2025年2月21日金曜日

断想: 公選法違反の捜査(と判定?)を警察・検察が担当するという体制はありですか?

最近の投稿でも触れているが、民主主義社会の健全な運営は、次第に困難になりつつある時代だと思っている。それが、情報技術上の技術革新とその未成熟にあるのかどうか、まだ明確には分からない。移動や移民の拡大、宗教対立、経済格差拡大、教育の質低下など色々な要因がありうる。

それはともかく、

「政治家」(?)としてブレイク中の石丸伸二氏についてこんなネット記事がある ― ネットとはいえ、既存大手メディアがネット・チャネルで流している記事ではある。

昨年7月の東京都知事選で次点だった石丸伸二・前広島県安芸高田市長(42)は21日、記者会見を開き、決起集会をライブ配信した業者への支払いが公職選挙法違反の疑いがあることについて、「違反の恐れはあると思うが、(業者への)報酬として支払ったとは考えられない」と述べた。

 石丸氏側の説明によると、石丸氏の陣営は知事選投開票2日前の昨年7月5日に決起集会を開催した。集会の模様をライブ配信しようと、陣営幹部が都内の業者に約97万円で発注したが、陣営内から「法令違反になる」との意見が出たため、直前に発注を取り消し、キャンセル料として発注額の全額を支払った。集会当日は業者の代表らがボランティアで配信を行った。

キャンセル料が選挙運動の対価とみなされた場合、車上運動員らを除き選挙運動を原則無報酬と定めた公選法に抵触する可能性が出てくるとみられている。石丸氏は会見で、陣営幹部と業者が LINEライン でやり取りした記録を示し、業者はボランティアで配信を行ったことを改めて強調した。

この問題を巡っては、市民団体が同法違反(買収)容疑での告発状を東京地検に提出している。

Source:読売新聞オンライン

Date:2025/02/21 13:03

URL:https://www.yomiuri.co.jp/national/20250221-OYT1T50066/

いうまでもなく公職選挙法は、民主主義社会の基幹である公職の選挙において、各立候補者の選挙運動が合法であるか違法であるかを判断するための根拠である。

その判定を下すに際して、上の引用文にあるように

……陣営内から「法令違反になる」との意見が出たため、…キャンセル料…を支払った…キャンセル料が選挙運動の対価とみなされた場合、…… 公選法に抵触する可能性が出てくるとみられている。

このように、『〇〇が△△と見なされた場合、公選法に抵触する可能性が出てくる云々』という風に、権力機関が「見なしたり・見なさなかったり」することで、その立候補者の行為が不正であった「可能性」が出てきたり、なかったりする、・・・


こんな不明瞭な判定基準の運用を日本人はなぜ公的権力の裁量に委ねて平気なのでありましょう?小生の好みには全く合いませんが、大半の人はこれがイイと思っているのかな?

しかし、こうした姿勢は

監督する権力機関には性善説を、立候補している民間人には性悪説を

こんなモラル感覚を日本人はもっていることになる。「市民感覚」が薄弱にして希薄であること限りなしとはこのことではないか。


監督する権力機関に性善説をとるのは自由だが、現実には、これとは正反対の選挙例が世界には多いのではないか。日本だけが全くの例外ではないだろう。

また、立候補する民間人は、ホンネでは不正を考えており、統治機関に指導監督されて初めて選挙は清浄化されるのだ、と。日本国民をこう観るのがホントに正しいのだろうか?

日本人の自然な倫理に基づく行動が、法規上「不正」となるよう、そもそも条文がそう書かれている側面はないのだろうか?


むしろ為すべき事は、公権力が恣意的な判定をして、統治側にとって「望ましい状態」を意図的に実現しようとしているのではないかという「疑惑」を払しょくすることである。

統治機構に沿おうとする意図が、例えば「招かれざる人物を排除しようとする一部勢力」という形態をとるのであれば、それこそ昨今の海外事情に似てきている兆候である。

いずれにせよ選挙には、監督する側、立候補する側、これを取り巻く大衆、各方面に不正を犯す動機がある。だから海外では常態化しつつあるが、選挙は不正選挙である疑惑が常にあるというべきだ。故に、その疑惑を払しょくすることが非常に重要になる。


だれが疑惑を払しょくするって?

ジャーナリズムに決まっているでしょう。

なので、上に引用したような記事を読売新聞ともあろう大手マスメディア企業がネットで流すこと自体が、小生にはささやかな驚きであった。

立候補者の不正を疑うなら、告発者の不正をも疑うべきであろう。

公職選挙法そのものが、日本人の自由な政治参加と民意の自然な表れを阻害するものになっていないか。統治機構側の怠慢、というより隠された意図が働いていないか。

まさに眼光紙背に徹する目線が必要なのではないか。

以上、覚え書きまで。



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