前回投稿は舌足らずであったかもしれない。
宗教意識の違いがその人の行動規範やその国の社会類型を大きく決めていくという点については、マックス・ウェーバー以来、相当大きな研究蓄積が既にある。なので、オウム真理教事件についても、今後、宗教社会学の観点から刺激的な分析が進められていくに違いないと、そう予想している。
ホロコーストや自爆テロ、人種差別等々、現在の地球においてなおも沈静化どころか激化しつつある現象は、その多くが宗教起源の問題である。
補足したいのは、一神教と多神教のもたらす違いである。
仏教は釈迦如来が普遍的に信仰の対象になっているかといえばそうではない。浄土信仰は阿弥陀信仰であるし、その脇には観音菩薩や勢至菩薩、地蔵菩薩がひかえている。真言宗になると大日如来を信仰の対象とする(ようだ)。仏像・仏画も阿弥陀三尊を描いているものもあれば、百済観音、廬舎那仏を表現しているものもある。非常に多様であり、キリスト教の世界とはかなり異なる様相になっている。それでも、戦国末期の一向宗門徒(=現代の浄土真宗)のように厭離穢土(=現世否定)が刷り込まれ、欣求浄土(=阿弥陀崇拝)が支配的な意識になれば体制破壊的な行動を繰り返すエネルギーとなる。
その信仰の現世否定は、カネや権力への執着をたちきり人格を高潔にする動機になるが、同時に常識を軽蔑し、法の支配を敵視する動機にもなりうるのだ。そして矛盾する多くの神々がいる宗教世界よりも唯一の神の僕となる一神教において行動はより純粋化するはずだ。
神々の世界においても独裁的色彩と民主的色彩と。その違いで人間行動の違いがもたらされているようだ。
以上、素人的な仮説。というより、多分、専門家にとっては初歩的命題にすぎない。そんな気もする。
さらに飛躍した仮説:
太平洋戦争中、日本海軍と米海軍とで制空権重視という戦略革新では共通点があったものの、山本五十六長官率いる日本海軍はなおも戦艦や巡洋艦を主力決戦に向けて温存する傾向が目立ち、他方アメリカ海軍の方は空母を中心にした輪形陣をしき、それが対空砲火をより濃密にし、日本に対する戦術的優位を築く大きな要素となった。この違いの理由として、日本海軍の側にあった戦略思想「漸減邀撃作戦」(攻撃する米海軍を潜水艦で漸減し最後に日本近海で決戦に持ち込む発想)が山本長官の意識にあった。そんな見方があるのを知った(例えば別宮暖郎『帝国海軍の勝利と滅亡』)。「作戦思想」というのは、軍だけではなく現在の民間企業や官庁にもあるのだが、一度それが形成され、浸透し、組織が継続すると、その発想を完全に自分の脳内から払拭するのは難しい。思想はどこか宗教に似ているものだ。そう思ったりもするのだな。とすれば、宗教や信仰にとどまらず広く思想や理念についても、それらが体制破壊的なエネルギーに転化する可能性をつみ、創造的破壊(=イノベーション)に結びつく動機へと誘導する「やり方」(としか言葉を思いつかない)をとることが社会にとっても企業にとっても最重要なことだろう。「破壊」と「創造的破壊」とをどう識別するのかという根本的問題をとりあげずして、こんなことをいうのは可笑しいのだが。
それにしても、このような認識はマルクス的な観点とは真逆である。小生、マルクスの下部構造論には基本的に賛成しているので、自分の中で整合をとる必要もある。
2018年7月30日月曜日
2018年7月28日土曜日
悪を正義にできるのが宗教である
まだ役所で小役人をやっていた時分、グレアム=グリーン全集の中の『スタンブール特急』(最初にイはつかない)を読んでいた。読んでいるうちに夏に向かって仕事が極めて忙しくなり、完読することができなかった。それを思い出して、今度は読んでしまうかと探してみると、Kindle版も用意されていることがわかった。
迷っているうちに『ヒューマン・ファクター』の方を買ってしまった。
巻末の解説が面白い。
面白いのは巻末の解説ばかりではない。巻頭の箴言もまた面白い。
日本人が狂気にかられた最近の事例は仏教ではなく神道のほうだろう ― 一向宗門徒の勢力は幸いにして徳川政権が二つの派閥に分断してくれた。
神道も二大派閥に分けていれば、幕末の尊王攘夷思想があれほど盛り上がることはなかったかもしれない。明治政府の天皇神格化もうまくは運ばなかったろう。
靖国神社問題で今もなお苦労しているが、これも宗教問題の一種だ。
どれも現在の日本政府、日本人には極めて苦手な科目であるのは間違いない。
オウムの麻原彰晃は公判から服役中にかけて、結局、一言も弁明や自白をしなかった。語らないままに世を去ったが、それは殉教者として神になる意志がそうさせたのだろう。しゃべればしゃべる程、人は人になり、俗物である事実が露見するものだ。それを避けるくらいの思案は誰もが思いつく。沈黙こそ金なのである。人によっては麻原一人だけを処刑して、弟子は処刑するべきではなかったという意見を述べる人もいる。が、もしそうしていれば確実に神格化されることになっていただろう。俗にいえば、教祖の『思うつぼ』であったろう。日本政府は、あくまでもテロリスト集団のドンと定義し、実行犯ともども刑を執行する。そんな議論をしたものと推測されるのだ、な。しかし、吉と出るか凶と出るかは、分からない。
宗教に立ち向かうとき、現代の日本人は極めてナイーブ、というか無自覚的である。対外的にはその危険性に対して知識が乏しく無防備で危うさがある。社会心理的には宗教問題に免疫がなく、日本社会をとりまく環境変化によっては急速な浸透、変動がありうる。大いに危惧される。
迷っているうちに『ヒューマン・ファクター』の方を買ってしまった。
巻末の解説が面白い。
シェルデンは右の伝記で、『・・・神の愛と存在に触れたいがために、悪に手をそめる信者は数多い。悪に対する高揚した意識を宗教が作り出すことができることに感じる魅力を、グリーンは決して秘密にしなかった』といい、『神や愛ではなく、堕地獄や憎悪こそが、彼の関心を掻き立て、宗教的な熱意に対して彼が抱く感覚を明確にするものであった』とも言っている。・・・カトリックの作家たちはよりキリスト教の核心にふれるべく悪をテーマにした罪深い物語を作る。それは遠藤周作やグリーンも例外ではない。グリーンの作品のほとんどはスパイ活動が舞台になっている。そこには宗教的心理が常に絡んでいるのだ。
面白いのは巻末の解説ばかりではない。巻頭の箴言もまた面白い。
きずなを結ぶ者は必ず敗れる。巻末と言い、巻頭と言い、現代日本人の反感を集めそうな人間観がここにある。さすがはシニカルなリアリストが多い英国人である。 モームも好きな作家だが、グリーンも命のやり取りをする舞台に身を置いた。さすがは植民地帝国をつくり、苦労してきた国の国民だ。善だ、悪だ、謝罪だ、反省だなどを大真面目に論じることはしない。現実と経験があるのみである。現実と経験を検証し、自分で考える態度だけが意味をもつ。
その者の魂には堕落の病巣が巣くっている。(ジョーゼフ・コンラッド)
日本人が狂気にかられた最近の事例は仏教ではなく神道のほうだろう ― 一向宗門徒の勢力は幸いにして徳川政権が二つの派閥に分断してくれた。
神道も二大派閥に分けていれば、幕末の尊王攘夷思想があれほど盛り上がることはなかったかもしれない。明治政府の天皇神格化もうまくは運ばなかったろう。
靖国神社問題で今もなお苦労しているが、これも宗教問題の一種だ。
どれも現在の日本政府、日本人には極めて苦手な科目であるのは間違いない。
オウムの麻原彰晃は公判から服役中にかけて、結局、一言も弁明や自白をしなかった。語らないままに世を去ったが、それは殉教者として神になる意志がそうさせたのだろう。しゃべればしゃべる程、人は人になり、俗物である事実が露見するものだ。それを避けるくらいの思案は誰もが思いつく。沈黙こそ金なのである。人によっては麻原一人だけを処刑して、弟子は処刑するべきではなかったという意見を述べる人もいる。が、もしそうしていれば確実に神格化されることになっていただろう。俗にいえば、教祖の『思うつぼ』であったろう。日本政府は、あくまでもテロリスト集団のドンと定義し、実行犯ともども刑を執行する。そんな議論をしたものと推測されるのだ、な。しかし、吉と出るか凶と出るかは、分からない。
宗教に立ち向かうとき、現代の日本人は極めてナイーブ、というか無自覚的である。対外的にはその危険性に対して知識が乏しく無防備で危うさがある。社会心理的には宗教問題に免疫がなく、日本社会をとりまく環境変化によっては急速な浸透、変動がありうる。大いに危惧される。
2018年7月23日月曜日
支持率ゼロの政党であるはずがないが・・・
前原・元民進党代表と小池百合子都知事が合作した希望の党が空しくも戦いに散り、所属議員たちは、嗚呼情ケナヤ、憐れむべき落ち武者となりはてた感がある。
こんな記事がネットにはある。「文春オンライン」で7月26日号となっている:
こんな記事がネットにはある。「文春オンライン」で7月26日号となっている:
「国民民主党」が結成されてから2カ月。各社の世論調査で支持率は軒並みゼロパーセント台と惨憺たる状況だ。絶望的な党勢を何とかすべく、9月上旬に代表選挙を実施する。URL: http://bunshun.jp/articles/-/8198
(中略)
「現在、参院の野党第一会派は1人差で国民民主ですが、来夏の参院選で改選の長浜博行元環境相は今国会後に離党、立憲入りが確実視されている。そうなると立憲が衆参ともに最大野党会派になる。皆の本音は『参院選で生き残るには支持率ゼロの党にはいられない』。代表選後は結果を口実にするなどして、年末までに益々離党者が相次ぐでしょう」(野党担当記者)
前倒し代表選は、国民民主党の「終わりの始まり」か。
支持率ゼロでは「終わりの始まり」かもしれないねえ・・・しかしながら、政治の理論的必然性という観点から政党としての存在が正当化されるのは、支持率10%の立憲民主党の方ではなく、支持率ゼロの国民民主党であると小生は考えているのだ、な。
***
国内政治構造の基本的なとらえ方だが、前の投稿で述べた見方に変更はない。何度でも確認しておこう。
日本も戦前期には二大政党制が機能していた ― 最終的には1920年代後半の内憂外患を解決できず軍部に主導権を奪われてしまったわけではあるが。なので、国民性として二大政党制に不向きであるというわけではない。
(中略) 左翼への警戒心は現代日本社会ではもう既に非現実的である。マルクス経済学を真面目に勉強する若者は「青春の迷い」でこそあれ、政治経済理論としてはもう期待できないだろう。にも拘わらず、真実保守と保守リベラルが同じ政党に同居している。
(中略) 一つ言えるとすれば、「日本共産党」と連携した左翼勢力が実質ゼロにまで衰退するとすれば、その時には保守が二つに分かれるであろう。そう予測する。そこが定常状態であろう。出所: 本ブログ、2018年7月3日
このところ、自民一強の状況が進み、野党はすべて支持率を落としている。この現象は、健全な二大政党時代の到来には夢をもてる好い兆候であると思いつつ見ている。
つまり、現在の自民党は1955年に保守系二大政党が大同合併してできた「保守系デパート」のような政党だ。以来、日本の政情は「55年体制」と呼ばれてきた。政権を保守勢力で独占するために(≒共産革命を阻止するために?)全ての政治メニューをそろえている。「大きな政府=大きな財政」を志向する政治家も「小さな政府=小さな財政」を主張する政治家もいる。その時々の風の吹くまま、最も売れる政策を看板にしてきた歴史がある。なので、現実に採用可能な政策として何を選ぶかという論争において、日本では与党と野党の間に真っ当な議論は生じえない。というより、左翼勢力を政策論争から排除する、政権は体制変革(?)とは無縁の保守勢力で独占する、そんな狙いがそもそも自民党にはずっとある。
一体、日本共産党が自民党に対して「政策論争」を仕掛けた事例を記憶しているだろうか。提起されているのは常に体制選択である。というより、現在の社会構造に対して冷淡であり、その運営に責任を持とうという意識が伝わらないのだ。まあ、これ自体は当たり前でもある・・・、体制変革を基本目的とする政党にとっては、その途中の個々の政策は権力奪取に至るまでのツールであり、それ自体はいつでも変更可能な戦術である。目的はあくまでも政治権力を得て既存の体制を変えることにある(のが建前だ)。そのチャンスを排除するために保守一党体制が53年前に構築され、いまある保守政党は(基本的には)自民党、ただ一党である。
ということは、自民党以外の保守系野党が政党として活動できるニッチはそもそも国内政界には存在しないという理屈だ。ポジショニングが極めて難しい。日本の保守層(の多く)は、政権主流が力点を置いている政策に十分満足しているわけではないが、期待する政治家は同じ保守政党に(いまは)傍流として所属している。つまり日本の保守層はただ一つのデパート的政党を持っている、というより「しかない」のが実情だ。保守政党は他には要らない。これが本音である。
第2、第3の保守政党は要らない。あっても現与党と競合する。競合するうえ品質が劣る。期待で膨らませた社会心理的なバブルが一時的に発生することはあるが、政治家というサプライサイドの実情が露わになった段階でバブルがはじける。その繰り返しを日本の政治マーケットは演じてきた。今後も数年ごとに「新党」が結成され、政治バブルとなってメディアを賑わせることもあるだろうが、にわかに人気者になる政治家に国の舵をとらせる意志は多くの保守的有権者にはない。そう思っている。
とはいえ、オルターナティブなき保守政権を長期にわたって放置すれば独占の弊害が出てくる。それは有権者もわかっている。実際、ごく最近において安倍現政権は不祥事、舌禍、失態にまみれ「数のおごり」や「弛緩」を批判されている。政権外の保守系野党は、いかに微力であろうと、存在したほうが良い。現実的な批判勢力たりうるからだ。真の意味で支持され、求められてはいないのだが、外野席に居続けることで役割を果たせるような政党。どこか哀愁が漂うではないか。それが国民民主党のゼロ支持率であると小生はみている。
***
日本人は動機の純粋さを喜ぶ。『立憲民主党は男子でござる』と、ひと昔前ならばそんなセリフを語っていただろう。しかし、政治的停滞の真の源はむしろ立憲民主党にあるとみる。
上の引用にも書いているが、現実的には意味を失った共産主義・社会主義を(建前上は)標榜する左翼政党が無視可能な数を超える議席を有し親・左翼勢力をつくっている ➡ 保守1党体制が守られ政権を独占し続ける ➡ 主流と理念が異なる保守傍流が漏出し、小惑星的なアウトサイダー群に浮遊化し無力化する。G7先進国でも他に見ない日本的政治状況の基本骨格がここにある。
その主張に現実的意味が失われている政党が本来は中道左派・保守勢力に吸収されるはずの有権者を自党の存続のために吸収し続けている。本来は政治的な力を発揮しうる有権者層が政治の場では排除されている。政策論争ではなく体制選択という不毛の目標のために浪費されている。ここに(国政と同時に地方政界においても)日本政治の欺瞞がある。小生、そう観ているのだ、な。
確かに現政権はかなりの右翼であり隠蔽していることもあると小生も感じる。不誠実でもあると思う。しかし、左翼勢力の欺瞞もまた実に巨大ではないか。現政権より真の意味で不誠実ではないか。そう思って見ているのだ、な。
注: 本稿でいう「保守」は「革命を最終目標としない」という意味であり、相当広い範囲を含めて使っている。
2018年7月21日土曜日
日清戦争以前の国防観の一例: 中江兆民『三酔人経綸問答』
中江兆民といえば明治中期に活躍した啓蒙思想家である。兆民の『民約訳解』は、フランス革命の思想的基礎を提供した(と言われる)ジャン-ジャック・ルソーの"Le Contrat Social"(1762)を漢文に翻訳、文意の解釈をも加えていて、明治中期の日本人にとっては親しみのある漢文、それに注釈もあるということで、近代ヨーロッパ思想に関する貴重な参考書であったそうである。経済学分野でいえば、古くなるが都留重人氏が和訳したサムエルソンの『経済学』に似ているのだろうか。マルクス経済学とはまるで違った近代経済学、その最先端でもあった「新古典派総合」は、日本国内の大学で講義される経済学の授業を一変させてしまったといわれる。さてルソーだが、以前の日本史の教科書では『民約論』という名で掲載されていた主著は、今ではより直訳に近い『社会契約論』というタイトルで出版されている。
少し以前になるが近くの書店で光文社古典新訳文庫が並んでいる一角を見ているとルソーの『社会契約論/ジュネーブ草稿』があったのでパラパラめくってみた。めくりながら書棚に視線を移すと中江兆民の『三酔人経綸問答』があるのに気がついた。あまり読まれていない本だ。むしろ最晩年に著した『一年有半』のほうが知られている。にも関わらず、マイナーな方を古典として含めたのには何か編集サイドの理念があるのかもしれず面白いと思って買った。『三酔人経綸問答』、1887(明治20)年に出版されたということは、日清戦争よりも以前の時代である。
中に以下の下りがある。全文引用すると冗長なので投稿者の一存で抜粋しつつ引用したい。現代語訳原文は光文社文庫版の73頁から77頁にかけてである:
引用文中「後世の社会」という語句があるが、中江兆民がこの本を出版したあと、日本が最終的に歩んだ道は洋学博士君の理念ではなく、豪傑の客が展開した軍国主義戦略であった ― とはいうものの、日清戦争以前の日本に「軍国主義」という言葉はなかったに違いない。現に日本が軍国主義であったその時にも「我が国は軍国主義国家を目指す」などという言葉はなかったはずだ。ただ「富国強兵」は明治維新のそもそもの根本理念でもあり、その根底に尊皇攘夷思想があったことは否定できない。明治の精神を反映しているのは、洋学博士君ではなく、豪傑の客であったと、振り返ってみれば明らかなのだ。中江兆民は、その意味でも文字通りの啓蒙思想家、日本人の蒙を啓く人であろうとした人物である。
いずれにせよ、洋学先生の平和主義的非戦論は、いま読んでも魅力的であるものの、現代日本は既にその前提、というか資格を失っているかもしれない。『あなたがたに無礼を働いたことはない。幸い非難される理由もない。・・争いも、いさかいもしなかった』と、このような主張に耳を傾けてくれる国はいまはないだろう。この一点で、現代日本は中江兆民が生きた明治中期の日本とはまったく違った日本になってしまっている。歴史は過去に属するが、現代にも生き続け、いま生きる人を束縛するのである。
とはいえ、明治日本がまだなお「坂の上の雲」を見ながら歩んでいた時代、まだ対外拡張戦略に転じる前の時代、非武装平和国家を理想とする外交戦略が誰にも教わることなく、日本人自身が一つの選択肢としてイメージできていたことは、今後の参考になるはずだし、悪い方向で受け取れば「歴史は何度でも繰り返す」ということでもあるのかもしれない。
少し以前になるが近くの書店で光文社古典新訳文庫が並んでいる一角を見ているとルソーの『社会契約論/ジュネーブ草稿』があったのでパラパラめくってみた。めくりながら書棚に視線を移すと中江兆民の『三酔人経綸問答』があるのに気がついた。あまり読まれていない本だ。むしろ最晩年に著した『一年有半』のほうが知られている。にも関わらず、マイナーな方を古典として含めたのには何か編集サイドの理念があるのかもしれず面白いと思って買った。『三酔人経綸問答』、1887(明治20)年に出版されたということは、日清戦争よりも以前の時代である。
中に以下の下りがある。全文引用すると冗長なので投稿者の一存で抜粋しつつ引用したい。現代語訳原文は光文社文庫版の73頁から77頁にかけてである:
豪傑の客: それならば、もし凶暴な国があって、我が国が軍備を撤廃するのに乗じて、軍隊を送って来襲してきたら、どうしますか?
洋学博士: ぼくはそのような凶暴な国は決してないことを知っています。もし万が一そのような国があったとしても、われわれはそれぞれ自分で対処するだけです。・・・静かにこう言いましょう。あなたがたに無礼を働いたことはない。幸い非難される理由もない。・・争いも、いさかいもしなかった。・・・一刻も早く立ち去って、国に帰りなさいと。彼がなおもきかずに銃砲をわれわれに向けるなら、ひるまずにこう言いましょう。きみたちは何たる無礼かと。あとは弾を受けて死ぬだけのこと。
豪傑の客: まさかこれほどとは・・・世界の情勢を論じ、政治の歴史を語ったあげく、最後の一手とは結局、全国民が手をこまねいて敵の弾丸に倒れて、有終の美を飾るというのですからね。
洋学博士: ヨーロッパの学者で戦争を否定する者はみな、攻撃は道理に反するが、防衛は道理にかなうとしています。つまり、・・正当防衛の権利を国の場合にあてめようというわけです。ぼくの考えでは、これは哲学の本来の趣旨にそむいています。なぜなら人を殺すことは悪事です。・・・ですから、人がぼくを殺しても、ぼくは人を殺してはならないのです。・・・全国民を生きた道徳の象徴として、後世の社会の模範とするためなのですよ。
豪傑の客: だいたい戦争というものは、学者の説によればどれほど忌まわしいものだとしても、実際上どうしても避けることのできない勢いなのです。また勝つことを好み、負けることを嫌うのが動物の本性です。・・・怒るというのは正義感のあらわれなのです。・・・争うことのできない者は意気地なしです。戦うことのできない国は弱い国です。兆民の分身とも思われる南海先生が弁じ始める前の序盤の会話である。
引用文中「後世の社会」という語句があるが、中江兆民がこの本を出版したあと、日本が最終的に歩んだ道は洋学博士君の理念ではなく、豪傑の客が展開した軍国主義戦略であった ― とはいうものの、日清戦争以前の日本に「軍国主義」という言葉はなかったに違いない。現に日本が軍国主義であったその時にも「我が国は軍国主義国家を目指す」などという言葉はなかったはずだ。ただ「富国強兵」は明治維新のそもそもの根本理念でもあり、その根底に尊皇攘夷思想があったことは否定できない。明治の精神を反映しているのは、洋学博士君ではなく、豪傑の客であったと、振り返ってみれば明らかなのだ。中江兆民は、その意味でも文字通りの啓蒙思想家、日本人の蒙を啓く人であろうとした人物である。
いずれにせよ、洋学先生の平和主義的非戦論は、いま読んでも魅力的であるものの、現代日本は既にその前提、というか資格を失っているかもしれない。『あなたがたに無礼を働いたことはない。幸い非難される理由もない。・・争いも、いさかいもしなかった』と、このような主張に耳を傾けてくれる国はいまはないだろう。この一点で、現代日本は中江兆民が生きた明治中期の日本とはまったく違った日本になってしまっている。歴史は過去に属するが、現代にも生き続け、いま生きる人を束縛するのである。
とはいえ、明治日本がまだなお「坂の上の雲」を見ながら歩んでいた時代、まだ対外拡張戦略に転じる前の時代、非武装平和国家を理想とする外交戦略が誰にも教わることなく、日本人自身が一つの選択肢としてイメージできていたことは、今後の参考になるはずだし、悪い方向で受け取れば「歴史は何度でも繰り返す」ということでもあるのかもしれない。
2018年7月19日木曜日
内地の猛暑はハンパない
三連休は愚息の慶事を祝うために名古屋に行ってきた。着いたその日の夜に「ひつまぶし」を食べたが、翌日からは余りの猛暑に食欲をなくした、というより朝のうちに外出し、ホテルに戻って熱気を避け、午後もう一度外出するのだが、夕刻にホテルに戻るとまた外に出る気力がないのでコンビニで弁当を買って帰る。そんな毎日だった。
北海道に戻って、通院している近くの病院に消化薬をもらいにいく。待合室の前にお婆さんが二人、TVで放送している内地の猛暑を観ながら、話し込んでいる。
ただ角にあったタバコ屋は昔のままだった。
芭蕉の句を思い出した。 そういえば芭蕉が上の句をつくった奈良・当麻寺に行ったのは、大阪在住時代だからもう30年も昔になる。その頃、暮らしていた八尾の官舎はもう取り壊されてしまった。
北海道に戻って、通院している近くの病院に消化薬をもらいにいく。待合室の前にお婆さんが二人、TVで放送している内地の猛暑を観ながら、話し込んでいる。
Aさん: あたし、心臓にペースメーカーを入れてるのよ、だからネ、あんな暑いところじゃあ無理なのよ。北海道で好かったあ~~小生が大学生であったころ、両親は父の勤務の関係で名古屋市昭和区陶生町に住んでいた。桜山交差点から歩いて数分のところだ。昔暮らしていたその付近も今回再訪してきた。様子はすっかり変わっていたが、胃の調子が芳しくなかった父が通院していた医院は同じところに名前も変わらずにあった ― 40年もたっているので、とっくの昔に代替わりはしていると思うが。
Bさん: 可哀想よお・・・お盆も近いのにサア、こんなに暑い中でサア、家はない、食べるものもない、住むところもなくってサア・・・
Aさん: 北海道で好かったヨお
ただ角にあったタバコ屋は昔のままだった。
昔と変わらずあるものと言えば、公共建築物もそうだし、寺院仏閣もそうだ。父が胃癌になってから母はよく熱田神宮に参拝していたが、そこにある大楠も変わらない。
変わらないものがあったかと思うと、桜山には地下鉄の駅が出来ていた。
お婆さんの『北海道で好かったあ』はいまこの時の心境だ。地下鉄の駅はこの3,40年の変化である。熱田神宮の大楠は何百年も変わらずそこに立っている。小生の両親はもうこの世にはおらず、暮らした家もない。3、40年のうちに変わってしまうものが儚いのであれば、お婆さんの『北海道で好かったあ』はもっと儚い思いである。それなら熱田神宮の大楠がずっと永遠にあるかといえば、そんなことはない。何百年は生きるだろうが、何千年は無理だろう。
小生自身も『北海道に戻ってホッとしたよ』と思っている。その儚いこと、病院で話し込んでいたお婆さんと変わらない。儚い私たちが幾世代も死に替わるうちには大楠も代替わりすることだろう。
僧朝顔 幾死にかへる 法の松
芭蕉の句を思い出した。 そういえば芭蕉が上の句をつくった奈良・当麻寺に行ったのは、大阪在住時代だからもう30年も昔になる。その頃、暮らしていた八尾の官舎はもう取り壊されてしまった。
2018年7月13日金曜日
「道徳教育」が再生困難である理由は何か?
小学校の道徳が正規教科となってから色々な混乱が発生しているらしい。
たとえば著名な若手憲法学者である木村氏はこんな意見を述べている。組体操で上にいたクラスメートが動いたため人間ピラミッドが崩れそのために負傷者が出たあとの人間関係がテーマである:
一部の子どもがバランスを崩しただけで骨折者がでる、そんな危険な状況で練習をさせたのであれば、学校の安全配慮義務違反が認定される可能性は高い。民事上の問題として考えるなら、学校が損害賠償を請求されれば責任は免れ得ないだろう。出所: これは何かの冗談ですか?
また、刑事上の問題として考えるなら、注意義務違反によって骨折者が出ているのだから、教員は業務上過失致傷罪に問われてもおかしくない。
事故が起きれば、原因を追究し、責任者を特定する。責任者の行動が、不法行為や犯罪なら、損害賠償義務が発生し、刑罰が科される。どの国でも、法とはそういうものだ。
しかし、この教材は、「困難を乗り越え、組体操を成功させる」という学校内道徳の話に終始する。学校内道徳が、法規範の上位にあるのだ。いや、もっと正確に言えば、学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない。法の支配が学校には及んでいないようだ。これは治外法権ではないのか。
URL:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47434
氏の意見は基本的に筋が通っていて理解できるものである。
しかしネエ・・・一面的でありすぎる面も否定できない。そんな印象を感じる。
***
確かに「法治主義」は現代日本社会で守るべき貴重な価値であると、これは100パーセント賛成である。「法」というのは、成功や失敗、長い経験や学習の歴史を通して日本社会が(というより現代世界の多くの国が)習得してきた普遍性のある規範とも言えるからだ。
しかし、法が、というより憲法をはじめとする法規が、その社会の倫理的な価値を全て包含するというのは不可能だろうと思うのだ。もし規範的な価値がすべて法という形式に含まれうるものだと考えるなら、近年目に余る「法的には問題はないが許せない」という社会心理から展開されている「社会的制裁」は、論理的には一切不可であり、違法であり、故に社会的制裁が法的に制裁されるべきである、と。こういう理屈になるのではないかと思うのだな。
全ての規範は法規という形式をとるべきである。法という形をとらなければ人は自分の規範を他人に押し付けることは不可である。守るべきルールは全て法律という形をとるべきだ、と。本当にこのような社会を人々が望んでいるとは(小生個人の山勘ではあるが)どうしても思われないのだ。
だとすれば、その社会の規範意識の中で法が占めるのは部分的であるにすぎない、というよりそうあるべきだと人々が(ホンネでは)思っていると言うべきだろう。
***
但し、こういうことは言えると思う。
すべて道徳教育というのは、究極的には『***べきである』、つまり独語でいえば"sollen"について教える教育である。
『なぜ人たるもの、かくするべきであるのか?』、ここを幼少期だけではなく、成人も含め全ての構成員が共有知として理解しておくことは、その社会が安定して機能していくうえで極めて重要である。
この「理解」は、ロジカルに、つまりは理性に訴えることで可能であると考えれば、カントの「実践理性」というものになるのだろうが、この考え方は19世紀から20世紀の歴史的経験を通して、概ね破綻したのではないだろうか。小生はそう思っている ― この点もまた微妙な点だとは思う。
とすれば、倫理的な規範をいかにして「規範」として理解し受け入れるか?この問題がやはり残る。もし規範が規範である根拠を「理性」に求めることができず、「法」に求めるとしても全てではないとすれば、あと残りは「共有された感情」くらいしか思いつかない。そして共有される感情というのは、典型的には「宗教感情の共有」として継承されていることが多い・・・。19世紀にアジアに進出したヨーロッパ諸国が「領事裁判権(治外法権)」にあれほど拘ったのは、相手国の文明的未成熟という点があったにせよ、それは非キリスト教国であるアジアとは心の深層部を占める宗教意識を、ひいては規範的価値を共有できないという認識があったのだと、こう言い換えても同じことだろう。
確かに宗教は規範の源たりうる。しかし、現代日本社会において公教育は宗教とは独立でなければならないと、日本国憲法がそう定めている。
では、「法」の中に包含しきれないような社会的規範があるとして、それは「法」ではない、「宗教」とも関係づけられない、しかし守るべきだと。そんな規範をいかにして理解させ、共有知にまで高めていけるのか?小生には分からない(マア、発案者の意図が想像できないでもないが)。まさかマスメディアやネットの投稿が正邪を決めるからというわけでもあるまいが、もしもその時の内閣、その時の文科省、あるいは国会(?)が「私たちが守るべきこと」を決めるというなら、まだむしろネットやメディアに決めてもらう方が好い社会かもしれない。いくら保守政権であれ授業の場で「大和魂」などと口にされるのは閉口だ。まだ「社会的制裁」のほうがましだろう、こちらも同じく閉口ではあるにしても。
どちらにしても、木村氏が「おかしい」と指摘しているように、規範の源を示すことなき道徳教育はお爺さんの語る寓話か、でなければ『挨拶とお辞儀はどちらを先にするべきか』という類の下らないマナー教室か、いずれかに堕落していくような、そんな未来がいまから窺えるような気がするのだ、な。
2018年7月10日火曜日
当たり前だが、真意の分からない意見はよくある
一体、職業生活を通して「会議」なるものに何回出席したのだろうか。何かを決めるときには、日本の組織は文書決裁(=稟議制)で(今でも)やっているはずである(と思う)。なら、なぜ正式の会議でこれはこうこうと致しますという儀式を行っておく必要があるのだろうか。決裁文書に記す本文の中の「経緯」という節で『●●年〇〇月△△日の第*回***会議において以下の方針が了承された、云々』というそれだけの事が多かったが、実に多大の時間を会議出席に費やしたものだと思う ― それにしては、よくみる夢の中で会議に出席しているシーンは少ないのが不思議だ。
それはともかく、以下のような(当たり前の)指摘がネットにはある。
災害対策とカジノ法案を比べれば、それは災害対策を優先するべきことは当たり前であり、これが理解できない国会議員(地方議会議員を含め)はいないと思われる。なので、上の引用は真意がよく分からない。
ただ、与党はIR推進法案(20日修正:推進法案は16年に既に成立していた。今回は実施法案だった)も成立させるつもりだろう。どちらもやるという作戦をとるのは、これまでの姿勢から明らかだと思われる。
しきりに思うのだが、国会答弁はなぜ大臣でなければならないのだろう?副大臣、政務官でも想定問答を読むくらいなら出来るはずである。どちらにしても、大臣の個人的見解などは期待されてもなく、開陳もできないのだから。
ずっと昔はよく役所の担当局長が手を挙げて委員長が『〇〇省△△局長』と言うと、横の方の席から役人が出てきて答弁していたものだ。民主党政権時代に「政治主導」というので政府委員を廃止したと記憶しているのだが、最近のTV中継をみていると、また復活しているようだ。
政府委員もいいが、副大臣や政務官が原則答弁するという方式でもよいのではないか。というより、政務官を報道官と改称して、官庁組織の意思伝達は報道官が担うという方式が合理的ではないか。米国、中国もそうしているようであるし、日本もその流儀を採用するのが行政効率化に寄与すると思う。
本日は、中江兆民の『三酔人経綸問答』についてメモを記そうと思っていたのだが、たまたま上に引用した文章を見つけたので、テーマを変えた。
それはともかく、以下のような(当たり前の)指摘がネットにはある。
30年7月豪雨による、災害、被害の現況が刻々と伝わってきます。その被害の甚大さは目を覆うばかり。URL: http://blogos.com/article/309994/
政府に対して、災害対策に万全を期すべしという申し入れを、野党として今日行いました。
安倍総理は11日からの海外出張を取りやめ。妥当な判断だと思います。
ひとつ国会で気になるのはカジノ法案の審議のあり方。この法案の担当大臣は石井国交大臣。まさにこの大災害時に陣頭に立って指揮をとるべき立場です。その人を、カジノ法案を通すために国会に張り付きにするのか。与党はどう考えているのか。カジノ法案審議を強行してくるのか。
あるべき優先順位は明らかだと思います。
災害対策とカジノ法案を比べれば、それは災害対策を優先するべきことは当たり前であり、これが理解できない国会議員(地方議会議員を含め)はいないと思われる。なので、上の引用は真意がよく分からない。
ただ、与党はIR推進法案(20日修正:推進法案は16年に既に成立していた。今回は実施法案だった)も成立させるつもりだろう。どちらもやるという作戦をとるのは、これまでの姿勢から明らかだと思われる。
しきりに思うのだが、国会答弁はなぜ大臣でなければならないのだろう?副大臣、政務官でも想定問答を読むくらいなら出来るはずである。どちらにしても、大臣の個人的見解などは期待されてもなく、開陳もできないのだから。
ずっと昔はよく役所の担当局長が手を挙げて委員長が『〇〇省△△局長』と言うと、横の方の席から役人が出てきて答弁していたものだ。民主党政権時代に「政治主導」というので政府委員を廃止したと記憶しているのだが、最近のTV中継をみていると、また復活しているようだ。
政府委員もいいが、副大臣や政務官が原則答弁するという方式でもよいのではないか。というより、政務官を報道官と改称して、官庁組織の意思伝達は報道官が担うという方式が合理的ではないか。米国、中国もそうしているようであるし、日本もその流儀を採用するのが行政効率化に寄与すると思う。
***
本日は、中江兆民の『三酔人経綸問答』についてメモを記そうと思っていたのだが、たまたま上に引用した文章を見つけたので、テーマを変えた。
2018年7月8日日曜日
『これで分からなくなった』という認識の不毛
オウム真理教幹部が処刑され社会は(海外もまた?)衝撃を受けたようだ ― どの部分にショックを受けたかは人によって違いがあると思うが。
色々な意見が公表されている。それは当然だ。その中で『これで永久に不明のままになってしまった』という意見がある。確かに当事者を抹殺してしまえば、それ以後当人の口から聴けなくなることはある。これが理屈だ。
しかし、霞が関界隈で地下鉄サリン事件が発生して23年が経過したいま、『これで永久に不明のままになってしまった』と受け止める立場というのは、「不明の事柄が多く残っているにも関わらず死刑判決を下したのは不当である」という思考と実質は同じだ。
本当に事件の要点で不明のまま残されていることは多いのだろうか?判決は不当だったのだろうか?
たとえば<オウム真理教 書籍>と検索してみるだけで、実に多数の本が出版されていることが分かる。加えて、オウム裁判において記録されている膨大な資料がある。また、捜査・検察当局が作成した調書。これらは情報として公開されなければならないし、実際、公開され、吟味され、また新しく本や論文が執筆されることだろう。
それでも事件の中で100パーセント分からない部分は残るに違いない。これまた当然だ。そもそも〇〇年●●月△△日の***会議において、自分はなぜあんな発言をしてしまったのだろうか、あんな意見を述べさえしなければ、また違った結論になったかもしれない。小生だって、そんな記憶は幾つかある。自分にだって動機が分からないのに、他人の言動なぞ100パーセント理解できるはずがない。
まあ、そんな結論になるのだが、だからこそ『勝機がゼロであると知りながら、なぜ日本は日米戦争の引き金を引いたのか?』、『清水の舞台から飛び降りることも必要だとその時の東條首相は言ったらしいが、それはどういう意味だったのか?』とか、今もなお議論百出でいろいろな「事実」が掘り起こされている。そういうものですよ、としか言えないのではないか。
小生の好きな詩人の一人に三好達治がいるが、小品"Enfance finie"の中に次の下りがある:
社会で可能なことはマネジメントである。というか、マネジメント以上の何が可能だろうか?『分からない』と人がいうとき、『分かるべき何ものか』がそこに存在していることを前提しているが、実はそんな実体はない。『自分はいまこう思う』と、人に言えるのはこれだけだ。だとすれば、永遠に人は何かについて語り続けることができるだろう。それでいい、というかこれ以上の何が可能だろうか?
ある日の試合で勝った野球チームがある。『これで勝ち方の何たるかを理解したよね、だから明日も勝てるでしょ?』と、このくらい馬鹿々々しいセリフはないのは誰にでも分かるだろう。
でも負けた。負けたのはなぜ?理屈としては勝ち方を知っているのに負けた。あなたの責任だよね。これまた意味のない理屈である。
そのとき何をするかを決めることしか人間には出来ない。それが動機といえば動機になるのだろう。が、動機を知ったところで、なぜそうなったのかを理解することはできないのだ。
論理的思考で人間や社会の核心は理解できない。当人になってみたって自分が自分で理解できないということを知るだけだ。作家モームの言うように『人間は矛盾に満ちた存在なのだ』。
小生はこんな世界観が大いに気にいっている。
色々な意見が公表されている。それは当然だ。その中で『これで永久に不明のままになってしまった』という意見がある。確かに当事者を抹殺してしまえば、それ以後当人の口から聴けなくなることはある。これが理屈だ。
しかし、霞が関界隈で地下鉄サリン事件が発生して23年が経過したいま、『これで永久に不明のままになってしまった』と受け止める立場というのは、「不明の事柄が多く残っているにも関わらず死刑判決を下したのは不当である」という思考と実質は同じだ。
本当に事件の要点で不明のまま残されていることは多いのだろうか?判決は不当だったのだろうか?
たとえば<オウム真理教 書籍>と検索してみるだけで、実に多数の本が出版されていることが分かる。加えて、オウム裁判において記録されている膨大な資料がある。また、捜査・検察当局が作成した調書。これらは情報として公開されなければならないし、実際、公開され、吟味され、また新しく本や論文が執筆されることだろう。
それでも事件の中で100パーセント分からない部分は残るに違いない。これまた当然だ。そもそも〇〇年●●月△△日の***会議において、自分はなぜあんな発言をしてしまったのだろうか、あんな意見を述べさえしなければ、また違った結論になったかもしれない。小生だって、そんな記憶は幾つかある。自分にだって動機が分からないのに、他人の言動なぞ100パーセント理解できるはずがない。
それを言っちゃあ、おしめえヨ
まあ、そんな結論になるのだが、だからこそ『勝機がゼロであると知りながら、なぜ日本は日米戦争の引き金を引いたのか?』、『清水の舞台から飛び降りることも必要だとその時の東條首相は言ったらしいが、それはどういう意味だったのか?』とか、今もなお議論百出でいろいろな「事実」が掘り起こされている。そういうものですよ、としか言えないのではないか。
小生の好きな詩人の一人に三好達治がいるが、小品"Enfance finie"の中に次の下りがある:
今日記憶の旗が落ちて、大きな川のように、私は人と訣(ワカ)れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が‥‥、ああ哀れな私よ。「世界」や「存在」は記憶の中でのみ存在することができるものである。とすれば、その存在も、人も、事実も、時間の中における一瞬の出来事でしかない。実に儚い自己意識がここにある。
社会で可能なことはマネジメントである。というか、マネジメント以上の何が可能だろうか?『分からない』と人がいうとき、『分かるべき何ものか』がそこに存在していることを前提しているが、実はそんな実体はない。『自分はいまこう思う』と、人に言えるのはこれだけだ。だとすれば、永遠に人は何かについて語り続けることができるだろう。それでいい、というかこれ以上の何が可能だろうか?
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ある日の試合で勝った野球チームがある。『これで勝ち方の何たるかを理解したよね、だから明日も勝てるでしょ?』と、このくらい馬鹿々々しいセリフはないのは誰にでも分かるだろう。
でも負けた。負けたのはなぜ?理屈としては勝ち方を知っているのに負けた。あなたの責任だよね。これまた意味のない理屈である。
そのとき何をするかを決めることしか人間には出来ない。それが動機といえば動機になるのだろう。が、動機を知ったところで、なぜそうなったのかを理解することはできないのだ。
論理的思考で人間や社会の核心は理解できない。当人になってみたって自分が自分で理解できないということを知るだけだ。作家モームの言うように『人間は矛盾に満ちた存在なのだ』。
小生はこんな世界観が大いに気にいっている。
2018年7月6日金曜日
覚え書: オウム真理教上層部の死刑執行に関連して
大阪から北海道に移住してから間もなくして阪神大震災が起こり、東京・霞が関界隈の地下鉄駅構内でサリン事件が発生した。どちらも小生の生活範囲であったかもしれず、それを思うと、文字通り『人生、一寸先は闇』であると感じる。
その一世を騒がせた宗教組織指導者13名のうち7名に対して本日2018年7月6日に刑が執行された。覚え書きとして記載する。
中には『死刑の廃止は、国際的な流れだ。国内でも、死刑制度をどうするべきか、議論を深めるべきだ』との意見も提出されているようだ。TVのワイドショーでも『国家が人の命を奪ってもよいという点はもう一度議論するべきだ』というコメンテーターが多い。
しかしながら、欧州で死刑廃止が世の流れになったのは、加害者の人権を守るという思想に基づくものではなく、多分に政党間の対立から採られた政治的な結果であるという見方がある。
アメリカでも死刑が廃止される流れであったが、Wikipediaからも分かるように、犯した犯罪に照らして過剰ではない場合には死刑は合憲であるとの連邦最高裁判決が1976年に示されるに及び死刑が復活した。昨年7月末時点で2817人の死刑囚が米国内で収監されているようである。
死刑は国家による殺人であって認めがたいという哲学的指摘を認めるとすれば、そもそも殺人という罪において人が殺害されているという事実をどう考えるのか?人は人を殺すことがありうると認めながら、国家は人を殺してはならない、と。そう考えるべきなのか?テロリストがテロ行為に及びつつあるときに、警察官はテロ犯を射殺できないのか?殺人に及ぼうとする犯人を射殺してもよいのであれば、なぜ人を殺害した犯人を死刑に処することは不可なのか?国家は国民を殺すことができないが、人は人を殺すことがありうると考えるなら、復讐のために加害者を殺すことはありうる、正当防衛のために人を殺すことはありうる、決闘で命をかけて黒白を決着させる行為はありうる、と。そう考える社会へ変わっていくのではないか?
"MAY"の認識から"CAN"の認識まではほんの一歩である。
死刑の存否についてその是非を哲学的に決定したいなら、上のような諸問題に対して論理的な回答を引き出すことが必要であり、かつ社会的な合意を形成する必要がある・・・が、多分、それは不可能だろう。
とすれば、死刑の存否は世論、つまり多数の国民の意志による。そう考えて、民主主義を信頼し、死刑もまた善いか悪いかではなく、「法治国家」の在り方の一つであるとして受容する。これ以外にどんな道があるだろうか。
その一世を騒がせた宗教組織指導者13名のうち7名に対して本日2018年7月6日に刑が執行された。覚え書きとして記載する。
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中には『死刑の廃止は、国際的な流れだ。国内でも、死刑制度をどうするべきか、議論を深めるべきだ』との意見も提出されているようだ。TVのワイドショーでも『国家が人の命を奪ってもよいという点はもう一度議論するべきだ』というコメンテーターが多い。
しかしながら、欧州で死刑廃止が世の流れになったのは、加害者の人権を守るという思想に基づくものではなく、多分に政党間の対立から採られた政治的な結果であるという見方がある。
アメリカでも死刑が廃止される流れであったが、Wikipediaからも分かるように、犯した犯罪に照らして過剰ではない場合には死刑は合憲であるとの連邦最高裁判決が1976年に示されるに及び死刑が復活した。昨年7月末時点で2817人の死刑囚が米国内で収監されているようである。
死刑は国家による殺人であって認めがたいという哲学的指摘を認めるとすれば、そもそも殺人という罪において人が殺害されているという事実をどう考えるのか?人は人を殺すことがありうると認めながら、国家は人を殺してはならない、と。そう考えるべきなのか?テロリストがテロ行為に及びつつあるときに、警察官はテロ犯を射殺できないのか?殺人に及ぼうとする犯人を射殺してもよいのであれば、なぜ人を殺害した犯人を死刑に処することは不可なのか?国家は国民を殺すことができないが、人は人を殺すことがありうると考えるなら、復讐のために加害者を殺すことはありうる、正当防衛のために人を殺すことはありうる、決闘で命をかけて黒白を決着させる行為はありうる、と。そう考える社会へ変わっていくのではないか?
"MAY"の認識から"CAN"の認識まではほんの一歩である。
死刑の存否についてその是非を哲学的に決定したいなら、上のような諸問題に対して論理的な回答を引き出すことが必要であり、かつ社会的な合意を形成する必要がある・・・が、多分、それは不可能だろう。
とすれば、死刑の存否は世論、つまり多数の国民の意志による。そう考えて、民主主義を信頼し、死刑もまた善いか悪いかではなく、「法治国家」の在り方の一つであるとして受容する。これ以外にどんな道があるだろうか。
2018年7月4日水曜日
一言メモ: セクハラの世界的流行に思う
カナダ首相のトルドー氏もまたセクハラで炎上と見える。
18年前、あなた失礼なこと、私に言った(した?)わヨネ!CNNではこんな風に扱われている:
(CNN) カナダのトルドー首相が18年前、女性記者にセクハラ行為をしたとの疑惑が浮上した。本人は覚えがないと主張している。URL:https://www.cnn.co.jp/world/35121915.html
トルドー氏は長年、セクハラ問題への取り組みで知られてきた。しかし政界入り前の2000年、元首相を父に持つ28歳の青年だった同氏が同国西部クレストンで雪崩対策のチャリティー・イベントに出席した際、地元紙に掲載された無署名の社説が問題になっている。
***
小生の専門は将来予測である。
一つ、予測をしておきたい。
"Sexual harassment"の炎がグローバル規模で燃え広がり、世界が焼け野原になった後は今度はその近種である"Family harassment"が新たに発火するのではないだろうか?
あなた、会社でなんて呼ばれてるか知ってる?
職場結婚した夫婦であればこの位の会話は(かつては)日常茶飯事であったろう。
お隣の旦那さん、この夏のボーナス、200万円を超えたそうよ!あ~ァ、羨ましい・・・残業手当、稼いでよネ!で、残業して帰宅したら「一人メシ」。まあ、ハラスメントでしょうなあ・・・。いわゆる「頭にくる!」という言葉は、性別によらず、年齢によらず、人間世界にはあふれかえっているのが現実だろう。
インフルエンザのA型が流行しているからといって、B型はスルーしてよいわけではない。ハラスメントを防止しようとするなら、あらゆる型のハラスメントに注意をして、発生の本質的原因を心理学的・社会学的に探究し、バランスよく対策を進めることが最も大事である。
まあ、漠然というなら「デリカシー」や「思いやり」が欠けているとき、色々な型のハラスメントが発生するのは確かだろう。「日常的疲弊」が重なれば、更にハラスメントの発生確率は高まる。これまた確かであろう。偏見や先入観の影響もまた然り。病理的現象は、社会の弱い部分に現れる。カネで弱さをカバーできるなら、それができない貧困世帯(or 職場)に、メンタル面の弱さがカギならストレスから逃れられない高ストレス世帯(or 職場)に、ハラスメントは発生する確率が高い。
専門的研究に期待する。
2018年7月3日火曜日
一言メモ: 二大政党は本当に日本にも訪れるのか?
日本も戦前期には二大政党制が機能していた ― 最終的には1920年代後半の内憂外患を解決できず軍部に主導権を奪われてしまったわけではあるが。
なので、国民性として二大政党制に不向きであるというわけではない。
実際、終戦直後にはまた二大政党に戻っていた。そのモメンタムを攪乱したのは、「労働者階級」を包括的に一つの政治勢力にしようと計画した共産党、というか社会党も含めた左翼政党である。昭和22年から23年まで実際に社会党政権が実現している。時代の風はマルクス経済学に吹いていたのである。
そもそもプレ高度成長時代に行われた自由党・日本民主党による保守合同は、左翼勢力が政権をとることへの警戒心からであった。
仮説的想像だが、現代日本で二大政党制が実現しない主要因は共産党と連携する左翼政党が(いまもなお)強すぎることだろう。
ソ連は崩壊し、中国も「中国共産党」が独占支配する資本主義国家になった。日本の「保守対革新」の図式には既にカビが生えている。
左翼への警戒心は現代日本社会ではもう既に非現実的である。マルクス経済学を真面目に勉強する若者は「青春の迷い」でこそあれ、政治経済理論としてはもう期待できないだろう。にも拘わらず、真実保守と保守リベラルが同じ政党に同居している。
警戒するほどの現実的意義はもうないが伝統芸能程度の重みは保っている。
同居しているのは、左翼勢力が自民政権を政策論争とは別の次元から、人格的に倫理的に非難するからである、というのも一面の真理だろう。そんなメタ政治的な非難が面白いので(無警戒な)メディアの話題にもなる。保守は大同団結する動機をもつ。思いは複雑だろうが・・・
もしこの認識が本筋であるなら、ネットで言い交わされている乱暴な表現<劣悪左翼>。本当に左翼陣営に属する政治家が劣悪であると小生は思わないが、一つ言えるとすれば、「日本共産党」と連携した左翼勢力が実質ゼロにまで衰退するとすれば、その時には保守が二つに分かれるであろう。そう予測する。そこが定常状態であろう。
このところ、自民一強の状況が進み、野党はすべて支持率を落としている。この現象は、健全な二大政党時代の到来には夢をもてる好い兆候であると思いつつ見ている。
なので、国民性として二大政党制に不向きであるというわけではない。
実際、終戦直後にはまた二大政党に戻っていた。そのモメンタムを攪乱したのは、「労働者階級」を包括的に一つの政治勢力にしようと計画した共産党、というか社会党も含めた左翼政党である。昭和22年から23年まで実際に社会党政権が実現している。時代の風はマルクス経済学に吹いていたのである。
そもそもプレ高度成長時代に行われた自由党・日本民主党による保守合同は、左翼勢力が政権をとることへの警戒心からであった。
仮説的想像だが、現代日本で二大政党制が実現しない主要因は共産党と連携する左翼政党が(いまもなお)強すぎることだろう。
ソ連は崩壊し、中国も「中国共産党」が独占支配する資本主義国家になった。日本の「保守対革新」の図式には既にカビが生えている。
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左翼への警戒心は現代日本社会ではもう既に非現実的である。マルクス経済学を真面目に勉強する若者は「青春の迷い」でこそあれ、政治経済理論としてはもう期待できないだろう。にも拘わらず、真実保守と保守リベラルが同じ政党に同居している。
警戒するほどの現実的意義はもうないが伝統芸能程度の重みは保っている。
同居しているのは、左翼勢力が自民政権を政策論争とは別の次元から、人格的に倫理的に非難するからである、というのも一面の真理だろう。そんなメタ政治的な非難が面白いので(無警戒な)メディアの話題にもなる。保守は大同団結する動機をもつ。思いは複雑だろうが・・・
もしこの認識が本筋であるなら、ネットで言い交わされている乱暴な表現<劣悪左翼>。本当に左翼陣営に属する政治家が劣悪であると小生は思わないが、一つ言えるとすれば、「日本共産党」と連携した左翼勢力が実質ゼロにまで衰退するとすれば、その時には保守が二つに分かれるであろう。そう予測する。そこが定常状態であろう。
このところ、自民一強の状況が進み、野党はすべて支持率を落としている。この現象は、健全な二大政党時代の到来には夢をもてる好い兆候であると思いつつ見ている。
2018年7月1日日曜日
メモ: 一人っ子はかわいそう??
ネットの巷では一人っ子は可哀想かどうかで意見がたたかわされているようだ。
ある人が「一人っ子はかわいそうですねえ」とコンビニなどで頻りに言われるので、一発でやり返せるような名文句を相談したところ、色々な意見が出てくる、出てくる・・・という様子である。
目についたページから引用させていただこう:
小生は三人兄弟だ(妹と弟が一人ずつ)。いま妹は東京に、弟は福島・いわきに住んでいる。
『兄弟がいるから必ず幸せとは限りません』というのはその通りかもしれない。いま現時点で、小生は遠く離れた北海道に住んでいるので頻繁に行き来できるわけではない。齢をとるとお互い別の生活になるので、何日かに一度は電話をするという関係でもなくなる。なので、兄弟がいるから幸せというわけではない、というのは確かにそうだ。
しかし、幼少年期を通してずっと一人っ子であったとしたら、(想像は難しいが)やはり多分、淋しかったろうなアとは思う。というのは、少なくとも高校くらいまでは毎日兄弟で遊んだり、おしゃべりをするのが常であったからである。小生は自分の学校で友人が少なく、引っ込み思案でもあったので、余計に兄弟がありがたかった。大学に進み、時々実家に戻るようになってからも、帰れば兄弟がおり、昔のように遊ぶことができた。時には口喧嘩をしたり、邪魔に思ったり、うとましく感じる時もあったにせよ、全てをひっくるめると楽しく、懐かしい思い出である。両親には感謝している。
兄弟がいれば協力できるとか(できないとか)、一家の安全保障になるとか(ならないとか)、二人より一人の方が限りある養育費を集中的に使うとか(使わないとか)、諸々の要素は一切無視しておく。
ともかくも思うのは、一人っ子でもいとこがいればいいでしょ、というのは誤魔化しであるような気がするし、友達がいれば親戚なんていなくてもいいじゃないと言えばそれもそうかもしれない。が、これは小生の記憶とはかなり違ってもいるのだ、な。
というか、一人っ子は可哀想なのかどうなのか?親世代が議論しても結論などは出るはずがない問題だ。一人っ子である当人が、成長してから兄弟のある他人をみて、どう思うかで決まることである。成長した一人っ子たちは、兄弟がいたほうがよかったと思うのか、思わないのか、いずれ統計的に判定できる事だろう。
ある人が「一人っ子はかわいそうですねえ」とコンビニなどで頻りに言われるので、一発でやり返せるような名文句を相談したところ、色々な意見が出てくる、出てくる・・・という様子である。
目についたページから引用させていただこう:
この投げかけに対し、掲示板では、やはり「スルーする」という声が多いなか、
“兄弟がいるから必ず幸せとは限りませんけどね~と返す”
“そういう固定概念を抱いてる人こそ可哀想です”(原文ママ)
“無理して兄弟作るよりいいと思いますけどね(^ー^)”
“あー、昔はそう言う考え方もありましたけどいまの時代一人っ子なんて普通ですよー笑”
などの返答を提案する書き込みがあった。ちなみにTwitterにも、“一人っ子=かわいそう”とされがちなことをボヤく声は散見される。URL: http://news.livedoor.com/article/detail/14945438/
小生は三人兄弟だ(妹と弟が一人ずつ)。いま妹は東京に、弟は福島・いわきに住んでいる。
『兄弟がいるから必ず幸せとは限りません』というのはその通りかもしれない。いま現時点で、小生は遠く離れた北海道に住んでいるので頻繁に行き来できるわけではない。齢をとるとお互い別の生活になるので、何日かに一度は電話をするという関係でもなくなる。なので、兄弟がいるから幸せというわけではない、というのは確かにそうだ。
しかし、幼少年期を通してずっと一人っ子であったとしたら、(想像は難しいが)やはり多分、淋しかったろうなアとは思う。というのは、少なくとも高校くらいまでは毎日兄弟で遊んだり、おしゃべりをするのが常であったからである。小生は自分の学校で友人が少なく、引っ込み思案でもあったので、余計に兄弟がありがたかった。大学に進み、時々実家に戻るようになってからも、帰れば兄弟がおり、昔のように遊ぶことができた。時には口喧嘩をしたり、邪魔に思ったり、うとましく感じる時もあったにせよ、全てをひっくるめると楽しく、懐かしい思い出である。両親には感謝している。
兄弟がいれば協力できるとか(できないとか)、一家の安全保障になるとか(ならないとか)、二人より一人の方が限りある養育費を集中的に使うとか(使わないとか)、諸々の要素は一切無視しておく。
ともかくも思うのは、一人っ子でもいとこがいればいいでしょ、というのは誤魔化しであるような気がするし、友達がいれば親戚なんていなくてもいいじゃないと言えばそれもそうかもしれない。が、これは小生の記憶とはかなり違ってもいるのだ、な。
というか、一人っ子は可哀想なのかどうなのか?親世代が議論しても結論などは出るはずがない問題だ。一人っ子である当人が、成長してから兄弟のある他人をみて、どう思うかで決まることである。成長した一人っ子たちは、兄弟がいたほうがよかったと思うのか、思わないのか、いずれ統計的に判定できる事だろう。
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