ローマが登場するより以前、古代ギリシア世界は元来は小さな都市国家の集まりだった。民主的なアテネは集まりの中の一つに過ぎなかった。スパルタには王がいたが、専制的な権力はもっていなかった。ギリシア世界は多数の都市が相互に平等な立場でつくる連邦世界だった。ところが巨大なペルシア帝国に勝利し、エーゲ海、地中海の覇権を握るようになると内部対立が激化し、ペロポネソス戦争が勃発した。民主政治は衆愚政治へと堕落した。結局、ギリシア世界は北辺にあるマケドニアによって軍事的に統合された。アレクサンドロスが王として統率したギリシアは宿敵ペルシアを打倒して、宏大なヘレニズム世界を作った。ギリシア人とギリシア語は東地中海世界でグローバル化した。
戦前期・日本が軍部独裁へ舵を切ったのは、第一次世界大戦後の激変する世界の中で日本が「植民地帝国」を志向し始めたとき、解決するべき外交問題、国内問題に直面したときだった。
***
周期的に到来する<激動期>にあっては、しばしば民主的体制が放棄される。権力が少数の(一人の)人間に集中化される。しかも、その政治体制の変革は国民の自発的意思によることがある。その理由は、その時期に解決するべきであった問題の解決に効率的であったからだ(と思う)。
解決するべき問題を社会が抱えているとき、民主主義体制が最も理性的かつ合理的にその問題を解決できる保証は必ずしもない。この点は既に論理的に証明されている(アローの不可能性定理)。しかし、一人の人間が一貫して意思決定するなら、(ある意味で)合理的な解決を期待できる余地が生まれる。
上の問題について復習したいと思っているのだが、時間がとれるかどうかわからない。Deep Learningと伝統的な時系列分析との本質的な違いも洗い直しておきたいし。
***
人間の社会は常に解決するべき問題をかかえている。社会は常に問題解決を迫られている。
というより「生きる」という行為は「問題を解決する」という行為と同じである。衣・食・住をどうするか。このことが既に問題解決の一つだ。
問題を解決するにはコストがかかる。故に、<コスト最小化原理>に従って社会は意思決定をするはずだ。これを環境適応のための集合知であると見れば、人間社会も自然史の一部であると考えればいいことになる。もし人間社会のありかたが民主主義社会から君主専制社会に変容するとしても、これまた合理的な理由に根拠づけられているはずだ。善悪ではない。正しいとか、間違っているとかではない。
社会が変容していくプロセスに正邪、善悪という倫理的な価値を適用するのは適切ではない。社会の変容に関する研究では観察と分析と予測だけが意味をもつ。
先入観は禁物である。信念は単なる思い込みであることが多い。人間個人個人に当てはめる価値観を、ヒトは社会に対しても当てはめるという誤りをおかすことが多い(本当は掘り下げて述べておくべき所だが今日は省略)。
0 件のコメント:
コメントを投稿