予算減額、定員削減・・・、この20年ほどで進んだ行政合理化のしわ寄せが集中しているとでも言えば、その構図は国立大学法人化と大学における研究基盤弱体化とどこか重なるところもある。
結局、いまの足元の問題にカネがいるので、将来に備えた課題にまでカネが回らない、そういう事である。
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それにしても毎勤統計に関する特別監査委員会で委員長になったH氏も大変気の毒なことだ。ずっと昔になるが、小生がまだ大学院生であった時分、H氏は学部は違っているものの、計量経済グループが主催する演習に出席していたものだ。小生の親しい友人は別にいたので話をすることはなかったが、労働経済学畑の本流を歩んだ大国柱の一人である。専門分野との関係で旧・労働省、現在の厚生労働省との縁も深く、小生の恩師から数えればもう半世紀を超える学術的交流が続いているはずである。
そうした深い相互理解をとりあげて「身内による検証」と断罪されるのだから、今の日本社会も変質したものである。
こうした事を大っぴらに言うときに予想されるのは『それほどの専門家なら統計不正をなぜおかしいと最初に気づかなかった!?』という多数の非難である。今回の問題は日銀の統計専門家がチェック作業をして「確かにおかしい」となり問題が明るみに出たという。多忙な日常業務があるにもかかわらず日銀の職員が既報統計に疑念を抱き検証作業を行うこと自体、既に専門家の間では広く疑念が共有されていたからに他ならない。
繰り返すが、今回は専門家がその不自然に気がつき、公的機関が人を割いてデータの検証を行うことで誤りが露見し、政府機関である統計委員会が公式に問題とすることで、問題解決への作業が始まろうとしている状況だ。そこに政治家が頭をつっこみ政治問題に転化させるのは道理に合わぬ。
昨今の韓国の対外行動は、極端な反日と本来技術的である問題を政治化する点に特質があるわけなのだが、日本国内の野党もまた極端な反政権と本来技術的である問題を政治問題にするという傾向がある。
小生は、昨今の野党の言動を<国内反対勢力の韓国化現象>と呼んでいる。
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毎勤統計問題の検証だが、委員の構成をみると全て外部専門家であり、当該分野の専門家に加えて統計委員経験者を含め法律・会計分野から人が入っている。
ただ職員に対する質問、確認は部内でやったと報道されている。更に、あろうことか中間報告文案も厚労省が起草したという報道がある。これは拙いねえ・・・。
まあ誰が問題発生の経緯等を聞いたかも大事ではある。とはいえ、統計業務は統計学とはまた異なる仕事だ。現場経験がなければ実態を想像することもできまい。何かの質問をするとしても問題解決につながるようなエッジの効いた意味ある質問をするのは部外者には無理である。
ただ文字通りの省内現職公務員が聞くという形はまずかろう。それは小生が当事者でもそう思う。統計業務経験者で省外にいる専門家をワーキングスタッフに任命し経緯の調査や問題点の洗い出しを行ってもらってもよかった。というより、統計管理行政を所管する総務省の側に<統計行政監察権限>がない所に問題の本質がある。今回の事案は、調査や監査などではなく「監察」もしくは「査察」といった権限に基づく「〇察」が必要なケースである。
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ずっと以前になるが、いわき市にいる弟宅を訪れようと上野から特急ひたち号に乗ろうとしたことがある。ところが、事故によって運休となり往生し、ついに訪問を中止したものだ。後になって知ったのだが、その日、変電所で仕事をしていた電力会社の社員の一人がスパナを手から落としてしまったのが運悪く広域停電を招いてしまったらしい。
小生がその日に特急ひたち号に乗れなかった原因は「落ちた一本のスパナ」だったのだ。ただ、こうした事故の再発を防止するには、人(Man)・方法(Method)・素材(Material)・道具(Machine)という四つのMから前後の状況を検証し、改善策を提案しなければならない。
問題解決への王道を、今後、誰が主張なり提案することができるだろう……さっぱり分からヌ。
野党は韓国化しているし、国会議員はすべて素人、メディアは専門家を呼ぶことはできるが残念ながら専門家の語る内容を記者やキャスターが理解できない・・・。問題解決には現場の実態をまず知ることが大事なのだが、検証に現場の声どころか周辺の声が混じる事すら昨今の日本社会は嫌がる空気があるようだ。
ずばり、民主主義の理解不足。人材不足、平和ボケ、三無主義、少子高齢化、etc.。「複合不況」と言う言葉をかつて経済学者・宮崎義一が創ったが、この数年間続いているのは「複合危機」かもしれない。
やれやれ、情けないネエ・・・
こんな風に迷走をして、太平洋戦争の早期終結にも失敗したのだろうなあ・・・あの時も「長期戦争」の理解不足、人材不足、組織ボケ、タコつぼ根性、憲法の欠陥、etc.の「複合危機」としてみるべきだった。
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