特に、安倍総理が習近平・中国国家主席と本年4月22日に訪問先のインドネシアで会談をしたことは相当の衝撃であったらしく、その後、4月29日に(昭和天皇の誕生日という日程からも右翼政治家・安倍首相の情念をみてとれるが)米国議会で演説をしたところ、毀誉褒貶があるもののマアマアの反応を得て、韓国内で外交戦略失敗を批判する声が高まっていると伝えられている。
近年の韓国外交は全方位バランス外交を展開する中で、歴史問題で日本を批判し、日本の外堀を埋めることによって、日本が苦境に陥った時点で交渉上の優位を形成する。ここに目的があったものと憶測される。
首脳会談を一貫して拒否してきたが、今後ずっと拒否するのではなく、対日優位が確証された時点で会談を行うという戦略であったに違いない。
いわば対日間接アプローチ戦略であったと言える。それが功を奏しなかったのは何故かという疑問が出てきているわけである。
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やはり韓国一国で―中国の支援があったにせよ―日韓という二国間の紛糾事案を人権という次元で問題提起し、国際的理解を拡大させるのは高すぎるハードルであった。というのは、どこの国にも多数の人権を蹂躙してきたという過去は、当の韓国、そして中国も含めて、存在するからである。
だとすれば、現実には二国間の事案であるのだから、主張したいことは首脳レベルの議案にし、発言し、主張することが重要であったろう。
首脳会談が激しく紛糾し、劇場化すれば、韓国の基本戦略はあるいは成功していたかもしれないのである。
誠者、天之道也、思誠者、人之道也。 至誠而不動者、未之有也。 不誠、未有能動者也。(出所)孟子「離婁上」
誠は天の道なり。至誠にして動かざる者はいまだこれあらざるなり。韓国は吉田松陰という人間に唾棄したい感情を抱くだろうが、松陰が何度も口にしていた言葉は孟子である。
韓国は日本側から首脳会談を断らせる。日本がそうせざるをえない状況を作るべきであったし、韓国の経済的国力が日本に及ばないとしても、また対米影響力が日本に及ばないとしても、そんな状況をつくれる可能性は少なからずあったと思う。
従軍慰安婦という事案は、つつけばつつくほど不誠実や作為性が混じっていると思うが、基本は本筋をついた人権に沿った問題提起であるだけに、韓国のために少々残念、というか「あたら勝てる試合を負けにした」行為を惜しむ気持ちになってしまうのだ、な。
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