2012年5月23日水曜日

いまや死語と化したスピリット ― 反骨精神

北海道地方限定のTV番組でS市の北25条付近に位置する洋菓子店「モンレーブ」が紹介された。その店は、懐かしいバタークリーム・デコレーションケーキを今もなお作り続けているので、今朝紹介されたわけである。パティシェの店主はもう70歳を越す大ベテランで、S市の西にある港町O市が華やかに栄えていた頃、支店を構えていたコロンバンで修業したとのことだ。

とにかく仕事は厳しくて、つらかったですけどネ。それに中々上手にならない。でもね、<反骨精神>って言うんでしょうか、今に見ていろと。そんな気持ちで先輩の技を盗んでいきました・・・
独立して店を出して、生クリーム全盛のいま、それでもなお昭和世代にとっては懐かしいバタークリームを作り続けているのは<KY>の典型でありますねえ。風を読まない。頑固である。我を張る。人の助言をきかない。すべてこれらは、現代日本的価値尺度でマイナス点がつくだろう。しかし、そんな人が、敗戦後に国家再興を進めていた頃の日本では最も求められた人材であったし、おそらく今の日本、これからの日本でも一番必要な人物像であろう。この点だけは、小生、間違いない。そう確信しているのだ。

しかし、いま一番必要な人材を教育で作り出そうとすれば、中央統制をやめない教育官僚と権力の味を知る政治家に批判の刃が向けられるのはほぼ確実だ。だから、重要性はわかってはいるが、そんな政策はとらない。ま、実際には当てはまらないとは思うが、万が一、これが事実だとすれば日本の未来を奪っているのは、日本の政府である。そう言えますな。

火力発電にシフトする中でコスト上昇に苦しむ電力業界によい情報が出てきた。安価な低品質炭を液化する技術を商用化できそうだというものだ。
日揮は火力発電用の新しい低価格燃料を開発し、2015年から生産を始める。これまで使えなかった低品質石炭を加工して液化した燃料で、約300億円を投じてインドネシアに生産設備を建設。日本やアジアで販売し、3~5割安い価格で石油火力向けの重油の代替を目指す。世界の石炭埋蔵量の約半分を占める低品質炭の活用が進めば火力発電コストの低下につながりそうだ。(出所: 日本経済新聞2012年5月23日)
会計上の発電コストは、原発には及ばないが石油火力や太陽光よりは遥かに効率的である。



もちろん、このコストは会計上のコストであり、環境へ与える全ての外部不経済を加味した経済的コストではないと思われる。

全原発停止は市場環境の変化である。その変化がこうした企業行動の変化を誘発した。日揮という企業は、何も<日本国>のことを思って新技術を開発するわけではない。もうけるためである。だから感心できない、評価できないと言い出したら、その人は共産主義者である。利益は企業にとっては確かに目標だ。しかし、社会の観点に立てば、利益はツールであり、目標を達成するための手段である。目標は、日本国のエネルギー事情を改善することである。目標を達成できれば、全員が助かる。全員が助かる方法を見出した者には褒賞を与えるほうが早く助かるだろう。それが利益である。政府は、感謝状を発行したり、褒賞を与えたり、その他一切、何もしなくともよいのである。アダム・スミスが「見えざる手」と形容したのはこれである。

市場経済は、それ自体に価値があるわけではない。(政府にとっては、低コストで)社会経済の運営ができるから価値があるのだ。マーケットに委ねておくと、国民の目標を自然に達成できることは多い。だから使う。それだけのことである。目標を達成できなければ、市場には任せない。当たり前のことだ。しかし、代わりの手段がえらくカネを食うようなら、これも困る。

いま日本の政府にはカネがない。であれば、やるべきことは安上がりの社会運営技術を利用することだ。つまりマーケットに委ねる分野を増やすのが理屈にはかなっている。というか、自然だ。やり方を変えないまま、カネが足りないから、増税する。不自然である。とはいえ、<市場>なるもの、<市場的なるもの一切>を日本人が心から嫌っているのなら、それは仕方がない。社会を運営するには、カネがいるのだから、増税を承諾するしか仕方がない。「いるものはいる」。これが今の社会状況であろう。カネがかかって仕方がないなあ・・・・金持ちのはずなのに、どこか貧困感をぬぐえないのは、そのためだと思われる・・・小生の親戚にもいます、そんなタイプが。

いや<反骨精神>から、グダグダとくねるうちに、増税の話になってしまった。能率が悪い原因についてはまたにしよう。

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