2017年5月17日水曜日

原資は「税金」だからというフレーズの裏の意味合い

上のフレーズはよく聞く言葉だ。何か不祥事があるとメディアもよく使っている。江戸時代のご印籠と同じ力をもつ。

「公人」たる者、常に「天知る、地知る、我知る、人知る」を忘れてはならない。

なるほどよく分かる言葉だ。

ネットを見ていると、次のような下りがある。先ごろ不適切な言動が原因で経済産業政務官を辞めた某二世政治家のことだ。

▲▲氏の不祥事を縷々紹介したのは、ゲスな話に興味があるわけではない。中川氏は政務官辞任後に開かれた4月18日、21日、28日、5月9日、11日の衆院本会議を全て欠席している。議員の務めを放棄したわけだ。衆院議員の歳費は、期末手当や文書通信交通滞在費を含め年間約3200万円にのぼる。もちろん原資は税金だ。中川氏は議員の仕事をしていない。これでは税金泥棒と言われても仕方あるまい。

(出所)産経新聞、5月14日(Yahoo!ニュースより)

確かに男女の交際は「個人の自由」だが、議員の活動に影響があったとすれば、税金の無駄になる。理屈は分かる。

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しかし、上の論法に沿っていけば色々な話になっていくのではないか。

たとえば義務教育には税金が投入されている。

授業中にやかましく私語をして、授業を妨害する行為は税金で運営している業務を妨害する行為、つまり公務執行妨害である、と。

そもそも「ズル休み」を認める親の行為も税金の無駄にあたる。というより、教育を受けさせる義務があるという憲法の規定に違反している。

あるいは、引退後のサラリーマンは年金生活に入る。過去の積立金も原資だが、基礎年金には税金が投入されている。高齢者は、原則、税金からお金をもらっている。税金を使う人を「公人」だというなら、高齢者はすべて公人だ。然るに、暴力や暴言を抑えられない高齢者が増えている。トラブルメーカーになることも多い。自動車保険料も上がった。何ということであろう、税金のお世話になりながらその資格を疑わせる行為をする老人がいるとは。

まだある。国立大学の学生には税金が投入されている(国立大学ほどではないが私立大学にも助成金が入っている)。ところが某国立大学医学部在籍者が凶悪な事件をひき起こしても「税金泥棒」という非難はされていない。が、明らかに税金泥棒にあたるだろう。

これらの反社会的行動にはより厳しい姿勢で接するべきだ、すぐにこんな話しになるのではないか。

・・・実に、器の小さい、コセコセした言葉だと日頃から思っている。

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「原資は税金」という点が、それほど重要なのであれば、より多くの税金を納めた国民はより多くの貢献を日本国にしていることになるのではないか。

より多くの貢献をしているのであれば、より多くの権利を持っても不思議はないのではないか。

投票権だって納めた税金額に比例するようにしたほうが良いのではないか。理屈が通るのではないか。実際、株式会社はそうしている。税金を納めていないのであれば、参政権もなくて仕方がないのではないか。そもそも多額納税者が真っ先に参政権を得たのだ。

カネに話しを戻すなら、必ず上のような話になる。格調が低いことおびただしい。

非課税証明の対象になっている人は、「原資は税金だから」という言葉を(自称)ジャーナリストから聞くたびに、肩身の狭い思いをしなければならないということか・・・。いやいや、税金を一切納めていない人はいない。消費税は必ず納めているはずだから。しかしねえ・・・。

どちらにしても、よく聞く「これも税金なんですから」という表現、実にデリカシーのない言い方だと思う。

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払った税金の金額によらず全ての日本人が参政権をもつという普通選挙。大正時代にそれを可能にしたのは徴兵制度だと思われる。つまりすべての日本人に兵役の義務があったからだ。カネよりは命。命をかけて国を守る義務を引き受けている以上、税金は関係ないだろう、と。そういうことである。

ただ、上の議論はあくまで戦前期の日本に通用した話しだ。だから、カネを納めているという次元に話が戻る。カネの話しに戻るなら、払っている金額が最も大事になるのじゃないか。

たとえ議員の報酬がゼロであり、税金などは投入せず、議員活動がボランティアであるとしても選挙で選ばれ、有権者の信頼を受けている以上は、信頼を裏切らないことが信義というものだ。こんな議論をすれば格調が高くなるというものだ。戦前であれば「承詔必勤」。報酬をもらっているからやれという思想はそこにはなかった。

まあ、もちろん上の考え方にも副作用はある。信義、つまり自分を支持してくれた人たちの方を向き、その信頼に報いる、その人たちのためにこそ行動する。・・・いけないだろうか?

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