一部を引用するだけでも結構面白い。
一方、学業優先を旗印にする文部科学省や大学からは今回の経団連の判断に疑心を募らせている。馳浩文科相は27日の記者会見で、「これまでの経緯があって1つのラインができたのに朝令暮改はいかがなものか」と批判した。文科省としては、今年の就活を検証すべく大学側に調査をしているただなかにある。同省の事務方も「正式には何も聞いていなかった。6月といえば学期中のまっただなかだ。学生のことを本当に配慮した上でいってくれているのか」と嘆く。
早稲田大学キャリアセンターの担当者は、「少なくとも本学には事前の擦り合わせなどなかった。このように外堀を埋めて既成事実化していくようなやり方に不信感を覚える」と、憤りを隠せない。いくつかのキャリアセンターでは今年、例年以上に出席率の悪い4年生に対するクレームが教授陣から相次いだという。6月は学期のさなかだ。「前期に授業をするな、といっているようなものだ。企業からは、学生はどうせ勉強なんてしていないと思われているのだろう」と悔しそうだ。(出所)日本経済新聞、2015年10月29日
小生も学部の授業を担当することがあるが、前期開講科目の場合、四年生(もしくは過年度生)の欠席の扱いには本当にいつも困らされる。
学則、というか建前としては『三分の一を越える授業を欠席したものは評価対象外とする』わけだから、多くの四年生は就活期間中に授業を履修しても、本来は出席数が足りないという理由だけで単位は修得できないはずである。
出席数に加えて、授業では小テストやレポート提出もある。小テストを受けなければ(本来は)ゼロ点でなければならない。ところが、四年生はそんな時に欠席届を提出し、欠席理由を「就職活動」としている。大学当局からは、なるべく四年生に不利益が及ばないよう特段の配慮を求める連絡をしている大学が多いのではなかろうか。
小生は今ではビジネススクールで授業をやっているが、ちょっとした統計の初歩すら忘れている比較的年齢の若い学生が案外多くいることに驚く時がある。テーマを問わず、初歩的理解を欠いていれば読書を通じた自己啓発も不可能であり、実践的研修も上滑りで身にはつかないまま終わるに違いない。これでは知的能力において日本人ビジネスマンは外国人に勝てない、というより知的劣位におかれてしまう。外国語も苦手であるのに、更に知的水準で劣ってしまえば何とするのだ、いまのような時代に。「地頭(ジアタマ)」だけで、常に何とかなるわけでもあるまい。
確かに日本の大学は国際化も不十分であるし、日本人学生は消極的であるし、授業のレベルもアメリカのアイビーリーグに比べれば知的レベルが劣っているかもしれない。ではあるものの、毎回の授業に出て、真面目にテキストを熟読して勉強しさえすれば、相当の学力には到達可能である。その程度の教育はしていると100%の自信をもって言えるのだ、な。
そもそも大学の勉強は武道と似たようなものだ。頭脳を酷使すること自体に目的がある。ビジネス業務に直接に役立つものではない。水辺にいるにもかかわらず水はまずいと飲まないだけである。
そして、情報をあつめ何かを探しているうちに四年生になる。頭脳は肥満体ならぬ回転の悪い肥満型頭脳になっている。避けるべきパターンである。
現実は、大学生の就職先である民間企業が大学での勉強にそもそも期待していないのであるが、実は大きな矛盾があることに企業の側が気づいていない。ここが最もこわいところなのだ。だってそうでしょう。日本の大学の教育水準に不安を感じると言っているのは企業の方であると同時に、なぜ大学生の多くが低学力のまま卒業しているかといえば、低学力にするような就活システムを続けているのだ。そんな風にシステムは動いている。
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日本の大学と大学生の水準は、カネをかけずに上げることが可能だ。その方法は、就活を理由とする欠席を大学側が容認しない。これだけでよい。
もう少し敷衍したほうがいいか……。
要するに、4年間真面目に大学生に勉強してもらう。これに尽きる。それは、成績評価を厳格にするだけで達成できるであろう。真の意味合いで成績を「成績」としてつけるだけで、日本の大学は大学らしくなるはずだ。これが最終兵器だ。妥協なき「成績厳格化」(副作用として、卒業所要単位を修得できず、授業料負担ない最長在学期間の制約から除籍になる学生が増加するであろう)は、まず確実に、日本の大学をあるべき状態に誘導するためのバズーカ砲になるはずだ。
そんな「蛮行」を敢えてすれば、就活をしながら単位を修得できる四年生はいなくなるだろう。故に、三年までに卒業所要単位をとり終えられるよう一生懸命に勉強すればよい。というより、「卒業論文」をまとめるよう厳格に指導すれば、講義を1科目もとらなくとも就活と勉強を両立させることは至難のことになるだろう。
それでもよいのではないか。というか、(本来は)そうあるべきであり、これが単にアメリカの事情にとどまらず、広く国際標準にそった当たり前の大学生活であると思われるのだ、な。
日本の大学が様々に批判されているのは、標準的な学生生活を大学生に求めていないことによる。ここを修正するだけで、かなりの程度まで日本の大学は復活するはずである。
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大学生は3月に卒業してから就職活動をすればよい。
カネがない?カネの問題は必ず解決策がある。
たとえば、奨学金を卒業後一定期間内であれば支給できるようにすればよい。学生支援機構にとっても損なビジネスではないはずだ。そして入社は10月とすればよい。いずれにしても半年程度は新入社員研修があるのだ。
システム変更前後の端境期には多少のゴタゴタはあるだろうが、一度定着すれば毎年のルーティンになるはずだ。
カネをかけずして、より良質の大学生がリクルートできるとすれば、日本の民間企業にとっても得なはずである。