2023年1月29日日曜日

ホンノ一言: 新聞記事には知的な中身があってほしいものです

 Wall Street Journalに面白い寄稿がある。一部を抜粋すると:

バイデン政権の軍事投資に対するアプローチも、中国に複雑なシグナルを送っている。今年度、国防費は増加したが、それは議会の圧力によるものだ。当初提案されたバイデン国防予算ではかなりの削減が予定されていた。このことから中国は、米国が米中間の競争を、少なくとも短期的には軍事的なものではなく、経済的・政治的なものと考えていると結論づけるだろう。つまり、米軍の規模を積極的に制限し、グリーンエネルギーに関する実現性に乏しい計画や無駄遣いに満ちあふれた広範囲におよぶ産業計画に資金を投入することの合理的な説明として、それしか考えられないということだ。

 そうした不手際があったにもかかわらず、バイデン氏の外交政策チームが同盟国との関係維持という地道な作業に着手したことは評価に値する。

Source:WSJ、2023 年 1 月 27 日 15:42 JST 

Author:Seth Cropsey

WSJは経済新聞ではあるが、時にハイ・クウォリティのインテリジェンスが展開されているのは、他の米紙と共通している ― なにもスッパ抜きじみた新事実を暴露しているわけではなく、純粋の知性が光っているという意味だ。

日本国内の大手新聞は、特に「社説」は文字数が少ないせいもあるが、論調がまるで善悪について説教する道徳の先生のようだ。確かに道徳的説教に頭脳は不要だ。

執筆する側の負担も考慮されてか、寄稿であっても長さが十分ではなく、舌足らずになっている。たまに十分な長さの寄稿があるかと思えば、新聞の読者層の教養・知識に配慮しない過剰に学術的な内容であったりする。

これでは若い人たちは読もうという気になれないだろう。分かり切ったことだ。その態度を批判する方がどうかしている。小生も近年の新聞記事が面白いと感じることはなくなった。販売部数が落ちるのも当然か、と。

日本だけではなく世界中の社会運動のコアは感覚の鋭敏な「学生」である。その学生が新聞は読むに値しないと見切りをつけつつある。ネット投稿は新聞の代替物にはなれないと小生は(今は)思うようになった。玉石混交の「玉」はなるほど玉だが、「石」の石である度合いがひどすぎる、加えて石が余りに多い。ネットから得られる情報の<時間当たり期待値>は低い。

本来ならSNSの場において甲論乙駁の論争が視える化され、知識の民主主義的定着が実現されるものと個人的には期待していたが、なぜそれがうまく行かないのか、実は原因がよく分からない。

近い過去から現在までのトレンドを延長して、このまま知的基盤が崩壊していけば、次世代の日本人の知的教養も崩壊して、江戸時代のような「町人」になり果ててしまうのではないかと、そぞろ心配になる。

上の社説は最後にこう結んでいる:

・・・第2次世界大戦前、米国は国防産業基盤を刷新するのに6年かかった。バイデン政権がルーズベルト・ビンソン型の国防拡張政策を行おうとしている兆候はない。バイデン政権が行っている投資は、造船能力を拡大するものでも、ミサイルの備蓄を高水準に維持するものでもない。

バイデン政権が単に惑わされているだけという危険性もある。台湾の防衛に関する軍事的な基礎要因を見誤っているため、短期的には中国を抑止できないという可能性がある。しかし、より危険なのは、米中間の競争は主に経済的・技術的なものであるという見方だ。これでは、台湾に戦う意欲を与えられない。台湾の半導体を必要としなくなった米国は、2024年や2026年ではないかもしれないが、次の民主党政権下で旧友を見捨てることになりかねない。

 優れた軍事力を持たずに経済的な対抗関係を築いたりするといった絵空事を、米国の政策が促進しないようにすることが、連邦議会の責任だ。

何だか日本のリベラル派がみると『とんでもない妄言だ、目にしたくもない!』と激昂するような意見だ。しかし、これも一つの意見で、表現の自由の下に守られなければならない。守るというのは「掲載」し「発表」の場を提供することで実現されるものだ。

もともとWSJは共和党シンパであるが、上のような論調は寧ろ民主党的な香りがする。実際に、バイデン政権は第二次大戦前の「ルーズベルト・ビンソン型の国防拡張政策」 を忘れたかと言いたいようだ。

*

カール・ヴィンソンは戦前期のアメリカ下院議員で、1920年代の海軍軍縮時代の中にあって、海軍建艦計画の必要性を指摘し、ついに1934年に《ヴィンソン・トランメル法》が成立、その後、第二次ヴィンソン案、第三次ヴィンソン案によってアメリカ海軍の充実に大いに貢献した、そんな人物で民主党に所属していた(Wikipediaによる)。

WSJのような記事が国内紙にどんどん掲載され、TVでも激論の場が「討論会」としてリアルタイムで放送されれば、社会の雰囲気は変わっていくに違いない。実際、大正デモクラシーを支えた基盤は明治以来の「演説会」にあったのだから、通信手段の発達した現代日本で開催できないはずはないのだ。

結局はヤル気の有無になる、という結論で。

2023年1月28日土曜日

ホンノ一言: これって「利益誘導」になるかネエ・・・

昨日投稿に関連して一点だけ補足:

話題沸騰中の三浦さんだが、国際政治学者としての学識・実績は専門も違うのでよく承知していない。

が、政府の有識者会議である《成長戦略会議》の場で大いに太陽光発電の有意義さを強調していた(とのことだ)が、それは夫君が経営する企業への《利益誘導》に該当するのではないか、と・・・こんな非難が結構出て来ているらしいからビックリだ。

本稿ではこれ以外の情報を加味しない。とすると、現代日本社会の閉塞性は否定しがたい。

みんなヨッポド《利益機会》に飢えているのだナア

そう思います。こんな感覚が蔓延するのは、新たな利益機会を<ナンタラ保護>という名目で政策的に制限している政府に大いなる責任がある。

マ、それはともかく、

小生はへそ曲がりだもので、異論を述べたくなるのだが、

こんなことを言い出したら、自分の意見を述べることにも要らぬ気づかいを要求されるってものでしょう

そう感じますネエ・・・(だから会議では煙たがられるのだろうネエ・・・)

*

そもそも起業家は成長分野に投資をするものだ。成長分野については一家言ある。だから起業している。成長分野に投資しない経営者はダメな経営者である。

成長ポテンシャルがどの方向にあるのかを審議するために「成長戦略会議」を編成したのだろう。その場に現場の人間か、現場に近い人間を呼ぶのは当たり前であって、まさかゾンビ企業の経営者を委員に任命しても時間の無駄である。

その選ばれた委員は、成長分野は何であるかが分かっている。意見を求められれば、自分には分かっていることを主張するのは当たり前である。

意見を口で言うから会社が成長するのではない。そもそもそんな仕掛けがあると疑う心理そのものが利益機会に飢えている人間像を示唆している。事実はその反対で、実際に会社を成長させるから、その分野には成長性があると発言し、聴いている人も納得するのだ。経験もないのに口先で信じさせるなど、みんなそれ程のバカじゃありませんゼ・・・

賛否の立場はまったく別として、客観的な因果関係はこう理解するべきだ。小生にはどうしてもそう思われますがネエ・・・


自らの事業展開に基づく意見を述べる時に『それはあなたの事業に都合がよいから、そんな事を言うのでしょう』と批判される。だとすれば、会議では何を言えばいいのだろう。一般論を述べておけばお役御免という意味か?税金を使った会議として馬鹿々々しくはないか。一般論なら関係学会と政府共催でコンファレンスでも開けばよいではないか。

頭の中で考える学問的意見を世間の潮流に沿って述べるだけの有識者は「井戸端会議」にこそふさわしく、戦略策定には何の価値もない人ではないかと小生は思うが、違うだろうか?


ま、今回のケースでは上の『実際に会社を成長させるから』という部分が真実ではなく、『詐欺でカネを集めて成長させていた』という疑惑なのだから、もしも事実ならビジネスの話しではなく、犯罪の話しだ。もしそうなら三浦さん云々の件は菅前首相の任命責任ともなろうし、逆に話し全体から一段と権力闘争の香が漂ってくる。


2023年1月27日金曜日

ホンノ一言: エネルギー戦略絡みの権力闘争の犠牲者か、これは・・・

大変「下世話」な話題だが、最近TVワイドショーで盛んに出演している国際政治学者の三浦さんのことである。夫君がエネルギーファンドを経営しており(小生は不勉強で知らなかったが)、他企業から預かった投資資金を"in my pocket"したという̚咎で東京地検特捜部の手入れを受けたとのこと。そのあおりで、ご本人のTV出演も降板のやむなきに至るのではないか、と。世間ではそんな噂でもちきりである。

まったく、実に「下世話な話」で江戸・旧幕時代にも似たような横領事件、そのあおりで連れ合いや連れ合いの実家の面子も丸つぶれというのは、数限りなくあったに違いない。

ただ、現下の電力ガス料金高騰、エネルギー危機、原発再稼働への動き等々、周辺・環境の激変期に摘発されたこの事件。三浦さんご本人も菅前首相の抜擢で《成長戦略会議》の委員に就任するなど、文字通り《時代の風》が順風になって売り出し中であっただけに、この摘発劇、背後に誰がいるのか?

疑惑が濃い霧となって渦巻いております。

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マ、小生自身は再エネ拡大には、一定の限界があると思うし、あるべきだという立場にいる。

三浦さんが話していた<休耕田活用>にも反対だ。休耕田は、日本国内の余剰資本が農業分野に参入し難くしている諸々の規制がもたらしている問題だとみるべきだ。農業を抑制して、太陽光パネルを設置する方向には反対で、むしろ農業分野の成長を重視する立場だ。食の安全、水資源保護、森林等の植生保護、海洋資源保護、こういった自然環境保護は今後の日本にとって極めて重要だ。そもそも再エネ電力は土地集約的、自然資源集約的であるが、高峻な山岳地の多い日本には適していない。故に、水力発電、太陽光発電、地熱発電、風力発電には一定の制約が課されるべきだ。むしろ(現時点では)安い資本要素を集約的に活用するエネルギー生成戦略を選ぶべきである。

再エネ拡大は将来のエネルギーミックスの柱の一つとしては不可欠だと思っているし、実際、インフラ投資法人は利回りの高さもあって投資対象の柱であるが、守りたいものは守りたい。そういうことだ。

だから、必然的に《原発重視路線》を選ぶことになる。

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そもそも「福一原発事故」は、東京電力と言う企業が老朽化した外国(GE)製の原子炉を「呑気に」稼働させ続けた甘い経営から発生したものと考えている ― それが刑事責任を伴うほどのものであったかどうかは司法に委ねるべきだが。実際、2011年の東日本大地震において福島第二、女川など他の原発施設で大事故は起こっていない。原発技術は草創期に建設された福島第一原発から進歩していた。要するに、旧い機械であった。それでも、事故の根本原因は設計の不備ではなく、津波対策が疎かであった点にある。その津波対策が今後将来にかけて不十分となる可能性はもう低い。あとはテロ対策か?しかし、テロならば、(例えば)新宿高層ビル、霞が関ビルを標的にする方がインパクトが大きいだろう……、というか、こんな議論をするのであれば、戦争になったらアソコが危ない、ココが危ないと叫ぶ御仁で溢れるであろう。マ、警備・治安と外交を疎かにしないことだ。極めて大雑把ではあるが、一言で言えば

古くて枯れた技術です。手を抜かなければ大丈夫です。

大筋の理屈はこうなるのではないか。

それはともかく、

これまでにも述べたように、小生は《科学技術の進歩》を信頼したい立場にいる。なので、大都市圏の人口集中地区の建築物に太陽光パネル設置を義務付け、エネルギーの地産地消を目指す位のことは認めてもよいと思うが、居住空間の至る所で太陽光パネルが目に入るのは目障りである。いま暮らしている宅の近くを散策する時に望まれる海越しの暑寒別もふと目に入る太陽光パネル群のせいで台無しになっている。頻繁に買い物に出かけるCostcoの隣地に巨大な風車が回っている風景も、よく言えば「シュールで未来的」であるが、決して美しいとは感じない。遠くから見えるのでドライブの目印にはなるが、目障りでしかない。

野放図な再エネ拡大には嫌悪の感情しか持っていない。

2023年1月25日水曜日

ホンノ一言: 景気後退は何とか避けられると言われているが…

米国のバイデン政権が主力戦車"Abrams"をウクライナに供与する方針だということだ。それもドイツが独製の"Leopard 2"を供与するための条件だったという報道だ。

そうかもしれんナア、とも思われる。読んでいくと、米は30台、独は14台を供与するらしい。ポーランドなども手持ちのLeopard2を供与するらしいが、その位の台数で出来る作戦には限界があるとも感じる。どう受け取っておけばよいのだろう。

こんなことも書かれている:

The White House declined to comment on the deliberations or say when the first Abrams might be delivered, but some U.S. officials said it might take 12 months.

Germany’s defense minister, Boris Pistorius, told German television last week that German and U.S. tanks don’t need to be provided at the same time, leaving an opening for the U.S. to provide the Abrams at a later point.

最初のAbramsが渡されるまで、ひょっとすると12か月かかるかもしれない、と。

マ、何と申しましょうか……だネエ。

 

こんな感じで、何かバイデン政権、それらしい政治はやっているのカヨ、という疑問もありWSJを読んでいると景気の話があった。

Two of the world’s largest economies moved in opposite directions at the start of the year, with U.S. businesses reporting further declines in activity in January while the eurozone saw a modest pickup.

The divergence suggests that while the U.S. economy continues to lose momentum, Europe’s could be stabilizing, at least for now. The pace of contraction in U.S. firms slowed in January, according to new business surveys released Tuesday, a possible signal that the economy could be bottoming out, thanks to slowing inflation and resilient demand.

Combined, the surveys point to a global economy that looks likely to slow this year but could avoid recession.

Source:Wall Street Journal,  Updated Jan. 24, 2023 12:27 pm ET

Author:David Harrison and Paul HannonFollow

要するに、1月になって米企業は落ち込みが目立つが、ヨーロッパは少し持ち直している。

総合すると、世界経済は減速はするものの景気後退には陥らない(かもしれない)。そういう楽観的見通しが少し出てきたらしい。

先日は、対インフレに強硬な姿勢を保ってきたSummersが以下のツイッターを出していた。

If you think about it, the good news was inflation running in the sixes, that's still inconceivably high. Looking at some of these trends, one has to think the @federalreserve's job feels much closer to being done in terms of disinflation.

OECDの景気先行指標であるLeading Economic Indicators (LEI)は12月分しか得られていないが、これをみると今後半年以内に主要先進国はそろって景気後退に陥るリスクが明瞭に示されている。

Source:https://shigeru-nishiyama.shinyapps.io/get_draw_oecd_lei/

ただ、この期に及んでもサービス価格の上昇率が高すぎるという理由で利上げを継続するべきだという超強硬派がFRB部内にはいるという。

このサービス価格上昇については、KrugmanがNYT紙上で数字上の綾でしかないと何度も強調している。

バイデン政権が取り組んでいる政治課題、何だかぼやけていて、何がしたいのかよく分からなくなっているのだが、世界経済の安定化と多くの人々の暮らし向きには目を配ってほしいものだ。


日本の首都圏周辺で連続発生している強盗事件。これも就業機会が豊富にあり、給料がそれなりに上昇する社会で、この3年間のコロナ対応も若年層に過大な負担を担わせるものではなく、もっと冷静な政策を選んでいれば、不公平感も抑えられ、かなりの部分、予防できていた可能性がある。犯罪防止の定石の一つは貧困撲滅である。世界が成長を続ける中で、いくら高齢化が進んでいるとはいえ、日本だけが停滞、というより地盤沈下するという情況は日本政府の政策ミスが原因であると言わざるを得ない。

しっかりしてほしいと思うのは、別に今の岸田政権に限ったことではないが、日本政府も同じだ。


 


2023年1月22日日曜日

断想: 大正という時代の近しさ、親しみはどこから来るのか?

「昭和レトロブーム」が云々されて久しいが、戦後昭和はともかく、「国民総動員」を目指した戦前昭和期ほど現在の日本とかけ離れた世相はない。あの時代に郷愁を覚える日本人はほぼいないと思っている。むしろ大正時代との親和性に注目するべきだと思っている。というより「大正ロマン時代」という言葉もある。

知れば知るほど、大正時代に生きた日本人の価値観や望んでいた夢に、いま生きている多くの日本人は共感を感じるのじゃあないか、と思っている。

★

明治時代に日本は近代化に成功したが大正期に入って、というより日露戦争後(=戦前期におけるいわゆる「戦後」と呼ばれる時代)、日本社会は急速に変容していった。

その社会的激変は、第一次世界大戦の直後に日本を襲った3大ショック、というより4大ショックがひき起こしたものである。

まず第一次世界大戦がまだ終わる前であったが、1918年(大正7年)7月以降全国で《米騒動》が続発した。背景には大戦中に急速に上昇した物価、特に米価によって実質賃金が低下、生活困窮世帯が激増したことが挙げられる。第一次大戦は「成金」と「生活困窮者」の両方を増やしたのである。参加総数は70万人以上、数万人が検挙され、7700余人が起訴された。時の寺内正毅内閣はこの全国的騒乱で総辞職し、政友会の原敬内閣が初の「政党内閣」を組閣した。実に「米騒動」は明治とは異なる大正という時代を象徴する大事件であり、「普通選挙制」への道を開く契機にもなったという意味ではエポック・メイキングな騒乱であった。

次に、1919年(大正8年)6月28日にベルサイユ条約が調印され、平和が到来した直後、株価が大暴落し《戦後恐慌》に陥った。戦時中のインフレで痛めつけられていた家計は、戦後の倒産激増、失業率上昇に一層苦しむことになった。日本最初の「メーデー」が展開されたのもこの年である。また、この年は《スペイン風邪》の世界的大流行が日本にも波及し、患者が激増したピークに当たる。スペイン風邪流行は翌年の1920年には一応終息するが、日本国内の死亡者は1918年夏から1921年夏までの3年間で合計約39万人を数え莫大な犠牲者を出した。

スペイン風邪が終息して少し落ち着きが戻って来たのが1922年であるが、前年のワシントン条約による海軍軍縮から国内造船業は大打撃を蒙っている。

翌年の1923年(大正12年)9月1日には関東大震災があり巨額の社会インフラと民間企業の生産設備が失われるに至った。

戦後恐慌、スペイン風邪、関東大震災という3大ショックに襲われた日本人は、第一次大戦中のインフレで高止まりした物価の引き下げ論も現れたりする中、非常な生活苦にあえぐ状況に陥り、それもあって総じてデフレ基調のダラダラした<慢性不況>の泥沼に置かれる状況に立ち至った。第一次世界大戦の<特需景気>で日本の経済界は盛況に沸いたが、正に『好事魔多し』、日本経済は突然に暗転したわけだ。

大正と言う時代は、最初に「護憲運動」によって桂太郎内閣が打倒されるという「大正政変」で始まり「普通選挙制導入」で幕を閉じた。正に《大正デモクラシー》である。そんな時代の後に、国民総動員体制への移行と軍国主義に彩られる昭和という時代がどういう理由でやってきたのか。当時生きていた日本人の感情をリアリティとともに共感するのは難しい。

★

関東大震災のあと、政府・日銀は「支払い猶予令」や「震災手形割引損失補償令」を公布するなどして、経営不安に陥った民間企業を支援する政策を徹底した。患部を手術して除去する外科的治療ではなく、痛みを緩和する政策を選んだと言える。

この方針は、既に生活困窮世帯の増加から全国的な社会不安が高まっていた世相を考えると、やむを得ない措置であったが、結果としてこの経営支援政策が「大戦後」の世界経済再構築の流れの中で淘汰されるべき《ゾンビ企業》を多数温存してしまうことになったのは、日本の不運であった。金本位制の下の固定相場制を柱とする国際金融体制が再スタートする中で、日本だけは割高な物価が継続しているため、大戦前の円レートでは国際金本位制に復帰できず、円安と通貨不安が慢性化した。日本国債を保有しようと考える投資家に期待するべくもなく、世界経済から脱落する懸念が高まった。それを解決するには高止まりした国内物価を下げ、非効率な企業を清算し、世界大戦前の為替レートで競争できるだけの体力を回復させる政策が要求された。が、政府にはそれが実行できない。こんな袋小路的な国内状況に落ち込んでしまったのが、大正から昭和にかけての時代である。

このような割高な物価水準、慢性不況、厳しい労働市場、生活苦の持続、国際資本市場からの疎外……、これらの経済問題を<一挙解決>する切り札が、浜口雄幸民政党内閣によって1930年(昭和5年)1月から実施された《金解禁》である。大戦前旧レートで国内物価、世界物価とをサヤ寄せさせ経済を正常化するという「超デフレ政策」である。別の言葉で言えば「ついてこれない企業は潰れて有能な社員を解放せよ」という政策であり、過激な《産業再編成》が狙いであった。

マ、この辺のことは前にも書いたことがあるので繰り返さなくともよいだろう。

★

こう書くと、2020年代の日本社会は1920年代の大正から昭和初期にかけての時代と非常に歴史のフェーズが似ているような気がする。

100年前の日本では「普通選挙制度」が望まれるなど、民主主義の徹底が時代の課題であった。今も、ヤッパリ、そうである。同じである。

明治以来の地方の地主層を支持基盤とする政友会に対して、大都市圏の新興経営者層や知識人層に支持が厚い憲政会(後の民政党)とが争ったが、どちらも社会的には恵まれた人間集団であるにとどまっていた。帝国議会の議員先生は庶民の生活感覚がどうしても分からなかったのだ。

民主主義であるにもかかわらず当選した議員たちが庶民の生活の実態に無知である。この点が戦前期・日本の民主主義の限界である。ただ、こんな大正期・日本の東京にどことなく近しい郷愁を感じる向きがある。そして、今もまた「世襲政治家と庶民感覚との乖離」が指摘されたりする。実に似ているではないか。郷愁を感じるのも当然である。

だからなのだろうか、NHKが大正期・東京を舞台にして江戸川乱歩を主役にしたドラマを始めた。中々、面白い。

そして今、あたかも日本共産党の元職員にして現党員が委員長公選を求め始めた。

頭でっかちのエリートにはウンザリだと言いたいのだろうか。

面白い。

いくら学問や研究をしても、問題の所在に無知なら、問題を解決できるはずがない。



2023年1月21日土曜日

断想: 漱石の『則天去私』から「日本人にとっての悪」を考える話し

前にも書いたことがあるが、漱石の最高傑作は『明暗』だと思っている。未完であるが、どの部分をとっても素晴らしい出来栄えだ……、とはいえ、好きな作家は誰かと聞かれれば「三好達治と永井荷風」と応えて来たし、個人的に審美感に共感できる最高の天才は「谷崎潤一郎と三島由紀夫」の二人で、これはずっと変わらない。

しかし、夏目漱石の作品への親しみは少年期からずっと続いている。これはこれで自分にとってかけがえのない財産だと思っている。親しい友人を一人失っても、漱石全集があれば淋しさに堪えられるかもしれない。

★

その漱石が晩年に到達した《則天去私》も大変好きで、その中身を伝える言葉

明暗不二、善悪一如

も、小生にとっては自分自身の一部に化しているほどだ。仏教の

善悪不二、邪正一如

と即応している言葉であるし、この思想と

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

という親鸞の他力思想はほとんど同じであると理解しているのだ。

それで、漱石と善悪一如について資料を探してみようとしたのだが、早速この論文に目がいった。日本人は「悪」というものをどう考えているのかについて著名な民俗学者・柳田国男がどう考察したかが主題である。読んでみたが、とても面白い。鍵になるのは、これも明治の自然主義を代表する作家・田山花袋の作品『重右衛門の最後』をどう受けとるか、である。どちらも「死」と「善悪」を扱っているが、森鴎外の『高瀬舟』とも異なった問題を読者に投げかけている。

★

最近、マスコミの報道ぶりを見ていると色々な分野の専門家が登場する。専門家と言ってもその人の専門分野をコメントするとは限らず、MCから振られた問いかけに何かを言う。それで専門家の意見としている。そんな塩梅だ。

まあ、それを問題視してもメディア企業にとっては「それも視聴者獲得のための戦略です」という、ただそれだけの理由であるのは分かっているから、とやかく問題視する意味はない。

ただその専門家が ― 日本あるいは海外で標準的な高等教育を受けた人物だと思われるが ― 事ごとに『これ自体は許されませんから・・・』とか『悪いことは悪いわけですから』、『被害者が批判されるのはどうかと…加害者はあちらですから』とか、他にも様々な言いようはあるが、こんな風な物言いをすることが多い。

それが、最近、小生にとっては耳障りなのだ、な。


大体、「悪い」とは何か?

時に「法的には問題はないのですけどネ……」と断りながら、「悪い」と断じたりする。法律が善悪を決めるのではないらしい。では一体、誰が、どのように「悪い」と決めるのかといえば、要するにその御仁ご自身なのである。あるいは「世間が悪いと言っている」という情況をハナから大前提に置いている。

実に、耳障りなのだ。


一般的な文化の違いとして、欧米流の思考は実にロジカルである。善悪という判断基準がある以上、善である部分集合と悪である部分集合との共通集合は"Φ"(=空集合)である。つまり、善である行為の集合と、悪である行為の集合とを併せれば、ありとあらゆるどんな行為も投網にかけるように倫理的判断ができる。かつ、善でもあり悪でもある行為は存在しない、共通部分は空集合である、こんな大前提を置いて議論するのが欧米流の明晰な議論というものだ。実にロジカルである。

そんな欧米流の思考を駆使して、かつそれが日本においても有効であると信じている御仁は、田山花袋の『重右衛門の最期』を読んでみるべきだ。

明暗不二、善悪一如

漱石が到達した晩年の心境は仏教でいう

善悪不二、邪正一如

であるのだが、それは人が善人を求めるその行為が自動的に悪人をつくっている。人間社会のそんな側面を指摘してもいるわけだ。とすれば、存在自体が悪である悪人は存在せず、社会がその人を悪人とするから悪人であるに過ぎない。人間社会はそんな「善人」と「悪人」を必ず作ってしまうのだ。こういう理屈になる。「悪人」とは何という哀れな存在であることか……、それが「業」というものだ、と考えるのが日本文化の底流を流れる仏教思想である。仏教思想は《もののあはれ》と《無常観》という日本的感性の基盤になっている。

自然の中に善悪はなく、人間がそういうラベルを付与する人為的結果が善悪という識別である。そして、その識別の仕方は時代を通して変化していく。いま「悪」だとされることも、10年後には「善」だと言われる可能性も大いにある。そんな頼りない議論が<善と悪>である。マア、こう書くと、欧米では到底レポートとして評価されないわ、な。

★

現実に西洋と東洋の文化は、コアの部分で相当に違う。これは日本人自身がよくわかっているはずだ。だから、欧米で主流の政策対応を日本に導入しても日本人はそれに心理的に抵抗して実行困難に陥ることがよくある。例えば、コロナ禍の中のロックダウン、成長政策としての競争促進、労働市場自由化、ソーシャル・セキュリティ・ナンバー(≒マイナンバーカード制度)等々、それから純粋な社会主義、欧米流の市民革命、中国流の易姓革命もあるか……ともかく欧米ではうまく行くが日本では消化不良になった政策は、これまでも数多く挙げられる。その原因を「日本政府の信頼性に問題があるのです」とお茶を濁す語り方が多いのだが、見当違いだ。政府の信頼性が原因ではないと思っている。そもそもが日本人は何かといえば「国が対応するべきです」とすぐ口にする。信じてもいない国に頼るはずがない。うまく行かない理由はそうではなく、欧米とは考え方が違う、日本人の思考の方式が欧米とは違う。だから欧米発の政策を全面的には選べないのである。小生はそう思っている。

やはり《和魂洋才》。日本人に馴染む政策のみを輸入して日本化して実行しているのが、歴史を通して日本がやってきた国内政治である。

とはいえ、日本の企業、メディア、官公庁、学校などオフィシャルな機関は、国際標準になっている欧米流のロジックで構築されている。テレビに出演するような人たちは、公的な規範に従うことを要請されているに違いない。が、現実の日本社会はまた違っている。これでは多くの日本人は政府やメディアのいう事に共感を感じるはずがない。感性や考え方が違うのだ。

こんな社会の《二重構造》は、日本にも韓国にも、あるいは中国にもインドにも、その社会の深部に残っているに違いない。





2023年1月20日金曜日

昨日の続き:少子化対策費であれば消費税増税もありうる

消費税増税で防衛費(=国防費)増額をまかなうのは無理筋だというのが昨日投稿の主旨だった。

では、足元でTVワイドショーがお好みの話題、「少子化対策」に充てるのであればどうか?増税で少子化対策をするのは是か非か?

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防衛費に充てるのは、昨日投稿を待たず、日本の防衛産業の現状を考えれば<論外>だと言わざるを得ない。

大衆課税によって国内所得を吸い上げて、消費を抑え、吸い上げたカネの大部分でアメリカの軍需産業の売り上げ増に貢献して何になるのか?何をすき好んで日本がアメリカを経済支援する必要があるのだろう?マア、こういうことだ。

国防は日本人にとっての<資産>になるのであるから、これは資本財をアメリカから輸入するのと同じである。1万ドルのカネをアメリカに渡し、1万ドルの機械をアメリカから輸入し、その機械がカネ以上に日本人にとって有意義なら差引プラスになる。マア、そんな理屈もあることはある。

しかし、ミサイルや戦闘機は日本人の生活水準向上に何も寄与しない。日本が<安全>になったと喜ぶ日本人はいるかもしれないが、逆に近隣諸国の国民は日本に対して脅威を感じるというマイナス効果を生むだろう。これでは世界的にもネットの効果はゼロである。

故に、大衆課税によって防衛費増額をまかなう、とりわけアメリカから軍需品輸入を増やすという方向は、愚かの極み、バカもいい加減にしろというレベルになる。

*~*~*

しかし、子育て支援は防衛費と異なる。

消費税増税で吸い上げたカネを、そのまま国内子育て家計に支給する。マクロ的には差引ゼロである。国内の家計所得が全体として減るわけではない。

より多く消費する家計の資金を子育てをする(おそらく)若年世帯に移転するという理屈である。より多く消費する家計は若年世帯では(おそらく)ないだろうから、一種の<世代間支援政策>であると言える余地はある。

しかしネエ・・・

より多く消費する世帯には大学生を抱える世帯も含まれよう。家族に病人が出て家計が逼迫している世帯も含まれる。《医療費》、《教育費》を確定申告で(しっかりと)控除できる十分な措置が必要だ―幼少時の塾やお稽古ごとの経費を教育控除の対象とするかは大いに論議の余地があるが。

もし望ましい所得控除、税額控除制度が整備されるなら、消費税増税によって子育て支援を充実するのは大いにありうると小生は思っている。

・・・ちなみに(本日のテーマとは関係がないが)火災保険、地震保険などの損害保険はともかく、公的社会保険料に加えて、任意で契約する医療保険料、個人年金保険料まで控除する措置は不必要だと実感している。民間保険料控除を縮小する一方で、実際に支出した医療費の控除を拡大し、さらに教育費控除を設ける方が時代にはマッチしている。世相に即応して制度の点検は常に行うべきではないだろうか。

以上、昨日の補足まで。