に日本陸軍がおかした大失敗「インパール作戦」の話しをしていた。もちろん現政権の安保政策を批判しているわけだ。しかし、70年前の歴史的事実に目を向けるなら、同じ時代に源を発する日韓歴史問題も同じレベルの重みで受け取らないといけない。原爆投下についてその是非を考えないといけない。色々な問題が続々と出てくる。本気だろうか。覚悟はあるのだろうか。
ことの一面だけをみて自分の言いたいことをいうのは、ある意味「幼稚」かもねえ……。
と、ここまで書いてきたが、それでは「幼稚化」とは本質的にどんなことを指す言葉なのか。人間のどのような側面がどうであれば、その人は幼稚なのか?どうであれば幼稚ではなく、老成しているというのか。幼稚とは困った性癖なのか。なぜ困るのか。どう困るのか。
こちらの方が面白い問題だろう。
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