本日はホンノ短い補足のみである。
前投稿ではこんな事を書いている:
その他の具体的議論もあるが、概略的に考えると、明治維新の後、統治権は天皇にあると規定しなければならなかったのは、権力闘争というより、むしろ、こう考えなければ「日本」という国自体が、蜃気楼のような「空中楼閣」となる。天皇が統治する限り、どれほど西洋化を進めても、日本は日本である、と。そんな理解があったのではないかナと、小生は勝手に想像しているのだ。
明治維新後の日本は「民意」によって新しい国へ変容したわけではなかった。前稿に書いたように
近代日本は、明治政府が外国から招へいした外国人教師が教えた日本人弟子か、でなければ外国に研修か、留学をした日本人が、造りあげた国である。それでも日本は伝統的な日本と同じ国であり、明治以後の日本が別の国になったと考える日本人はいない。
このように、実際には、「お雇い外国人」と「官僚」の働きで出来た国だった。しかし、江戸の旧幕時代から明治にかけて、日本は別の国になったのだと考える日本人はいない。まあ、法制度・文化・風俗は変えたが、それは「時代」が変わったという事で、別の「国家」になったわけではない。そう意識する日本人がほとんどだと思う。
この理由は明らかで、
確かに日本の文化・価値観・風俗などは激変したが、それは日本が自ら選んだ道であったからだ。
つまり、天皇自らが新たな変革を欲したからである。
故に、江戸の日本も日本、明治の日本も日本。こういう事だろうと(勝手に)考えている。所詮、「国」、「社会」などという観念は、主観的な意識の中にあるものなのである。続いていると人々が意識すれば続いているし、一度絶えたと意識すれば、絶えたということだ。
明治維新と明治初期よりも昭和終戦直後の方が「激変」といえば激変ぶりが大きい。何しろ敗戦により領土が占領されたのだから。
それでも昭和戦前から戦中、戦後へと、日本人は同じ「日本」で生きたと意識していたのではないだろうか。
戦前は完全な独立国であったが、戦後日本は(実質的には)軍事同盟の設計から言えば、よく言って「アメリカのジュニア・パートナー」、悪く言えば「アメリカの半属国」であろう。
それでも日本人は例外なく、昭和戦前から戦後にかけて、日本は連続して「日本」であり続けていると、自認しているのではないだろうか?
時代が変わったのだ、と。時代が変わっても国は変わらなかった、と。「戦前という時代」から「戦後という時代」へと変わった。戦前の日本が日本なら、戦後の日本も日本だ。そう意識していた(ような気がする)。
少なくとも、敗戦時点で「日本」という国は地上から消え失せ、戦後の「日本」は新しく出来た国なのだ、と。こんな風には、思わなかった。小中学校の教科書にも、そんな風には書かれていない。現代日本人もそうは思っていない(はずだ)。ただ憲法が書き換えられ、「大日本帝国」が「日本国」に変わった、と。
そう感じる理由(の一つ?)は、天皇制が継続し、昭和天皇が昭和20年から64年までずっと在位した、これが日本人の無意識下の(国家?)感覚を変えなかったからだと、小生は(勝手に)思っている。
仮に、昭和20年に天皇制が廃止され、それ以後、日本には天皇が存在せず、何年かごとに「普通の」日本人から「大統領」を選ぶという体制になっていれば、今日の日本人は、昭和戦前までの日本とは別の国家にいま生きているのだと、そう意識していたに違いない。
そうなっていれば、多分、国歌や国旗も新しく作っていたであろうし、まして「自衛隊」(?)が同じ旭日旗を引き続き使い続けることもなかっただろう。
社会科の教科書では、(ドイツと同じように)明治から昭和戦前までの日本は「あだ花のような国」であり、故に「国民の意思に反して」、悪しき戦争を始め、結果として「自壊」した、と。こんな調子の説明がされていたに違いない。
人・国・民族・言語といった文化的な自意識が、日本人によって自覚され、それによって(内戦もなく、うまくやっていれば)現代日本はより建設的で、理性的な存在になっていたと想像される。
そうはなっていない理由は、
日本には天皇がいる。であれば、同じ日本である。
こんな意識が「敗戦・占領」という当時も、その後もずっと、共有されていた意識であったのだろうと想像している。
これを言い換えると、前稿でも書いているが
天皇があって日本がある。逆ではない。
こういう表現になるではないか。
こうしたことで、日本という国家はずっと断絶もせず、続いている。時代は「明治」、「大正」、「昭和」から「平成」へ変わり、いまは「令和」となった。同じ「日本」が連続して続いている。そんな意識が現代日本人で概ね共有されている、育った時代は違っても、国までは違わない、この点だけは世代間のギャップがない。そういうことだろうと思っている。
ということは、将来にかけて、日本社会がどのように変わっても、天皇がいる限り、日本はずっと日本である。そんな意識が支配的であるのではないかというのが小生の日本観である。
建国記念日に沿うような内容になったが、時機を狙った意図はない。偶然である。
本日は、補足ということで。
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