2012年5月6日日曜日

日曜日の話し(5/6)

今日は、四日連休の最終日であるとともに、小生の亡父の生誕日でもある。もっとも浄土にいるはずの父の誕生日を祝うことは、今日ではもうない。

とはいえ、他界したのは近々40年前のことでしかない。長い時間の流れの中から見れば、昨日のことであると言ってよいかもしれない。

前週は源氏物語絵巻を代表とする大和絵の話しになった。いつの間にか話題が地中海から日本に移動した。旅行なら大変だが、ここが話だけをすればいいブログのよいところだ。大和絵は800年代以降、日本の文化全体が中国の影響を脱して、独自の発展を示し始めた時代に生まれた。その時代は、世界帝国・唐王朝の末期の頃であり、中国は内戦で混乱し、周辺諸国に影響を与える力は失われていった。次の宋王朝の時代に再び中国が力を取り戻すまで100年程度の混乱と衰退が続く。中学校の歴史の授業でも習う<国風文化>の時代は、何も日本だけで見られた現象ではないという。


紫式部日記絵詞

大阪・藤田美術館に所蔵されている上の作品は、平安文化の爛熟期である12世紀に描かれたものという。右上にいる人物は紫式部が仕えた中宮・彰子の父である藤原道長であると言われる。「平安時代」は現代人にとって馴染みが薄いが、藤原一族が全盛期を迎える西暦1000年を中心に前後200年と数えると、大体の目安にはなる。その400年は、藤原一門が政界で台頭し、ライバルを排斥し、富を蓄積して、その後一族の内紛や皇室が院政という新手に打って出たこと、そして鎌倉幕府の成立によって、支配力を失うまでの400年である。

東ローマ帝国がギリシア人たちの帝国「ビザンティン」になってから、隆盛期は概ね1000年±200年の合計400年程度である。古代中国の王朝である漢も紀元ゼロ年をはさんで、概ね前漢が200年、後漢が200年程度で寿命を終えている。徳川時代は長いようでも250年である。武士が日本に誕生して、武家の棟梁としての清和源氏、その中でも特に河内源氏が崇敬を集め始めたのが源頼信の頃だから、やはり西暦1000年。その後、衰退と興隆を繰り返した後、最終的に河内源氏の末裔である足利一門全体が戦国の世で力を失うのが応仁の乱以降であるから、寿命は概ね400年余りだ。古代ローマ帝国の黄金時代は西暦100年代の五賢帝時代だから百年間。ただ東西分裂までを数えると395年だから、帝政開始からやっぱり約400年。

どうやら、いかなる超大国・帝国あるいは名門貴族と言っても、一つの体制が400年という時間を超えて、変わらぬ力を行使するのは、どうしても不可能のようである。

古代エジプト文明は紀元ゼロ年前までに約3000年の歴史を経ていた。バグダッド近郊などメソポタミアもそうだ。人類文明の歴史のうち、キリスト生誕以前の方が以後よりもずっと長い。この長い時間の中で、どの権力も高々400年という時間を超えて機能し続けることはできない。国の名称は同じでも、中身は別になって生きるしかない。国は破れても、人のつながり、人縁・地縁は生き続け、また新しい国がつくられては、消える。核兵器の時代ではあるが、いままでの現実が変わるとは思えない。

であるとすれば、これが<諸行無常>ということか。人間の本質は確かに変わらぬものとしてあるとは思うが、国家や権力は、まさに<もののあはれ>、桜の花のようなものだろう。シュンペーターのいう<イノベーション>は、世は予想通りにいかないという意味では、<無常>の中の出来事である。

0 件のコメント: