中川は、大正初めに岸田劉生に認められたのがきっかけと言われているが、基本的に独学で大成した人であると聞いている。
ゴッホが、ヒマワリの画家と呼ばれているのに対して、中川は薔薇の画家である。というより、中川は陶芸にも書にも秀でた万能の芸術家である。日本には珍しい存在だと思うのだ。陶芸もやり、書もやると聞けば、かの北大路魯山人を思い起こすが、中川は料理の道にまで足を踏み入れることはなかったと思う。
薔薇、1973年
私は薔薇をかく。向日葵をかく。
しかし、私は薔薇をかいているのではなく、向日葵をかいているのでもない。
・・・「いのち弾ける!」、56ページ
画の勝負は美しいとか醜いとかいうものではない。生きているか、死んでいるかが問題だ。
美しいように見えて、死んでいるのがある。みにくいように見えて、生きているのがある。
・・・「いのち弾ける!」、58ページ
長崎風景、1960年
素人の道を、ゴッホ、セザンヌが開拓した。
先ず、身辺からはじめよ。目が進めば手が進むのだ。手が進むから目が進むのではない。
学校は技術を教える。教えられることには限度がある。大切なことは教えられない。
・・・「いのち弾ける!」、101ページ
われはでくなり、1981年
学校で何かを教えるには、まず体系的なカリキュラムを定める。単位を定める。配当年次を定める。卒業所要単位を定め、担当教授陣を整えて、授業料を定める。客観的な技術を教えるつもりでいながら、学校では既に特定の物差しをあてはめた結果が教えられている。特定の主義・思想が織り込まれている。というより、教師が授業で<話し>をしている。それをどう受け取るか?受け取るべきように受け取る人は学校では良い成績をとる。想定外の受け取り方をする人は成績が悪くなる。学校という組織である以上、これは仕方のないことだ。
それでも学校というシステムにはプラスの価値があると考えられてきた。
佐伯祐三がパリでブラマンクに初めて会ったとき、持って行った作品をみて「このアカデミズムが!」と怒鳴られたという。このアカデミズムが・・・こんな言葉が使える人が、いま日本にどのくらいいるだろうか?
所得格差が学歴格差を招き、学歴格差が社会階層の固定化を招くといわれる。そんな問題を考えているときに、中川一政を思い出すたび、小生は胸がすっとするのだ。
そんなものじゃないでしょ、と。
中川一政美術館は真鶴にある。
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