2017年6月28日水曜日

メモ: 行政における政治家の役割(?)と内閣人事局

またまた稲田防衛省の失言が世を騒がせている・・・これで何度目なのかねえ?靖国神社には皆勤賞ものだそうだし。選挙ではお力をいただきたく自衛隊からもお願いします(この通りの言葉ではなかったかも、念のため)とは、まさかね。

まこと現政権の首相は女難の相があるのだろうか、ますます剣呑になってきている。一度お祓いでもしてもらった方がいいのじゃないか。他人事なら心配になる今日この頃であります。

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政治主導とは何なのだろう?

教科書通りに考えてみようか。

簡単に言えば、法律を制定し、国の予算を決める国会が、行政府に優越するという単純な原則だ。まさに憲法で規定されている通りだ。もちろんこの理念は、陸海軍の意向に国全体が引き摺り回された反省にたっている。

武力をもった自衛隊を含め、どの官庁も行政府がそれ自体の意志をもって活動しようとしても、国会は立法府としていつでもその省庁設置法を撤廃して廃止することすらできる。行政府は国会の決めた法律に従わねばならず、国会は行政の要請を(不適切だと判断すれば)きく必要はない。

その国会は、すべて普通選挙によって選ばれる議員から構成される。それだけではなく、国会議員から首相が選出され、その首相が内閣を編成する。ここまでやれば、選挙とは無縁の官僚が暴走したくても、絶対にできない。そんな制度になっている。

戦前の帝国議会は、陸海軍の軍事予算を認める権限はあったが、大臣は現役の軍人であり、その活動は(元帥は天皇であるにせよ)ほぼ自ら決めることができた。戦前の制度と戦後日本の制度がここまで異なる以上、問題が発生するとすれば、違う問題になることは当たり前だ。同じ轍をふむ可能性は、法制上、ないと言うべきだろう。


法律(及び法律に基づくその他政令・省令・告示など)は、全ての国民に対して均しく適用される。しかし、国会は一部の集団から利益を奪い、別の集団に利益を配分することも可能だ。そんな制度を国会で定めればできるわけであり、こんなことまでできるのは、議員が普通選挙で選ばれるからだ。故に、たとえ公平でないと思われる改革が行われるとしても、国会がそれを決めるのであれば、そのような不公平は受け入れる。これが民主主義社会が自己変革するときの基本ロジックだ。政治とはこういうものを指す言葉である。

行政府は、国会の立法意志を実行するための実働部隊である。事後的な結果としては、行政府の公務員は常に与党の側の意志を実行する。だから社会の多数派の利益の側に立って行動する。個々の公務員は政治的意志を持ってはならない。国会議員を中心とする内閣の命令によって行動しなければならない。内閣に従っている限り、国会の意志を実行していることを意味し、個々の官僚はニュートラルであり、不偏不党であり、行政機関が政治的に活動することにはならない。

これは統治の論理として確かにトリッキーなところだ。

とはいえ、こう考えると政治家が政治家であるのは国会議員としてであり、内閣の一員として大臣の椅子に座っている時ではない。

まあ、教科書的にいえば、日本の国の形はこうなっている。

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文科省前次官が何度もいう『行政がゆがめられた』という非難の言葉は、多分、上のような筋道からだろう。

政治は国会の場において行われるべきものであって、内閣や一部官庁において政治的なことがらが行われていくべきではない。行政は無私であるべきなのだ・・・

ウ〜ム、昔はこういうことを語る先輩がいたような気がする。

もちろん、いまやっていることは極めて政治的なのであるが、もう役人は辞めたしね、というわけなのだろう。

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本当は、政治的色彩を持たざるを得ない案件は、行政府の裁量に委ねるのではなく、国会が最終判断に一枚噛んでおくことが必要なのだろう。政治的案件については、国会の承認が必要だと決めておけば、なんの問題もないわけだ。そもそも多数派が与党になっているのだから。与党の中の少数派のみが利益を誘導しようとしても、国会はそれを承認するはずはないのだから。

政治と行政は明確に線を引くべきだ、と。こういうことかもしれない。内閣は政治の執行部で、政治は国会という場で行う。これが戦後日本の国の形なのだろう。

上級官僚の人事は、内閣官房に人事局が設けられ、内閣が決定できることになった。それは縦割り官庁の弊害を避け、政治のスムーズな実行に必要だとされたからだ。しかし、官庁が政治の意図通りに行動しないのであれば、行動するように規則を密に定めればよい。進捗を報告させればよいだけの話だ。国会にはそれができる。

もしもマイナス面が大きいなら、内閣が人事統制を行う先験的ロジックはない。何しろ国会は内閣総理大臣も指名しているのだ。上級官僚の人事を了承したって奇妙でないだろう。行政府が人事原案を提出する必要はあるだろうが、国会が人事原案を検証し、承認する権利をもつほうが、ひょっとすると文字通りの「政治主導」になるとともに、むしろこの方が官僚の士気は上がるのかもしれない ― 両院で承認するのか、衆参のどちらか適当な院で承認するかの判断は別にあるだろうが。

こうしておけば、誰の利益にも奉仕しない無私であるべき官僚の活動は、すべて国権の最高機関である国会が制御、いや担保できることになる。これは、総理や大臣に頭を下げる官僚たちにも有難い仕組みだろうし、本来の筋でもあると感じるのだが。

ひょっとすると現在の内閣人事局は、完成途上で中途半端な仕組みであるのかもしれない。



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