2011年8月4日木曜日

日本化って世論への迎合のことですか?

英誌The Economist、7月30日号の特集テーマは<日本化(Turning Japanese)>だ。この記事の内容が日本の新聞でも続々と紹介されている。The Economistが使っていた下のカットを見た人も多いだろう。

ご覧のとおりオバマ米大統領とメルケル独首相が(古き良き時代の?)の日本人と化している。どうやら最近世を騒がせた世界同時国債危機。その危機に直面した首脳たちがとった行動は、エコノミスト誌の目には、「まるで日本人のようではないか」、そう思わせるものであったらしい。どこが?日本紙はその辺を「リーダーシップの欠如」と極端に要約して紹介している。とりあげるのは良いが、オリジナルはどんなことを書いていたのか、ある程度までは正確に紹介した方がいいようにも感じたのである。

リーダーシップが欠けている=日本化、というこの等式。まあ、これについて、我々日本人にさほど異論はないのだが、何故にリーダーシップが発揮できないでいるのか?この原因分析が非常に面白い読ませ所であったのだ、オリジナルは。ここでは、それを覚書までに、書き留めておきたい。

エコノミスト誌が、結論として言いたいことは次のことだ。
Now the politicians have become the problem.... Even if the current crises abate or are averted, the real danger persists: that the West’s political system cannot take the difficult decisions needed to recover from a crisis and prosper in the years ahead.
要するに、今回の方策や合意は痛み止めであって、単なるその場しのぎ。本当の問題は何も解決されておらず、為すべきことから逃げている。一番そう言いたいわけだ。ま、そうだろうね、専門家も余り評価していない。

その後、ヨーロッパとアメリカに分けて、本当に解決するべき問題は何なのか、結構詳細に論じている。しかし、今回の特集記事全体の勘どころは、次の下りであると小生はみた。
In both Europe and America electorates seem to be turning inward. There is the same division between “ins” and “outs” that has plagued Japan. In Europe one set of middle-class workers is desperate to hang on to protections and privileges: millions of others are stuck in unprotected temporary jobs or are unemployed. In both Europe and America well-connected public-sector unions obstruct progress. And then there is the greatest (and also the least sustainable) division of all: between the old, clinging tightly to entitlements they claim to have earned, and the young who will somehow have to pay for all this.

Sometimes crises beget bold leadership. Not, unfortunately, now. Japan has mostly been led by a string of weak consensus-seekers. For all their talents, both Mr Obama and Mrs Merkel are better at following public opinion than leading it.

The problem lies not just in the personalities involved, but also in the political structures. Japan’s dysfunctional politics were rooted in its one-party system: petty factionalism has survived both the Liberal Democratic Party’s resounding defeat in 2009 and the recent tsunami (see article). In America’s Congress the moderate centre—conservative Democrats and liberal Republicans—has collapsed, in part because partisan redistricting has handed over power to the extremes. In Europe national politicians, answerable to their own electorates, are struggling to confront continent-wide problems.
<日本化>(=日本病への罹患)という時に、最もそれを特徴づける症状。それは様々の"ins"と"outs"。要するに、利害集団に分断された党派対立。仲間とよそ者を区分する派閥行動が社会全体の知性と活力を奪いつつある。これが日本病の本質だとエコノミストはみているわけであって、この認識は小生も全くもって同感なのである。

欧州には既得権益を手放そうとしない中流階層がいる。それに対して、非常に多くの人たちは規制で守られていない臨時雇用者(=非正規労働者)である。アメリカでもヨーロッパでも公共部門の労働組合が社会の歩みを止めている。そうして最大の利害対立。それは高齢者と若年層の対立である。社会からカネをもらう権利があると(何故か)信じている集団と、そのカネを(実際には)負担している集団である。

社会が危機に直面すると、しばしば大胆なリーダーシップが発揮されてきたのであったが、今は違う。日本では、社会が危機に陥っているにもかかわらず、合意ばかりを尊重するひ弱な政治家が、もう何人も交代してきている。アメリカもヨーロッパも政治家がやっているのは、これと同じであって、今や彼らはRent-Seeker(レント・シーカー=既得権益追及者)ならぬ、Consensus-Seeker(コンセンサス・シーカー=合意追及者)である。オバマ大統領もメルケル首相も、社会に問題解決への道筋を指し示すのではなく、世論に従っている。指導者のこの姿勢が、社会をより重大な危機に誘導している。そんな危機感がエコノミスト誌には溢れているのであって、小生はこの点をこそ、紹介してほしかったと思うのだ ― 世論アンケートばかりをやっている日本のマスメディアとは矛盾する感性ではありましょうが。

問題を解決できないでいるという<危機>は政治家自身の人柄によるものではない。政治システムに原因がある。日本の政治システムは、ずっと一党体制であった点に今日の機能不全の原因がある。一党体制の中で日本の政治を切り刻んだ党派主義が、自民党を打倒した民主党にも、遺伝子のように伝わってしまっている。同じ症状がアメリカにも認められるようになった。民主党右派と共和党左派から構成される中道は、党派的利益に沿った選挙区割りをきっかけに崩壊し、その後には極端な言動をはいては注目を集める政治家が台頭した。ヨーロッパの政治家はヨーロッパ全体の利益を考えなければいけないのだが、実際には自国の選挙民の願望に応えようとしている。

考察がここまで進んでくると、<日本病=リーダーシップ欠乏症>という認識は、外見の症状だけをみた漢方的臨床診断であることが明らかだ。日本と類似の症状を呈してきたアメリカ、ヨーロッパの政治機能不全。もっと本質的な病因がある。それは政治の構造にある。その構造が様々の党派主義に浸食されている。まるで<思想的ウィルス>の発見でありますな、この認識は。病気の原因を微生物に求めた近代医学の視線である。こうした議論の進め方、本当にセオリティカルであって、小生はヨーロッパ的知性の香りというか、悪く言うと臭いを感ずるのだ。どちらにしても、日本がとか、アメリカがとか、欧州がとか、のような個別特殊的な議論をするのではなく、共通の原因による一般的な<政治的病気>であるという認識。そこから解決への方法を考え出そうとする態度。いや、全く流石に科学が根付いている国の雑誌である。この辺り、編集の本質が違うと思うのだ。

水俣病は日本の風土病かと思いきや、それには特定の化学物質が体内に吸収、蓄積されていたという原因があった。その原因が存在すれば、世界のどこでも水俣病は発生する。日本を特徴づけたリーダーシップ不在。それは日本特有とも思われたが、同じ要素が社会に導入されれば、日本以外のどの国(先進国限定か?)も同じ症状を呈する。

社会的医師の眼ではないか。やっぱりシャーロック・ホームズが誕生した英国の経済誌であるなあ。日本紙の紹介はどこか感性が日本的で、まるで翻訳で読む「シャーロック・ホームズの冒険」のようであったのは仕方がない。そんな印象を覚えたのである。

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