2012年5月25日金曜日

民主党内・増税ゲームの行方は?

提出されている消費税増税法案に対して小沢グループは反対を唱えている。これではまずいので総理・党執行部が話し合いの場を模索している。近日うちに総理と小沢一郎元代表が会談することにもなった。

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消費税率引き上げについては、本来、税率という軸、その他の税という軸、歳出構造見直しという軸、時間軸という四つの軸に沿って検討しなければならない。しかし、マスメディアの報道振りをみると「要するに増税に賛成か、反対か?」だけの単細胞的政界事情に堕しているので、誰がどんなことを構想しているのか、全く伝わってこない。「ここで△△選手がヒットを打ちました」、そんな風でありプロ野球結果の放送と同じなのである。

消費税率引き上げは永遠に絶対的にダメというなら、では今の財政をどうするというアイデアを提出しないと政治家とは言えまい。税収は予算の半分にも達していないので歳出を半分にカットすることを主張しないといけない。なぜそれを主張しないのか?堂々と主張するべきである。主張するべきことを主張するなら、そこで初めて<ドイツ流の財政緊縮路線>と<社会民主主義的財政政策>との路線対決が実現し、この日本でも歴史的政治劇が繰り広げられることになる。国会議員として月額2百万円に迫る報酬を得ている以上は、反対派と勝負するのが<志>ではないかと小生などは思うのだが、これはひょっとすると小生個人の勝手な思い込みかもしれない。

考えてもみなされ。国会議員を続けてはじめて報酬をもらえる職場である。タカ対タカのゲームを展開して、明らかな敗北を喫するかもしれないリスクは嫌であろう。そんなリスクを双方ともに負担するより、妥協をして折り合えるように協調するほうが敵味方双方にとって得である。但し、妥協をするにしても、どちらがタカであり、ハトであるかを決めないと妥協は成り立たない。もちろん最初から融和的にハトになることを申し出てもよいが、申し出れば相手は高姿勢に転じてタカとなる。それ故、解はタカ対ハト、ハト対タカ。いずれかでなくてはならない。

このような古典的なタカ−ハトゲームが、民主党内政争ドラマにも当てはまっているように思われる。陳腐なのだな、実に。だとすれば、<限定戦争>が効果的である。<示威行動>である。自分たちの勢力と決意を示して相手に譲歩を迫る戦術である。「お前が譲れ!」と。「おれがタカになる!」と。もちろんこれは小沢一郎の師匠である田中角栄が巧みであった戦術でもあったろうが、相手が引かず全面戦争になれば、自分も破滅するというリスクがあるわけであり、その意味ではいま世界で流行している<瀬戸際戦術>である。

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小生のみるところでは、全面戦争になれば、どうも野田政権側が最終的には勝利し、小沢反主流派側が屈服することになるのではないかとみる。やはり霞ヶ関官僚集団が(曲がりなりにも結束して)政権側を支持しているのは、たとえ検察が動けないという点を認めるとしても、江戸時代の「大奥」を抱き込んでいるのと同じであり、最終的勝因になると思う。

反対派の小沢グループには、消費税率引き上げに代わりうる妙案が(多分)ない点が最大のウィークポイントである。激烈な歳出カットは、たとえ公務員給与を5割引き下げるとしても到底不十分である以上、歳出全般の削減になり、それは増税と同じ程の痛みを国民に与えるであろう。これでは<痛み>という点で、いまの増税案とあまり違わない。国民全体の痛みは同じ、歳出カットという点では官僚が猛反対となれば、説得力をもつはずがない。だから「消費税率引き上げ絶対反対」は、小沢一郎議員にとって、割にあう勝負ではないのである。

もちろん長期的に言えば、歳出カット、民営化の加速、規制撤廃をするのが、いま恵まれている経営側はともかく、大多数の日本人には(結果として)最大の恩恵を及ぼすはずである。カネのない日本政府が歩むべき自然な道である。それは滅亡への道だというのは、日本のエスタブリッシュメントによる宣伝である。宣伝にすぎないのだが、しかし、日本列島は孤島であり、宣伝が宣伝だとは知られておらず、開放すると本当に滅びるのだと見られている。戦後の歴史を見ると正反対であったのに、そんな事実を語る経営者・労働組合上層部は今はいない。

小沢一郎議員が信念を通すなら、消費税増税に反対して、「それからどうする?」。ここを語らないといけない。ここを語らずして勝機はない。「今は反対するのが賢いよな」と、この程度の覚悟なら、つまりは好機に乗ずるだけのオポチュニストであるわけで、ただの条件闘争である。チルドレン達の首を守りたい。チルドレン達にかつがれて、見捨てることができない。「我が敵は増税でなく議席配分にあり」。何となくそんな風に見えますなあ。だからバーターではないかという訳。これでは歴史にも残らない、つまらない政治家であったと後世の人に言われておしまいになろう。

(以下、あとで追加)
それにしても<3.11大震災>や<福島第一>、<全原発停止>、<エネルギー制約>など根本的環境変化がありながら民主党のマニフェスト回帰が唱えられたりするのは、一体全体、どういう思考回路なのだろうなあ?これもまあ<示威行動>の一つであるとは分かっているが、世に通ると考える国政議員のその感性がなあ・・・と、いまこんなことも思ったということをメモしておこう。確かに<改訂マニフェスト>を出すべきところであるし。

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