2017年12月3日日曜日

失言防止のための特効薬?

小生の弟はいわき市在住だ。時々彼の地を訪れることがある。中通りをとおる東北自動車道の白河IC近くには『これよりみちのく』の標識があると聞くが、浜通りの勿来駅には「吹く風を勿来の関と思へども道もせにちる山桜かな」と詠んだ源義家の碑が建っている。みちのくとはいえ、北海道に比べれば福島県浜通りは大変暖かである。

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「もらってる賠償金、結構、大きいんだよね。大変なことは分かっているんだけどネ、でもね、大変なことはこの辺の人も同じなんだよネ。家、壊れた人も多いし。それでも働かなくちゃやっていけないんだけどサ、何もしないでカネもらってサ。感じわる〜って、雰囲気、確かにあるんだよネ」。そんな事を言ってたなあ・・・。と、思っていると、今朝のワイドショーの一コマでも同じ言葉を見かけた。ああ、事情は変わってないんだなあと思った次第。

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先日投稿したのはハラスメントについてだったが、いわゆる「失言」、「放言」。社会的に影響力のある政治家やいわゆる「保守派」が口にする言葉が、あまりにも乱暴で、弱者に対するいたわりの気持ちを欠くようになっている。これは何故だろうという疑問がテーマになっていた。

まあ、確かに乱暴な言葉づかいは最近増えている。小生も、ずっと前、もう10年ほども前になるだろうか、北海道に移住してきてからだ。高速バスの車中でのんびりと週刊誌を広げて読んでいると、隣席に座っている初老の男性が小声で『殺すぞ』とささやく。「エッ?誰に言っているの?」と思いながら、隣をみると、小生の方を険しい目でじっと睨んでいる。「俺に言ったのか? 気でも狂ってるのか、こいつは?」と思いつつ睨み返して、雑誌を閉じ、相手がいつ手を出してきても応戦できるように心構えをした・・・、ま、何もなかったが。やがてその男性は降車する時に小生を睨みながら降りていった。「一体、なんなんだ、あいつは」と思ったものだ。形容できないほど不愉快だった。首都圏の殺人的な満員電車の中でもあんなきつい言葉は使われてはなかった。足を踏んだり踏まれたり、体ごともたれかかったり、もたれかかられたり、倒したり倒されたりであったが、それでもみんな黙々と乗っていた。

小生は気がつかなったが、週刊誌を広げて読んでいたので、多分その男性の眼前を塞ぐようになっていたのだろうなあ、と思いついたのは、しばらく経ってからのことだ。かの男性はそのことに腹がたったのかもしれない。そういえば、その男性は座る時に「失礼します」と、随分へり下って着席してきたものだ。自分は礼を尽くしているのに、目の前に雑誌のページを広げて、シカトして読み続けるとは何事か、殺してやろうか、と。で、爆発したのだろう。

そこまで乱暴な言葉を直接的に投げつけられたことはなかったので、世の中が変わりつつある事を実感した。そのときは霞ヶ関周辺の地下鉄ですでにサリン事件が発生していた。世間は変わりつつある、とにかくそんな気持ちになった。

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こんな世の中だから特に政治家たるもの、礼を守って発言すればいいと思うのだが、言葉というのは<料理の味付け>にもにて、一度辛口に振れ出すと、辛味・嫌味をスパイスのように混ぜなければ、逆に大人しすぎる、上品ぶっている、と。そんなマイナス評価にもなってしまうのがジレンマになる。その辺の事情も感覚としてよく分かるのだな。

だから<失言防止特効薬>が必要だ。失言防止というより、失言による災難予防策というほうがよいか。

アフリカをさして「なんであんな黒いのが好きなのか」ではなくて、

なんであんな黒いのが好きなのか・・・ト、思ウ人ハイマセンカ?コレ問題デスヨネ。
何もしないで賠償金でノウノウと暮らしている・・・ト、思ウ人ハイマセンカ?コレ問題デスヨネ。

代名詞「これ」は何をさすのか?どうとでも解釈できる日本語の曖昧さ、非論理性がここにもある。ま、悪意に解釈されれば「それはゲスの勘ぐり」だと言い返せるでしょう。

世の中全体の言葉の好みが辛口になってくると、語るのも辛口、批判も辛口になる。ちょっとした失言、言葉が滑ったにすぎない場合も「政治家失格」、「死ね」などという極端な評価になる。「死ね」と言われて、本当に死んだりすると「言った奴は殺人犯」などとなって<炎上>する。

「死ね」って思ウ人ハイマセンカ?コレ問題デスヨネ。

<辛口時代>には特効薬をもっておいたほうがいい。「気狂いのような時代」には身を守る手段がないといけない、と思う人はいませんか? これ問題ですよね。

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