ひょっとすると、それは可能かもしれない。
では、終身国家主席が終着駅かといえば、息子(娘がいるそうだから、娘婿、それとも娘本人)が後継者として同じ地位を世襲することが認められるかどうかも夢になりうるだろう。
もしそうなれば、中国は別の国となる。国名を変更するだろうし、名実ともに新たな王朝国家として復活することになるわけだが、ひょっとすると実はこうなるのが"China Dream"かもしれない。
思うのだが、こうなったとしても必然的に非民主主義国家であるとは、小生どうしても思われないのだ。
戦前期・日本は天皇が国家元首であった。しかし、天皇が自分で決められる事柄はほとんどなかったのだ。軍国主義は、庶民出身の職業軍人集団が天皇を(文字通り)「神聖化≒傀儡化」することで実現された。成立の背景をみれば、日本の軍国主義がデモクラシーに反するものとは言えないだろう。軍国主義イコール国民総動員なのだから。
その事情は江戸時代の将軍も同じだったろう。江戸時代の各藩には殿様がいたが、殿様がやりたいことをできていたとはとても思われない。家老だって事情は同じだろう。
非民主主義的国家が必ず非民主的に運営されるとは限らない。そこには(いるはずの)独裁者もいないし、(いるはずの)権力者もいないかもしれない。収奪によって黒字のはずの財政は赤字で破綻しているかもしれない。支配されているはずの国民に多額の債務を負っているかもしれない。権力は形式だけにとどまっているかもしれないのだ。
逆に、民主主義的に法制化された国家で、権力が集中する状況も頻繁にやってくる。特に普通選挙で選ばれた政治家は正当性をもつ。強権的な税制改革を実行しうるのは、独裁者もそうだが、同じことは国民から支持されている民主的政治家もできる。同じことができるなら、独裁者と強力な民主的政治家でどこが違うのだろう。
★ ★ ★
ピケティの『21世紀の資本』は確かに面白い経済書だ。そもそも所得分配論は経済学の中で地味で人気のない分野だった。その面白さの大半は、確かに$r > g$が(理屈はともかく)歴史的に成り立ってきた。この点にあって、実はそれ以外にはないとも言えるのだが、具体的に記述されている事実は文句なく面白い。結論しているのは、結局『不平等は続く可能性が高い』ということと、国際的資本課税が必要だという2点に過ぎないのだが、地味なテーマでここまで読ませる筆力は侮れないものがある。
とはいうものの、内容本位で言えば、ピケティの師匠にあたるアトキンソン(Anthony Atkinson)による『21世紀の不平等』がはるかに充実している。この本の第1部は、歴史的事実でピケティを補足しているような所があるが、確かに「読ませる力」は弟子のピケティに軍配があがる。が、白眉は第2部だ。特に第6章の『資本の共有』は、経済政策に関心があるなら<必読>に値する。
アトキンソンが当たり前のように淡々と指摘しているように、ロボットは誰が所有するか。これが今後将来の最大の経済問題になるのは確実だ。人工知能の知的財産権、ビッグデータの著作権(?)・・・、すべて扱いは同じである。21世紀の不平等は、21世紀の所有権の再設計へと至らざるを得ない。それを正面から提案している。財産権の不可侵が近代市民社会の土台だとすれば、時代は大きな曲がり角にさしかかろうとしている。この歴史的洞察力には凄みがある。
以前の投稿でも書いたが、ロボットが人間のやるべき仕事を全て奪ってしまったとする。ロボットの管理もロボットが担当するとする。その時、人間は雇用されることはなくなる。もしロボットが資本財であれば、資本分配率は100パーセントになる理屈だ。
もしロボットで代替する方が生産性があがるのであれば、そうした方が社会は豊かになり、人間はより多くの余暇を楽しむことができる。故に、そうした方がよい。しかし、分配問題をその前に解決する必要がある。このような社会では、資本に帰属する(はずの)営業余剰をいかに分配するかが、その時の最大の政治問題にもなるはずだ。新しい所有権と新しい受益権、新しい決定権を議論する必要がある。
アトキンソンが提案するように、全ての国民に成年定額資本受給権を認めることで問題が解決できるのかどうか、小生には定かではないが。
いずれにせよ、こんな時代が本当にくるとすれば、いわゆるAmerican Dreamは歴史的役割を終え、文字通り一つの時代が終わることになるのだろう。
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