2017年12月10日日曜日

日本人の税負担感は日本的なのか?

来年度税制改正では個人に対する増税が相次ぐという報道が盛んである。

タバコ税は紙巻き、加熱両方で税率の公平を確保するため、特に加熱式たばこの価格上昇が大きくなる模様だ。日本を出国する人、日本を訪れる外国人には国際観光旅客税が導入される。一人千円で航空券発券時に徴収するらしい。更に、森林環境税はこれまた一人千円だが、こちらは個人住民税に上乗せして徴収する。

観光税のほうは出入国管理の強化などに充て、森林税は林道や森林管理に使う。そう説明されているが、100%使途を限った目的税であるのかどうか、ハッキリとはしない。

ハッキリしないとはいえ、どの税目も100億円から500億円という程度の増収で消費税率2%アップと比べれば桁が違う。

増税といっても桁が違うためなのかどうか、マスメディアは全くその是非を論評していない。まあ、反対しにくいという情緒もあるのだろう。

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欧州では付加価値税率20%は当たり前であり、スウェーデン、ノルウェー、デンマークのような25%の国もある(資料はMOF作成のこれ)。しかし、税率の高い国の国民の幸福度は低いというデータがあるわけではなく、国連が発表している幸福度ランキングではノルウェー、デンマークが1、2位を占めている。付加価値税率の高い国の幸福度が高くなっている。

概して欧州の税制は付加価値税が主たる一般財源になっている。取引のたびに課税されるので税から逃げられないが、食品等には軽減税率が採用されている。税制としては単純である。ただ、徴収された歳入が何に使われるのかとなると、目的税とは違って、使途は見えにくい。それでも幸福なのだから、政府をよほど信頼しているか、政府が信頼できないならばそれは小さい政府で民間部門が充実しているか、このいずれかという理屈だ。ノルウェーやデンマークの政府は大きな政府であり、後者の可能性は当てはまらない。ということは、国民が政府を信頼していることになる。色々な媒体から実際にそのとおりであるという印象がある。幸福度ランキングの順位はやや下がるが、スウェーデンも似たような事情だろう。

日本では小さな目的税は通りやすいが、大きな消費税は大問題になる。痛税感があるためだが、たかだか消費税率10%で負担感に耐えられないというのは奇妙である。

どちらかと言えば、日本国民は自己主張が激しくなく、政府の指示には嫌々ながらも従う傾向がある。一度決まった事柄、規則はよく守る。欧州では25%の付加価値税率があるのに・・・である。

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・・・政府予算に国民の税収が占める割合は概ね3分の2、長期債務の対GDP比率は168%であるから、政府の行政においては、国債購入という形で資金を提供している有産階級(?)が相当貢献しているという実情がある。つまり、現在の日本政府は、「国民が」という原則は認められるものの、一部の「有産階級」が少なからず費用を負担して貢献している(というか、して来た)。

貢献あるところに権利あり

このメカニズムは時代を問わず機能してきた。

江戸時代において、借金まみれになった藩は主君である殿よりも資金を提供した上方商人に頭を下げなければならなかった。よく似ている。

カネを負担しなくとも「いざという危機」においては軍役について奉仕するのであれば、資金を提供している階級の影響力は限定的だ。が、負担する何物もないのであれば、影響力どころか、発言してもネグられる。不満が爆発して時々暴れるが、せいぜいが同情される、社会問題として指摘される、それだけになる。

負担なければ権利なし

このメカニズムも歴史を通してずっと一貫して働いてきた。カネも力も負担しない階級は福沢諭吉が『学問のすすめ』第三編でそう呼んだ「客分=お客さん」にならざるを得ない。頼りは日本国憲法あるばかり、だ。そんな状況になる。

「お客さん」に組織運営の負担を求めても、嫌がるだけであろう。

要するに、みんなで負担してみんなで相談してみんなで幸福になるか。誰かが負担して指導層になり、他の人々は面倒をみてもらう、その代わりに危ないこと、大事なことには参画しない。ジッシツ、選べるのはどちらかである。そんな浮世の現実が改めて確認できるわけである。

日本は、まだ後者の国家形態に移行したとは思われぬが、このまま放っていくと、実質的にそう成り行く可能性はある。もしそうなら明治維新前の古い日本に戻ることになる。

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年金保険料は使途が明確だから支払う。医療保険料は自分にも必要だ。だから支払う。森林税は使途が明確であり、金額も年間千円だから、まあ、認める。観光税も目的がハッキリしているし、現に自分も旅行しているので、支払う。

しかし、一般財源は何に使うかハッキリしないので、消費税も所得税も払いたくない。「痛税感」とはこういうものだろう。

日本人の幸福度ランキングは世界で51位、OECDでは最下位である。米英独仏は10〜30位前後、シンガポール、タイも同程度だから、日本の51位というのは先進国の中では際立って低い。

その根底には
政府が信頼されていない。
真の意味で信頼していない政府から増税されようとしている。 
という、そんな現実がある(かもしれない)。

つまりは、国民の願望に沿った政治が(本当は)行われていないという現実があるのではないか。

その背景には、「自分たちが支えている政府である」という精神的一体感を持っていない。そんな事情があるかもしれない。であれば、少額でもいいから(例えば)人頭税を導入して納税者感覚をすべての人に持ってもらうのが政府との一体感の形成には有効かもしれない。たとえば格差拡大への怒りが政治的エネルギーの高まりとなるには<負担の平等>に裏付けられた倫理的な正当性が要るだろう。この方向のずっと向こうには、いうまでもない、<軍役の義務=徴兵制>という名の負担の平等がある。

戦前期・日本で華族や富裕層、地主層が最終的に政治的影響力を失ったのは、兵役の義務を全うする兵士達は庶民にとっては非官僚的な人間集団であって、その兵士達を統率する軍部に対して庶民は既存の指導層とは別の親近感・清涼感を感じた。この点はよく指摘されていることである。古代ギリシア、共和制ローマとも共通しているが、いざとなれば自分達自らが国を守るという制度は、福沢諭吉も大いに評価した国の形なのである。

しかし、多分、話は逆なのだろう。そもそも現在の政府サービス自体に共感をもてない、こちらが先なのだろう。政府がまったく信頼できない、だから使途がハッキリしない税は支払いたくない。そんな因果関係かもしれない。だとすれば、人頭税などとんでもない話である — この場合、信頼されていないのは政府ばかりでなく、予算を議決する国会もまた信頼されていないということだ。

まあ、いずれにせよ確かに現在の日本国の費用負担状況を見ると、国民が支えている国であるとは言えないヨネ。これが現実だ。

更にまた、その根底をみると、日米関係の現実につきあたる(かもしれない)。自分たちで自国の将来を決められない。結局、ここに戻るのではないかネエ・・と。与党だけではなく、野党もまた、基本的には現行レジームのまま政権につきたいと。「そうではないんですかい?」と言いたい人も多いはずだ。

国民の幸福度は、その国の経済力で決まるわけではなく、自国の将来を国民がどの程度まで主体的に決められているか。いわば、その国の政治水準。経済水準とは別の政治水準もまた国民の幸福度の重要な決定要因であると。改めてそう思えてくる。





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