2025年2月18日火曜日

ホンノ一言: 米メディア"substack.com"にサブスクしました

先日も投稿したように、Paul KrugmanがThe New York Timesに寄稿してきたコラム記事が昨年末を限りに終了してしまったことを、とても残念に感じていた。他の場所で自らの見解は公表し続けるということだったので、どこかを探索していたのだが、今日 "substack.com" を見つけた。

早速、Krugmanの投稿をサブスクライブした。同時に、彼が推薦するBrad de Long他数名もFollowしておいた ― こっちは全文ではない。毎月700円ほどである。

レディメイドの正解がないように思われる色々な問題をどう考えるか。基本的な社会観に違和感を時に感じるにせよ、というか、だからこそ、一流の専門家の意見は有益だ。それを随時読むことができるのは、それも1000円未満の購読料で読めるのは、普通の市民にとって価値あるリソースだと言うしかない。

英語圏で流通している知的資産の分厚さにはとても敵わない。英語が苦手のときは「Google翻訳」がある。もはや《言葉の壁》はないのである。


日本語文化圏にも歴史を通して蓄積された優れた遺産はあるが、あくまでも「遺産」であって、現世代が創造しつつある活動成果ではない。

今日を生きるには、今日どんな知的成果を出しつつあるかが、決定的である。英語文化圏の活力を見るにつけ淋しくなるのは小生だけではないと思う。


20世紀末まではこんな惨状ではなかったと記憶している。それは町の書店に入って書棚を一覧するだけで感じる。Amazonの日本語書籍を検索しても同じだ。酷いものである、新刊本は。

日本国内の学校教育、出版業界、新聞メディア界のどれもが内部から瓦解しつつあるということなのだろうか?

イチロー外野手、ダルビッシュ投手や大谷選手がMLBで、はたまた三苫選手や久保選手がサッカー界で、八村選手がNBAで、その他多くの人材がスポーツ界では才能を開花させている。これを思うと、現在の日本の知的衰退ぶりは、人材の枯渇では決してなく、制度的・システム的な欠陥によって潜在的な能力が花開いていない。そう考えるべきだろう。

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