先日の投稿で『ブラックボックス・ダイアリーズ』を話題にしたが、既存の大手マスメディアは(小生が視たり聞いている範囲では)「カン無視」を続けている。ところが、どうも此の作品の中の映像使用に関して「法的トラブル」が発生しているようで、ネットでは「事件」として段々と盛り上がってきている。
ドキュメンタリー映画として米国アカデミー賞にノミネートされた日本人初の作品に関わる不祥事であれば、普通なら民放TVがほうっておくはずがない。可笑しいなあ・・・と思って観ているところです。
ネット記事では、(いまのところ)集英社辺りが、映画を作成した伊藤さん側にかなり落ち度があるとか、守秘義務に違反しているとか、人権侵害をも犯している可能性がある、などと、何やら、兵庫県の斎藤知事に対して公選法違反疑惑がその後も報道され続けているのと似たアプローチで、というか(こんな単語はないが)同じ《報道モデル》を駆使して、対象を追っているように観える。
いずれスポーツ新聞や女性週刊誌が続くものと予想される。
外界からみていると、真相がよく分からない。一方は影で、一方の姿だけが見えていて、何やら格闘をしていて、しかし肝心な手足がよく見えない。そんな情景である。
追求する側も、追及される側も、報道をするなら氏名と写真・略歴を公開して、堂々とやりあってほしいものだ。
それが出来ないなら、公開法廷で決着をつければよい。
現代という時代は、尊厳をもって生活している個人が、余りにも簡単に名誉を棄損されたり、生活基盤を奪われたり、一場のドタバタ劇の登場人物に仕立てられたり、世間の興が覚めた後は、そのまま放置されるということが、あまりにも多い。
そもそも人であれ、企業であれ、理由の如何を問わず、契約もせず他人に損失を与えてはならない。損失を被った個人にその損失を受忍する義務はない ― 甘受するなら考えあってのことだろうから他人がとやかく言うべきではない。人の紛争で儲けるのは職業資格をもつ弁護士もしくは弁護士が経営する法律事務所に限るべきで、メディア企業が紛争から利益を享ける資格はない。紛争に関わる業務に第三者として従事するには資格が求められている。
報道が公益に資するというなら、コストのみを計上し、自社利益を含めるべきではない。
戦争を含むあらゆる紛争の報道事業が、プロフィット・センターになるのは、人間として守るべき倫理に反するはずだ。
本日は、この二点を覚え書きにしておきたい。
人に対して損失を正当に与えうるのは憲法・法律で認められた機関だけである。私刑は処罰の対象だ。この大原則を徹底するべきだろう。
戦後日本の民主主義は、《危険な民主主義》に劣化してしまったようだ。
特効薬は限られるが二つは直ぐに思いつく:
- 《報道規制》を合法化する新法を設け、規制が認められる要件を定める。
- 名誉棄損の《損害賠償額》として天文学的数字を(一度で十分だが)判決で示す。
上の二つのいずれかが実行できれば、今日のような憂うべき社会状況は原理的に消失するはずである ― 上の方法は副作用が大きいので、規制対象以外の報道は自由であることを徹底しなければならない。
小生は、最近になって早朝の読経が習慣になり、早寝早起きに徹している。だから、いわゆるTVのニュース番組、ワイドショー番組はほとんど視なくなった。朝にNHKの報道番組のあと、15分程度カミさんにつきあって「モーニングショー」を視るが、後はTV画面から離れる。
意外なことに、それでも、まったく何も困らないことに気がついた。情報は、いくらでもネットから集まってくる。興味がわけば、ちょっと調べれば、多様な見解があることが分かる。この方がずっと良い。
《情報絶ち》、一度やってごらんなせエ、健康にイイですよ。
ずっと以前、投資コンサルタントから、大学の同僚になった人と話している時、初心者の新規契約者には
当分の間、株価を毎日チェックするのは、絶対やらないでください
そんな注意、というかお願いをしていたそうである。
まったくその通り。
テレ東のWBSを視なくなったのは心残りだが、これもYoutubeでリカバーできる。大方のTVニュースは、なくとも可のしろものである。
【加筆修正:2025-02-17】
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