2024年4月25日木曜日

調整インフレとは逆の調整デフレ。衆愚政治がついにやってくるか?

小生の少年時代はずっと固定為替相場制が続いていて、1ドルは360円だった。これは誰でも知っていることだと思う。

固定レート制というのは、毎日の円ドル相場が強制的に固定されるという意味ではなく、円ドル取引が360円で固定されるように、中央銀行が介入する、つまり為替市場の需給がバランスするよう政府機関の介入行為を国際的に公認するという制度である。

ところが、戦後の高度成長を経て、日本の、特に製造業の国際競争力が強化され、高品質の商品を低価格で販売できるようになった。国内で低価格であれば世界市場でも低価格になるのが固定レート制である。それで貿易収支の巨大黒字が定着した。

当時は、ドルで収入があれば、為替リスクもないので、国内取引に充てるため円に転換するのが普通だった。だから貿易黒字が定着すれば、輸出産業によるドル売り、円買いが増える。実勢としては円高に向かう。その潜在的な円高を止めるため日銀は円を売って、ドルを買うという介入行為を続けていたのが、固定為替相場制という制度の主旨である。故に外貨が蓄積された。

昭和41年(1971年)にニクソン大統領がドルと金の交換停止を突然発表し、戦後の国際通貨体制が崩壊した。その年の終わりには「スミソニアン体制」へ移行し、1ドルは308円に切り上げられた。が、この体制も基本は固定相場制であり、したがって各国は協調介入を行ったわけだが、結局、それでもアメリカのインフレ高進体質は変わらず、そのためドル安基調が続き、ついに昭和48年(1973年)に国際通貨市場は変動為替相場制へと移行することになった。毎日の為替レートは市場が決める。それがルールとなり、政府による意図的な為替操作は原則禁止となった。

で、今日に至る、というわけだ。

1970年代の日本政府の第一の心配は円切り上げ、つまり<円高>であった。

円高になれば、国内製造業が海外で販売する日本製品のドル価格が引き上げられる。販売数量減少が予想される。ドル価格の引き上げを抑えようとすれば、円ベースの出荷価格を値下げするしかない。ドル価格が変わらなければドルベースの売上高も変わらない。となれば利益が減る。どちらにしても輸出産業には打撃だ。

だから<円高>をとにかく回避したい。これが1970年代における日本の基本姿勢だった。


円切り上げを避ける、つまり実勢であった円高傾向に逆行して、円安へと導きたいなら、円の実質価値を下げる。つまり日本でもインフレを興せばよいという理屈は誰でも思いつく。これが《調整インフレ論》である。日本をインフレにしたいなら需要を刺激するのが一番だ。それには低金利を維持するか、でなければ財政支出を増やせばよい。

実際、1970年代の世界経済ではアメリカ、イギリスによる《インフレ輸出》が主たる問題として意識されていた(例えばこれ)。

そして、1970年代前半には一次産品の市況上昇が日本の物価にも波及し、1973年には第一次石油危機が訪れて「狂乱物価」の時代になった。その頃、日本国内では

為替レートを守るために調整インフレを容認したのではないか。輸出産業を守るために、国民にインフレを押しつけているのではないか。

そんな非難が根強くあったことを覚えている人がどれほどいるだろうか?


そもそも為替レートには購買力平価説が長期的には当てはまることが知られている。

同じ1個のBigMacがアメリカでは5ドル、日本では500円という価格が販売されているなら、BigMacを基準とする限り、1ドルと100円は同じ実質価値を持つ。日本でBigMacの価格が低下して、50円で1個のBigMacが買えるようになれば、1ドルと50円が同じ実質価値をもつ。であるので、レートは100円から50円の円高となる。これがBigMac指数である。この対象を広げて、全商品で平均すれば購買力平価となるわけだ。

1970年代の円高基調は円の実質価値が上がったからであるが、それは日本国内の産業の生産性が上がったからである。生産性が上がり、供給力が拡大した一方で、賃金も上がり、所得が増え、市場で循環するマネーも増えて、商品を買い支えることができたわけである。マネーも増えるが、生産能力も拡大されていたので、日本のインフレはアメリカほどではなかった。故に、円高圧力が強まったのである。

しかし、1970年代当時は、マクロ経済の自然な流れに反してでも為替レートを守りたかった。そこで、低金利を維持して国内のインフレ進行を容認した。

現時点はどうか?

日本の当局、というか世間は変わらないもので、ヤッパリ「円ドルレート」にこだわる。1970年代は円高に歯止めをかけたかった。今は円安を止めたい。心理は同じである。


実は、1970年代と同じくインフレは先ずアメリカで進んだ。

ドルでインフレが進むなら1970年代と同じくドルが低下し、円が上がるのがロジックだ。ところが、そうならなかった。

それは、アメリカがインフレ抑止のため金利を上げたからだ。これはドル投資を有利にするので円安を誘う。

つまり足元の円安は、前者の効果より後者の効果が大きいことからもたらされている。なぜ、前者の効果が弱いのだろう?

一つ注意した方がイイのは、日本でもアメリカほどではないが、インフレが進んでいるということだ。このインフレ進行を抑えるため日本でも金利を引き上げていれば、今の円安も相当程度は抑えられたはずだ。

ところが日銀は金利引き上げには動いていない。今はインフレを抑える意志がないということだ。アメリカのインフレは粘着的でまだなお終息には至っていない。日本はアメリカよりもインフレ率は低かった。それでも日本でも賃金は上がり始めており、日米のインフレ格差はやがて縮小することが見込まれる。であれば、金利格差のみが残る。

つまりアメリカはインフレ抑制的であり、日本はインフレ刺激的なのである。故に、それぞれの通貨の予想される実質価値は、円はドルより弱い。これが円安を誘っている側面は否定できないと小生は観ている。

期待インフレ率は統計的に確認されるはずであるが、日本とアメリカとで期待インフレ率は実際にどの程度になっているか。精緻な測定が必要だと思う。

1970年代は、円高基調に逆行して為替レートを守るための調整インフレ論があった。いまは円安を止めたいと願う人が次第に増えてきたようだ。

日本人はどんどん貧乏になっている。海外旅行にも行けない。以前には買えたのに輸入ブランド品は高嶺の花になった。ワインもシャンパンも高すぎる。日本国内の高級ホテルに日本人は宿泊できず、金持ちの外国人ばかりが利用できるようになった。観光地の料理屋に行けば吃驚するほどの金額になった。土産品も高すぎる。何だかすごく貧乏になった感じがする・・・・・・・

これじゃあストレスがたまる一方だ、というわけだ。 

しかし、1970年代のように調整インフレを引き起こして円の実質価値を下げるのは論外だ。確かに論外なのだが、とにかく賃金を上げてインフレにすればいいのだ、と。それで問題を解決できるのだ、と。こんな愚か者が意外に世間受けがいいのは社会全体が愚かになっている証拠だろう。メディアが愚かになると、世間も愚かになり、有権者が愚かになれば政治家は安心して愚かでいられる。単なるインフレが進めばますます円安になるロジックだ。

必要なのはこの反対で調整デフレが要るのだ。調整デフレが言い過ぎなら《調整ディスインフレ》と言えばイイ。要するに、円の実質価値を守るのである。《調整ディスインフレ政策》、具体的には日銀による金利引き上げ政策を主張する人がこの立場だ。金利ゼロから、アメリカ並みの5%は無理でも、2%乃至3%位まで引き上げればイイ。アメリカと同じようにインフレ抑止の姿勢を断固として示せば円安の歯止めになるだろう・・・

小生も、正直なところ、これが本筋ではあると思う。


しかし、この理論はまさに戦前期・日本の民政党・浜口内閣が円ドル相場の安定を目指して金解禁を強行し、超デフレの惨状を招いた「昭和恐慌」を彷彿とさせる。昭和5年(1930年)から昭和6年(1931年)にかけてのことだ。

その当時も投資、投機を目的として大規模な円売り、ドル買いを行った国内商社を浜口政権は非難したものだ。足元の日本でも、財務省が投機筋を非難するかと思えば、新NISAを活用して米株を買っている人に非難がましい視線が寄せられている。

浜口内閣による金解禁は当時の日本経済の病根にメスを入れるという意図をもっていた。というのは、第一次大戦期のバブルとバブル崩壊、関東大震災による打撃、この二つで増大した不良債権、国際競争力を失い貿易赤字が続く中で脆弱になった円レート、ゾンビ企業を延命させるための産業政策と、こうした1920年代の経済政策を180度転換して、旧金本位制下の固定為替相場へと復帰するためのデフレ政策。これが金解禁であった。

この金解禁は、当時の日本経済と政党政治を崩壊させるほどのものとなったが、結果としては日本の産業を大いに強化したと小生はプラスの側面を見たくもあるのだ。この点は前にも投稿したことがある。


もう一つの可能性は1960年代の高度成長期の経済政策だ。低金利下で設備投資を加速し、国内産業の生産性が上がれば供給能力が拡大する。供給能力が余剰能力にならないようアコモデイトすれば結果として円の実質価値が上がる。生産性向上を通した供給増加と商品安、つまり実質的なデフレ政策なのである。

上のどちらも「調整インフレ」とは逆の「調整デフレ」、イヤイヤ「調整ディスインフレ」と言える。

但し、現時点の日本はエネルギーとマンパワーにボトルネックがあり、それを根本的に解決する政策を何ら検討していない。飛躍的な省エネルギー技術が進展するならまだしも、設備投資をしても総供給能力が上がらない確率が高い。ここにも(今は目立たないが)日本のインフレ体質が隠れている。マスメディアも(分かっているのだろうが)無視を決め込んでいる。大谷選手と殺人事件ばかりを話題にしている。昔のスポーツ紙、芸能誌と同じだ。

まったく、どいつもこいつも無責任野郎だて・・・

つくづく思いますネエ。

ともかく、足元の円安は意外と根が深いかもしれないのだ。これをくつがえして、円安を円高にもっていくには、だから、1970年代の「調整インフレ」とは逆のことを実行することになる。もちろん同じ「調整デフレ」といっても上に述べた後者の方が良い政策であるのに決まっている。当時と同じ人物が日本社会の上層部にいれば、逆の状況でも政策を上手に展開できるかもしれない。しかし、当時の日本を支えた人物群は今はもう世を去っている。


金解禁のような強烈な国内産業再編成を強行するという選択が、意図するにせよ、しないにせよ、無知のためか、蛮勇のためか、まるで初心者が大胆な運転をするような感覚で実行されてしまう。そんな時が来るのではないか。正に《衆愚政治》である。

衆愚政治が展開される前提は足元では充たされている。そういう予感を感じる今日この頃であります。危ない、危ない。




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