以下の問いかけは少し以前にも書いたことがある:
日本が日本であり続けるのは何によってか?
この問題意識はかなり前からあって、思いつく時々に本ブログでも書いてきている。が、検索するのはキーワードが定まらず、やりづらい。いちばん最近ではこの投稿になるか。
そこでは天皇制に目を向けている。具体的に書くと、こんな下りがある:
天皇があって、日本があるのであって、逆ではない
いわゆる「国体」という思想であって、日本の歴史を観る時の歴史観、というか日本文化観を指している。
この種の歴史観が「民主化」された戦後日本の小中学校の授業で教えられているはずはない。
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日本という国は、島国であるせいか、世界の文化的潮流からしばしば大きく遅れることがある。そんな時、先進的な海外文化を招聘した外国人から伝えてもらうのだが、たとえば先進文化を受容した飛鳥から奈良にかけての時代、戦争技術が一変した戦国時代後期から江戸時代初期にもそんな国際化の時代があったし、明治前期や、昭和戦後初期という時代も同じ状況に日本は置かれた。
そんな時代、日本は世界文明のメインストリームを直接受け入れることで、短期間に大きく変容したが、それでも日本が日本であり続けたのは、上に引用した投稿でも書いているように
その他の具体的議論もあるが、概略的に考えると、明治維新の後、統治権は天皇にあると規定しなければならなかったのは、権力闘争というより、むしろ、こう考えなければ「日本」という国自体が、蜃気楼のような「空中楼閣」となる。天皇が統治する限り、どれほど西洋化を進めても、日本は日本である、と。そんな理解があったのではないかナと、小生は勝手に想像しているのだ。
こんな風に考える立場に小生は立っている。
国が大きく変容を遂げようとしている時、そんな時代にこそ、天皇という柱が必要になる。こんな認識は、実際にその時々の上層階層の意識にあったかもしれない。
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時代をずっと遡って、飛鳥から白凰、天平にかけての時代、大量の渡来系日本人(=移民)が活躍した事実は、教科書でも(軽く?)触れられている ― ちなみに、歴史の授業では、古代から話を始めて、戦国時代、江戸時代に至り、大体は明治、大正辺りで時間切れで終わるというパターンが多い。ちょっと問題ではあります……
例えば、奈良の東大寺は華厳宗総本山としてよりも文化的遺産として日本人なら誰でも知っている(はずだ)が、昔に聞いた歴史の授業で、時の聖武天皇が大仏建立を発願したきっかけが新羅人・ 審祥 の『華厳経』講義であり、大仏開眼法要を導師として主宰したのがインド僧・菩提遷那 であった事実は、それほど力点を置いて説明されてなかったように記憶している。
日本を訪れた外国人専門家(?)の講演を聴いて、その時の天皇が思いついて建立した大仏が、別の外国人専門家によって魂が入れられた、だとしても奈良の大仏が日本の文化遺産であることを、日本人の誰も疑ってはいない。
明治維新の後の文明開化という時代も(多分?)同じような情況であった。近代日本は、明治政府が外国から招へいした外国人教師が教えた日本人弟子か、でなければ外国に研修か、留学をした日本人が、造りあげた国である。それでも日本は伝統的な日本と同じ国であり、明治以後の日本が別の国になったと考える日本人はいない。
まったく違った文明・制度・風俗の国に生まれ変わったのに不思議ではないか。
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科学技術、法律・制度、更には宗教ですら、輸入できる。しかし、人々一般のモラル感覚、意識まで輸入するのは不可能だ。解決するべき数多くの立ち遅れ(?)として日本にある問題個所と向き合うべき今という時代、何度かあった過去の時代と似た状況に、いま日本は置かれている。そう感じるのだ、な。
どれほど巨大な文化的な、あるいは民族的・人的構成上の変容をくぐっても、日本が日本であり続けるのは、何によってか?
たとえ外国人社長がいくら増えようが、日本の名門企業がいくら外国資本に買収されようが、営業現場に外国出身の人がいくら増えようが、日本人が巨額の資産を築いた事実に変わりはなく、日本という国の象徴は世襲される「天皇」であることに変わりはない。
この事に、何だか安心(?)を感じる日本人は実は多いのかもしれない。
天皇という制度は、こんな視点からも、というより、こんな視点から考えるべき事柄なのだろう。
「民主主義」や「男女平等」という話題は、とりあえず無関係と考えておくべきだろう ― 無関係ということであって、否定するという意味ではない。目的にはならないという趣旨である。念のため。
そう思われますが、違うかな?
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