2017年5月7日日曜日

メモ: これって現代の「統帥権干犯」論ではないか

先日、安倍首相が2020年改憲方針を提唱するや、いわゆる護憲派が猛反発しているそうである。

反対自体はその通りだと思うが、その理由の中に気になる、というか面白いものがある。

曰く
安倍総理は憲法改正については国会の熟議に任せると言ったはずだ。そもそも首相が憲法改正を提唱するのは筋が違う。
確かに、憲法改正は立法行為というより、国会が発議し、国民投票で決着するものであるから、行政府の長である総理大臣が提唱するのは筋が違うと言えば、違うのだろう。

ただ、どうなのだろうなあ?

自衛隊が違憲とされる余地を残している現状は、行政を担う長からみれば最大の問題点の一つだと考えても、それほど奇妙には感じられないのだが。

また、議員内閣制である以上は議員の1人として、また政権与党の総裁として、発議に向けて一言あるとしても、それほどおかしなことをしたわけではない(と感じる)。

むしろ、『内閣はこの件に口をはさむ権利はない、違憲である』と意見表明を封殺するかのような護憲派の言い分は、『内閣が軍事の問題に口を挟むのは統帥権干犯である』という言い分とそれほど大きな違いはないと思う。

もしもある1人の国会議員が憲法改正に関する自己の見解を新聞や雑誌に発表して、それが世論に影響を与えれば、『国会は国会として発議する権限があるだけであり、憲法改正は国民が決める。発議してもないのに、一議員の立場で具体的な案を提唱するのは筋が違う』と、そんな『口を出すな』という風な言い方を護憲派はするのではないかと推測する。

誰でも憲法については意見を表明する権利はある。「口を挟むな」と言うのは戦前期の軍部が発明した「統帥権干犯」の発想に通じるものがある。

デモクラシーとは、結局のところは、50%以上の日本人がよしとする方向を国として認めるという原理だ。政治はこの原理に沿って、そのプロセスの中で発生してくる色々な問題を解決していく活動である。

政治家が(政党が)議論をして、勝敗がつけば、勝った側の志が通る。数で勝った結果にせよ、デモクラシーとはそもそもそういうものではないだろうか。その昔、勤務していた役所の大臣が言ったことが理解できず、反発した自分を思い出す。

曰く
理にかなった政策を提案したとして、それが理由で選挙に負けたとすれば、有権者の方が正しいんだ。たとえ理にかなった政策であっても、それは実行してはいけないんだ。
反発した自分が間違っておった。今ではそう考えるようになった。まあ「成長」したのだろう。

戦前期の「神聖なる玉座」のように、多数の勢いを防ぐ防壁のようなものは、今の日本にはないのである。あるのは、日本国民の意識だけである。




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