2015年10月11日日曜日

愚息の急な帰郷

札幌で友人の結婚式があるとかで、いま新潟にいる下の愚息が昨晩拙宅に帰ってきた。

話しを聞くと小生の教育が過剰だったようであり、いまMacAllanの15年を飲んでいるという。MacAllanか…、ちょっと贅沢じゃないかねえ。そう思ってもいたのだが、15年ってあったかなあ?12年は家にもある。その上は…、シェリーオークだと18年だね。ファインオークでも17年である。15年はないぞな。なになに17年で1万円。シェリーオークの18年になると2万2千円か。結構高うござるなあ。まったく高コスト体質にはまりこんでおるのか。それにしても15年ってないぞな。愚息の勘違いか…。

そんなことであったので、今回は厳しく対応しておいた。

小生: 人生を生きていくうえで、これが大事だと言うのを挙げてみな。 
下の愚息: う~ん、友人かな。 
小生: そりゃ、材料だろ。友人をつくるのが人生の目的じゃないだろが。 
下の愚息: だとすると、仕事。 
小生: いいかい。大事なことは三つある。一つは『仕事のミスをしない』、二つは『家族をもち、大切にして、次の世代をしっかりと育てること』、三つ目は『これらが自分のやりたいことであるようにしておけ』だ。 
カミさん: 最後のは分かりにくいね。 
小生: 60歳という年齢になってから、20歳の原点に一度たち戻って、同じ状況にたったときには、やっぱりその後は同じように生きていたはずだ。後悔はない。もし完全にそうなら、それが自分のやりたいことだった。そう言えるだろ。なら満点ってわけさ。満点じゃないなら、どこかで後悔している。悔いが残る。幸福には影がある。 
カミさん: 難しいと思うけどね。 
小生: 豊かになりたいなら、そのための戦略がある。楽しくありたいなら、そのための計画を立てられる。しかし、上の三つのいずれかで落第すれば、決して幸福にはなれないのさ。
そう…、三番目の条件はとても難しい。人が幸福になるのはとても難しい。だから、人は楽しいことを求める。豊かさを求める。それは幸福の代わりなのだ。

今朝はスマートフォンの充電器を忘れてきたというので、高速バス停留所まで送っていきがてら、途中でセブンイレブンによったら『売っていた』といって店内から出てきた。ヤレヤレ、しまらねえなあ…。それにしても、宅を出る少し前、『おまえ、風呂敷は持っているか』ときくと、勤務先にあるという。しかし、来年からはマイ風呂敷がいりそうだという。『じゃあ、俺が使ってきたのを見てみるか』ときく。『これ持って行っていい?』という。まあ、いいだろう。丹後縮緬で織った上品な利休でいい物だ。恩師に縁のある懐かしいものだが、小生の仕事机の抽斗の中でずっとクスぶっているよりは、倅の職場で使わせた方が風呂敷冥利というものだろう。早速自分の鞄に入れて持って行ってしまった。

小生はもう使わぬ。
風呂敷も さげ渡す代ぞ 木の実落つ 
昼まで秋晴れであったが、夕方にかけて強風が吹く。

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