2018年12月4日火曜日

随想: 記憶が正しいからと言って、それが真実とは限らない

小生の職業生活を回顧したエッセーを寄稿してくれと頼まれた。

「回顧」とはいえ、逐一編年体で書いていけば幾ら書いても書ききれない。何しろこの間ずっと書き続けていた覚え書きはA4で何百ページになるのか分からないほどだ。縮尺5万分の1程度で思い出をまとめるしか書きようがない。

書いたその下りの中に次の一文がある:
岐路だった。北海道に移住し研究・教育をライフワークにしていくことを考えた。母の死を受け止めきれない中で再出発したいとも思った。
母が病気で亡くなったちょうどその年に小生は北海道に移住して大学生活を始めることを決めたのだ。 上の一文はちょうどその頃の心境を書いたものだ。

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ところが、書きながら分からなくなった。

今までは、母の死をきっかけに東京の役所には戻らず、北海道に移ったと考えていた。聞かれると人にもそう話していた。

が、そうなんだろうか・・・分からなくなった。

「かくかくしかじかでそうなった」という説明は事実をただ並べているだけである。先にあったことが後にあったことの原因であるとは限らない。"post hoc ergo propter hoc"の誤謬は歴史家が常に自戒しなければならない。

たとえ母が病気にならず、一度は東京へ戻ったところで、小生は役所を辞めると言っては母を驚かせ、カミさんを不安にさせていたであろう。それはほぼ間違いがない。とすれば、母の死によって小生が人生の転機を決意したという言い方は実は嘘であることになる。小役人の生活に鬱々とし、母の健康状態に細かな配慮をすることに欠けた小生の側に事の進展の主因があったとも考えられるのである。

そうなんだろうか・・・

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ずいぶん昔のことになってしまった。

夏目漱石の小説『三四郎』の中に次の下りがある。"Pity is akin to love"を日本語にどう訳するかという議論をする場面だ。『日本にもありそうな句ですな』と三四郎がいうと、そばに居る与次郎が『少し無理ですがね、こう云ふなどうでしょう。可哀想だた惚れたって事よ』。入ってきた野々宮さんが『へえ、一体そりゃ何ですか。僕にゃ意味が分からない』、すると広田先生が『誰にだって分からんさ』。

直訳すると、『哀れみは恋愛と同種である』といった風になる。WEB辞書には『憐みは恋の始まり』という表現もある。

それぞれニュアンスが違う。厳密には、意味も違う。が、同じ英文を日本語に直すとき、元の意味は「誰にだって分からんさ」というのが、正解と言えば一番の正解であることは、少しでも翻訳作業をしたことがある人ならば納得のできることだ。

そういえば、漱石の作品だったと思うが、「それはどういう意味でしょう」と聞かれて、「どういう意味かって・・・そんな事は言った本人にも分からんさ」と(いう風に)応えるところがあったと記憶している。

小生はこの箇所が大変好きなのだが、どの作品であったか確認できない。






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