2011年8月22日月曜日

覚書 ― 米国はなぜ日本の二の舞にならないのか?

ウォール・ストリートジャーナル日本版(8月21日12:20配信)に、アメリカ経済が日本化する危険はあるのかないのか、という解説記事が掲載されていた。

本日のタイトルのとおり、それはない、というのが筆者の結論である。その根拠として三つ挙げられている。後で読めなくなるかもしれないので、本文を引用させてもらおう。
野村証券のエコノミスト、ポール・シェアード氏は米国が日本の二の舞を演じることはないと主張、主な相違点を指摘した。
「1990年の資産価格バブル崩壊以降の日本の特徴は、資産圧縮やバランスシート調整といった問題を抱えことや、低成長が長引いたことではない。むしろ、政策の誤りが繰り返された結果、デフレに陥り、そこからずっと抜け出せないでいることが日本の特徴だ。日本が犯した主な政策の誤りは3つある。まず、日本は金融機関が抱える資産の減損問題を認識し、それに対応するのに時間がかかりすぎた。この問題は金融政策を妨害し続けた。 さらに、中央銀行は金融政策において、デフレ払拭のために必要な「何でもする」という姿勢(例えば、十分に積極的な量的緩和を行う)を取ることはなかった。そして財政再建路線への転換が早すぎた」
つまり、シェアード氏の言葉の裏を読むと、90年代日本の失敗の原因は<政策当局の判断ミス>である。具体的には、

  1. 金融機関監督当局が不良債権問題から目をそむけ続けたこと。というより金融機関に騙され続けた。
  2. そのことによって金融政策が手足を縛られたこと。具体的には金融機関の支払金利負担軽減を目的にゼロ金利政策を余りにも長期間継続し、それが日本経済から金利機能を奪いさり、不効率な事業が非常に長期間温存されることになってしまった。
  3. デフレ防止の覚悟が不十分だった。

 こういう分析である(但し、この箇所には本ブログ投稿者の解釈がやや混ざっている)。アメリカは、確かにデフレが発症していないとはいえ、すれすれの状況であり、症状としては今後デフレーションに陥る危険性がないとは断言できない。しかし、アメリカの政策当局はデフレーションの危険性を既に十分認識し、その防止のためにはどんな政策手段をも実行する覚悟をもっている。加えて、民間金融機関も自らが抱える不良債権を温存することの危険性、それが国民経済全体に与える危険性を正確に理解している。政府が、財政再建路線を性急に進めようとする可能性がないとは言えないが、その場合にはその場合で、必要な対策が何かをアメリカは分かっている。それ故に、今後のアメリカ経済が90年代日本の二の舞を演じるとは(現時点では)考えにくいのだ。

確かに客観的かつ冷静な見方である。小生も同感だ。

80年代末のJapanese Bubbleは90年初から株価、6大都市市街地価格指数でみる土地価格が下げに転じ終焉を迎えた。しかし、根拠なき将来見通しからバブルの余熱は残り、無謀な投資プロジェクトは90年以降も実行され続け、GDPなどでみる景気循環は93年10月になって、ようやく底打ちしたのであった。国内卸売物価はバブルが終焉しても直ぐには低下しなかったが、91年後半には前年比がマイナスとなった。95年からは、消費者物価指数やGDPデフレータからも日本経済がデフレーションに陥ったことが明らかになった。この時点までの日本経済の変化に政策当局の判断ミスはそれほど大きくはないと小生は考えている ― 但し、株価や市街地価格指数が下げに転じている中で、資産価格の動きをそれほど重要視せず、インフレ抑制にウェートを置きすぎたのではないかという指摘はあってもよいだろう。

そのデフレーションが一過性、急性で終わることなく、日本の経済構造に深く織り込まれた慢性的なものとなったのは、これはどう見ても政策当局の政策運営ミスとしか言えないのであって、この辺りアメリカは非常によく研究しているなあと感じる次第なのだ。

病根を放置したまま ― 当時の流行語で表現すれば「ゾンビ企業」を生かしたままで ― 何を考えたか、血迷ったか、その時点の大蔵省が唐突に弱者切り捨て路線へ金融行政を大転換し、拓銀をいきなり破綻させ、三洋証券、山一証券を消滅させたのは、ショック療法とはもはや言えず、ズバリ「無責任行政」ではないかと、後世の歴史には記述されるのではないだろうか。その後の長銀国有化、銀行統廃合をここで書いても仕方がないが、官僚集団の行政判断は余りに場当たりで、かつ無計画、というより成り行き任せであったように記憶している。この辺り、既に10数年が経過し、当時政策現場にいた人たちも、ある人は既に故人となり、まだ健在の人も次第に当時の思い、経験について記憶が薄れていくだろう。既に大量の資料、書籍は出ているが、なお一層のこと<失敗の経験>のドキュメントと肉声を後の世のために残してほしいものだ。振り返れば、住専問題紛糾で公的資金投入には懲りたのだろうが、一連の失策は戦前期の1927年金融恐慌の引き金を引いた片岡蔵相失言事件に匹敵するというより、官僚組織では乗り越えることのできない政策課題が顕在化したケースとして、大学院教育でも研究素材にするべきだ、当事者たちの能力不足とか、プロがいなかったとか、そういう問題ではない、小生はそう見ている。

いままた原発事故とエネルギー危機が到来し、日本の産業構造計画とエネルギー戦略の見直しが求められている。熟慮するべき課題ではあるが、熟慮する時間が長きに過ぎれば、日本経済は一層衰退の道をたどるだろう。今回、再び不適切、かつ成り行き任せで無責任な行政判断を行い、それが原因で日本経済が大きく毀損すれば、さすがに明治以来の伝統ある官僚組織も決定的に信頼を失い、政策立案の権限も重要政策の実行権限も全て失うだろうと予想している。万が一、そうなれば、それは近代プロシアから直輸入した官僚国家モデル、その寿命が尽きたということでもありましょう。敗戦の後、象徴天皇制となってなおよくも頑張ってきたものだ、そんな一抹の思いもする。・・・一片の新聞記事から、こんなことまで予想するか!?そう言われるかもしれませんけどね・・・

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