2023年1月22日日曜日

断想: 大正という時代の近しさ、親しみはどこから来るのか?

「昭和レトロブーム」が云々されて久しいが、戦後昭和はともかく、「国民総動員」を目指した戦前昭和期ほど現在の日本とかけ離れた世相はない。あの時代に郷愁を覚える日本人はほぼいないと思っている。むしろ大正時代との親和性に注目するべきだと思っている。というより「大正ロマン時代」という言葉もある。

知れば知るほど、大正時代に生きた日本人の価値観や望んでいた夢に、いま生きている多くの日本人は共感を感じるのじゃあないか、と思っている。

明治時代に日本は近代化に成功したが大正期に入って、というより日露戦争後(=戦前期におけるいわゆる「戦後」と呼ばれる時代)、日本社会は急速に変容していった。

その社会的激変は、第一次世界大戦の直後に日本を襲った3大ショック、というより4大ショックがひき起こしたものである。

まず第一次世界大戦がまだ終わる前であったが、1918年(大正7年)7月以降全国で《米騒動》が続発した。背景には大戦中に急速に上昇した物価、特に米価によって実質賃金が低下、生活困窮世帯が激増したことが挙げられる。第一次大戦は「成金」と「生活困窮者」の両方を増やしたのである。参加総数は70万人以上、数万人が検挙され、7700余人が起訴された。時の寺内正毅内閣はこの全国的騒乱で総辞職し、政友会の原敬内閣が初の「政党内閣」を組閣した。実に「米騒動」は明治とは異なる大正という時代を象徴する大事件であり、「普通選挙制」への道を開く契機にもなったという意味ではエポック・メイキングな騒乱であった。

次に、1919年(大正8年)6月28日にベルサイユ条約が調印され、平和が到来した直後、株価が大暴落し《戦後恐慌》に陥った。戦時中のインフレで痛めつけられていた家計は、戦後の倒産激増、失業率上昇に一層苦しむことになった。日本最初の「メーデー」が展開されたのもこの年である。また、この年は《スペイン風邪》の世界的大流行が日本にも波及し、患者が激増したピークに当たる。スペイン風邪流行は翌年の1920年には一応終息するが、日本国内の死亡者は1918年夏から1921年夏までの3年間で合計約39万人を数え莫大な犠牲者を出した。

スペイン風邪が終息して少し落ち着きが戻って来たのが1922年であるが、前年のワシントン条約による海軍軍縮から国内造船業は大打撃を蒙っている。

翌年の1923年(大正12年)9月1日には関東大震災があり巨額の社会インフラと民間企業の生産設備が失われるに至った。

戦後恐慌、スペイン風邪、関東大震災という3大ショックに襲われた日本人は、第一次大戦中のインフレで高止まりした物価の引き下げ論も現れたりする中、非常な生活苦にあえぐ状況に陥り、それもあって総じてデフレ基調のダラダラした<慢性不況>の泥沼に置かれる状況に立ち至った。第一次世界大戦の<特需景気>で日本の経済界は盛況に沸いたが、正に『好事魔多し』、日本経済は突然に暗転したわけだ。

大正と言う時代は、最初に「護憲運動」によって桂太郎内閣が打倒されるという「大正政変」で始まり「普通選挙制導入」で幕を閉じた。正に《大正デモクラシー》である。そんな時代の後に、国民総動員体制への移行と軍国主義に彩られる昭和という時代がどういう理由でやってきたのか。当時生きていた日本人の感情をリアリティとともに共感するのは難しい。

関東大震災のあと、政府・日銀は「支払い猶予令」や「震災手形割引損失補償令」を公布するなどして、経営不安に陥った民間企業を支援する政策を徹底した。患部を手術して除去する外科的治療ではなく、痛みを緩和する政策を選んだと言える。

この方針は、既に生活困窮世帯の増加から全国的な社会不安が高まっていた世相を考えると、やむを得ない措置であったが、結果としてこの経営支援政策が「大戦後」の世界経済再構築の流れの中で淘汰されるべき《ゾンビ企業》を多数温存してしまうことになったのは、日本の不運であった。金本位制の下の固定相場制を柱とする国際金融体制が再スタートする中で、日本だけは割高な物価が継続しているため、大戦前の円レートでは国際金本位制に復帰できず、円安と通貨不安が慢性化した。日本国債を保有しようと考える投資家に期待するべくもなく、世界経済から脱落する懸念が高まった。それを解決するには高止まりした国内物価を下げ、非効率な企業を清算し、世界大戦前の為替レートで競争できるだけの体力を回復させる政策が要求された。が、政府にはそれが実行できない。こんな袋小路的な国内状況に落ち込んでしまったのが、大正から昭和にかけての時代である。

このような割高な物価水準、慢性不況、厳しい労働市場、生活苦の持続、国際資本市場からの疎外……、これらの経済問題を<一挙解決>する切り札が、浜口雄幸民政党内閣によって1930年(昭和5年)1月から実施された《金解禁》である。大戦前旧レートで国内物価、世界物価とをサヤ寄せさせ経済を正常化するという「超デフレ政策」である。別の言葉で言えば「ついてこれない企業は潰れて有能な社員を解放せよ」という政策であり、過激な《産業再編成》が狙いであった。

マ、この辺のことは前にも書いたことがあるので繰り返さなくともよいだろう。

こう書くと、2020年代の日本社会は1920年代の大正から昭和初期にかけての時代と非常に歴史のフェーズが似ているような気がする。

100年前の日本では「普通選挙制度」が望まれるなど、民主主義の徹底が時代の課題であった。今も、ヤッパリ、そうである。同じである。

明治以来の地方の地主層を支持基盤とする政友会に対して、大都市圏の新興経営者層や知識人層に支持が厚い憲政会(後の民政党)とが争ったが、どちらも社会的には恵まれた人間集団であるにとどまっていた。帝国議会の議員先生は庶民の生活感覚がどうしても分からなかったのだ。

民主主義であるにもかかわらず当選した議員たちが庶民の生活の実態に無知である。この点が戦前期・日本の民主主義の限界である。ただ、こんな大正期・日本の東京にどことなく近しい郷愁を感じる向きがある。そして、今もまた「世襲政治家と庶民感覚との乖離」が指摘されたりする。実に似ているではないか。郷愁を感じるのも当然である。

だからなのだろうか、NHKが大正期・東京を舞台にして江戸川乱歩を主役にしたドラマを始めた。中々、面白い。

そして今、あたかも日本共産党の元職員にして現党員が委員長公選を求め始めた。

頭でっかちのエリートにはウンザリだと言いたいのだろうか。

面白い。

いくら学問や研究をしても、問題の所在に無知なら、問題を解決できるはずがない。



0 件のコメント: