昔、読んだ本を取り出すこともある。今日は白川一郎「内外価格差とデフレ経済」(通商産業調査会)を読み返してみた。すると、
95年春から始まったデフレ論議は、日本経済の先行きに悲観的な見通しを投げかけ、これまで取られた景気対策に加えて95年11月にはさらに戦後最大の景気対策が実施されることになった。こんな下りが目に入り、う~ん、確かにそうだった。それで、96年には景気が急速に回復して、橋本内閣は自信を深め、構造改革路線を突っ走ったのだったなあ。97年の消費税率引き上げは景気判断がカギだったなあ。色々なことが思い出されます。阪神大震災は95年の1月17日に起こったのだが、被災面積が限定的でもあったので、むしろ復興特需のプラス面が強調されてもいた。意気消沈という感じではなかった。バブル景気は終焉したが、まさかそれが失われた20年につながるとは夢にも思わず、日本人は「まだまだやれる」と信じ切っていた。本当に、夕映えのような時代でありました。
読んだのは第1章「内外価格差とデフレ経済」で編者の白川氏(当時、立命館大学教授)自らが執筆されたところだ。
少なくとも、筆者の認識によれば、現在の価格下落は財界を問わず一般に共通した認識であった内外価格差是正のために取られた政策の結果生じていると理解するのが素直な見方であろう。氏は経済企画庁出身の官庁エコノミストであるが、このような見方は官庁で仕事をされた人たちにとっては相当共通の目線であったようである。たとえば、2003年に出版された「日本はデフレではない―インフレ目標論批判―」(小菅伸彦)でも、概ね同様の見方が展開されている。小菅氏も経済企画庁で経済分析を担当したエコノミストである。
内外価格差を簡単に説明すれば、
内外価格差=購買力平価÷為替レート
という式で求められる。つまり、昨今のように為替レートが円高に振れた時、たとえば100円から80円にレートが変化したときには、1ドルの商品が100円ではなく80円で流通していることになる。だから、日本国内の価格も100円から80円に値引きしないと割高であることになる。この値引きは、デフレではなくて、<内外価格差の是正>である、そう認識するわけだ。1985年のプラザ合意をきっかけに猛烈な円高が吹き荒れ、これでは日本経済は持たないということで「前川レポート」がまとめられた。その後、89年から日米構造協議が進められ、日本経済の構造を自由市場型に再編成していこうと、多くの規制緩和が実施されたわけだ。中でも流通産業の規制緩和は有効に作用して、郊外型のディスカウントストアの開店と<価格破壊>が日常的に聞かれるようになった。
読んでいると、誠に懐かしい思いがする・・・・
上の見方はほとんど正しいのだが、「待てよ」という点がないこともない。デフレと称していた日本の物価下落は、割高であった日本の商品価格を世界水準に是正していただけであったのか?悪い所を治していたのだから、良くなってきたはずですよ。これは現実感がある説明だろうか?
この20年間、世界市場で安くなってきたのは、どこでも製造できる工業製品だ。世界で安くなっている物は日本でも安くならないとおかしい。日本では、特別に割高な価格で販売できると考えた製造メーカーのほうがおかしかったのだ。だから流通を自由化して価格破壊が進んだ。これはよい。しかし、割安になった商品があれば、割高になる商品もあるはずだ。高い、安いは比較の問題なのだから。
アメリカでは、金融、教育などの専門的サービスの価格が非常に高くなった。モノには金を払わないが、知識・技術には金を払うという「知価社会」の時代だ。だから価格の合計指標であるGDPデフレーターも、アメリカでは下がっていない。日本では、GDPデフレーターが下がっている。それは、日本では高くなるべき商品の価格が十分高くならなかったためである。それは、高く売れるはずの商品が開発されなかったから?開発できなかったから?学力低下のため?それとも、本来、もっと高く売れるのに政府が価格を規制しているから?事情は様々である。
アメリカのサービス価格が日本のサービス価格より高いなら、アメリカ人は日本人の同じサービスを買うはずだ。日本人がアメリカ市場に出張って行って、そこで営業すれば、繁盛するはずだ。そういう理屈が働いていない。国境という壁は、日本を外国人から守るためだけではなく、日本人の対外進出を抑える働きもしているのです。いずれにしても、結果として、世界市場におけるMade in Japanに対する評価が、全体として下がり続けた。「負け犬商品」があれば、「金のなる木」を育てるのがビジネスの鉄則だ。金のなる木が育ってないから、どこをみても負け犬だらけだ。あけすけに言ってしまうと、こんなことではないだろうか?だとすると、話しはデフレであったとしても、それは単に内外価格差の是正ではすまないだろう。
もし金融立国で繁栄を謳歌していた時のニューヨーク、いや香港でも、シンガポールでもいい。国際的に信認が確立された巨額の円資産と優良顧客を持っている日本の銀行を世界のM&A市場に提供していたら、いま現在の日本はどうなっていたであろう?それは波乱や不安はあっただろう。しかし、日本が、今後半世紀、たどるに値する未来予想図が、今時分は誰の目にも見えていた頃ではないのかな、と。少なくとも純債務国アメリカに資金を預けて、ドル安で大損を何度もしながら、それでも「アメリカ国債は安全です」と忠義を尽くす、それよりは日本に営業拠点を開いてもらって円資産を有利に運用してもらったほうが良いではないか?金融商品開発のノウハウも移転されるではないか?日本から中国に流出している技術があるなら、日本だって取る技術がないと、苦しいではないですか?どうせ外国人に資金運用を委託するのであれば、NYや香港でやってもらうより、東京でやってもらうほうが、多くのプラスがあるだろう。課税だって出来るのだから。そう思うのだが、いかがだろう?
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