2017年6月9日金曜日

これはお薦め: モリ・カケ騒動に関連して

今年の新春から初夏にかけては、文字通り『モリとカケ』でドタバタ、ドタバタという感じで時間だけが過ぎていった。その間には、トランプ政権による北朝鮮軍事行動の現実味が高まり、この時ばかりは「それどころではない」というのだろうか、どのマスメディアも米海軍の空母派遣と北朝鮮の徹底抗戦ばかりを報道していた。夏にかけて、モリが終わって、カケの話ばかりが話されるようになったのは、トランプ政権のロシア疑惑や大統領自身の司法妨害疑惑が高まり、アメリカの方がそれどころではなくなった、それとともに北朝鮮危機がピークアウトし、これに合わせる形で「平和が戻ってきたので、また例の話をしましょうか」と。まあそんなノリなのであろう。つまり、世界情勢をみながら、『いまはこの話をしてもいいよね』という感覚が最初から露見しているので、甚だ迫力がなく、視聴率や販売部数を目当てにしたメディア企業の営業である側面が容易に見て取れるところが卑しいといえば大変卑しいのだが、残念ながらフォローするのも大変面白いのが事実だ。

とにかく多くの立場から、当事者である文科省、愛媛県側も含めて、意見や見解が既に多く報道されてきている。あとは、一人一人がどう思うかで、今後の方向性が決まってくるのだろうが、これは知性的で賢明な見方だという記事を見つけたので、メモしておく:

「忖度」、そして「政治主導」

著者は元テレビキャスターで今は教育界で仕事をしている畑恵氏だ(出所:HUFFPOST、2017年6月6日)― ハフィントンポスト自体が朝日新聞と親密な関係にあるようなので、どちらかといえば上の記事内容も反政権側に寄っている傾向が窺われるのだが、ロジックの通った良質の見解だと思う。

ただ、畑恵氏の意見の最大の骨子は「政策決定の透明性」という点にあるのだと思う。確かに政策決定は透明であり、決定までのプロセスは全て公開されることが望ましい。これが基本であると小生も同感だが、では『全ての政策決定は公開するべきである』と問われれば、それはその政策が追及している「戦略的目的」による。こう言わざるを得ない。

すべて政策は、足元の状況を改善するためのものか、長い時間尺度の下で効果を期待する戦略的なものなのかという区別がある。政策を公開するべきかという点についても、公開するべきだという民主主義的要請がある一方で、いやしくも政策であればそれを成功させる必要があり、そのためにはコミットメントを公表するか、その時点では秘匿するべきか。こうした戦略面からの要請もあると考えるのがロジックである―この点に関連して以前に投稿したことがある。

内部情報の詳細は知らないが、規制緩和・市場自由化に対する反対勢力が強固なことは、福島原発事故で東電という大企業が弱体化したことで、初めて電力自由化が経済産業省によって加速されてきた事実からもうかがい知ることができる。電力以外にも医療や教育、さらには各種専門的サービス業などには多くの規制がある。規制はすべて「正しくて意義のあるルール」であったはずだ。これらの規制を緩和しようというのが、ここ20年、というより30年を超えて一貫して努力されてきた戦略である。ある意味では、規制緩和とは規制死守を求める勢力と緩和しようとする勢力との政治的戦争である。このような現実の中で、「〇〇の方向で決定しようと提案いたしますが、皆さん、いかがでしょうか?」といった伝統的意思決定方式が機能するかどうか。このような方式ではダメであるという認識から「政治主導」、「官邸のリーダーシップ」が強調された、というのが日本の近過去である。小生はそう記憶しているのだが、そうではなかったか。

今回の「騒動」は安倍首相が憲法記念日にビデオで公表した具体的改憲提案をきっかけに、それまでのゴシップ的スキャンダルから行政現場に生まれている思想的対立劇までもが垣間見えるようなドラマへ移行し、いつのまにか筋書きのない劇の幕が上がっている。そんな風な見方もひょっとするとありうるのか?そう感じる今日この頃なのだ、な。

実はこれらの背後には、自民党を構成する歴史的古層。つまり旧・自由党と旧・民主党の間にある活断層、さらに旧・自由党の中にもある保守本流と保守傍流の間にある活断層がいまもある、与党の深層にはマグマが流れこみ熱圧が高まりつつある、そういう政治的エネルギーの作用がひょっとしたらあるのかもしれない。そんな印象も何となくある・・・。

一層面白くなってきた。そうみている所だ。


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