民主党は自民党から引き継いだ色々な路線を総点検すると見ていたのだが、案外、そうでもないようだ。配信元はロイターだから、カテゴリーとしては速報になる。
後退する電力改革、民主党は発送電分離と距離
理屈では有効とわかっている構造改革があって、一方の当事者も原則賛同しているにもかかわらず、その改革が現実には難しいとすれば、それにはたった一つの理由しかない。<既得権益>である。
本ブログでも何度か使っている表現をまた使うと、<社会経済の癌>である。すべての既得権益は、最初は社会の必要性、市場の裏付けがある正当な利益として生まれる。それが恒久的な制度となり、法的に保証される段階で、既得権益への道を歩み始め、その周辺に関連業界が集積することによって、除去はおろか変更することも困難になる。経済的な見地から、その制度が不必要になり、むしろマイナス面が顕著になっても取り除くことはもはや出来ず、その国の資源を吸収し続ける。であるが故に、あらゆる既得権益はその国の経済全体を停滞させる原因となる。小生は、既得権益を<既成事実による社会保障>と呼ぶことが多い。その運営コストは国民全体が負担している。
そうかと思うと、こんな記事もある。
馬渕澄夫首相候補によるリフレ政策提唱(Economics Lovers Live Z)
為政者がどのような政策構想を持っているのか?最も重要な点はこれであると、小生は思うのだが、(現時点における)どの首相候補も政策を語らずして、小沢一郎議員とどう向き合うか、それだけを語っている(と報道されている)。これはマスメディアが作った状況なのか、それとも首相候補の頭の中をそれなりに映し出している鏡であるのか?
アメリカでもトップの発言に注目が集まるのは同じだ。
BERNANKE: WE STILL HAVE TOOLS THAT CAN HELP THE ECONOMY(Pragmatic Capitalism)
これに対して
バーナンキFRB議長の発言は、その一言一言がすべて米金融当局によるコミットメントである。「経済回復とデフレ防止のためには、他に実行可能な政策はいくつもある」。その中身は具体的には言明しない。標準的に解釈すると、投機ファンドの意思決定に影響を与えているわけであり、ズバリ警告であるとも考えられる。いま使った言葉「・・・と考えられる」、これ即ち、コミットメントですよね。
これに対してクルーグマンの指摘。これも言い得て妙。小生は知らなんだが、アメリカ金融当局も、ホント、本音を見せないというか、狸だねえと思います。日本政府、日銀は、「これは介入せずばなるまい」、「もうやむをえまい」、「それではまいるぞ」等々と前口上が長すぎるものだから、狡猾な投機ファンドは何も実損を被らない。懲らしめられるのは呑気な素人投機家である。源平合戦じゃないのだから、フェイクをかけておいて、いきなりルール違反者を斬らないと駄目だと思われます。ま、日本は司法取引も、囮捜査も駄目であると、禁止しているお国柄だから・・・元の話題に戻ろう。
国債格付け引き下げ、ギリシア危機などのソブリン危機、これらは全て、本質は通貨危機である。不健全貸し出しによる民間金融機関の経営不安が惹き起こしたパニックを、公的資金を用いて解決してきた副作用として、国家財政の信用が不安視されるようになった。無理に返済しようとすれば国債買い支えしかないので、通貨危機となる。こうした事態を根本的に防止するには、というテーマで下の記事が出てきた。
すべてのソブリン債務危機の根源を語ろう(エドマンド・フェルプス、アマル・ビデ)
これを読むと、江戸時代に大名貸しを行い、それが不良債権化して没落していった伝統的金融業者を思い起こす。金融業者は多く没落したが、大名の方も年貢は差し押さえ同様であり、幕末の時期、ほとんどの藩財政は破綻していた。藩が消滅すれば、藩主は債務から解放される。華族にしてくれるというし、大名達は喜んで廃藩置県に応じた。これが実際の状況であったと言われる。そういう意味で、明治維新は江戸時代250年の債権債務関係が棒引きされた、文字通りの革命=出直しであったわけだ。それでも明治時代の日本経済は、約20年の準備期間の後、憲法を定め、法を整備して、産業革命をテイクオフさせ、富国強兵に成功したのである。金融浄化は、シュンペーター流の創造的破壊の一面なのではあるまいか。小生、そんな風に考えることもある。であれば、バーナンキ議長が述べた「(いまは荒れているが)長い時間の後には、平穏な海に戻る」。この言明こそ、透徹した認識ではないか、と。
さて、先進国はリーマン危機後遺症にまだなお苦しむだろう。その傍らで新興国は高度成長路線をひた走っている。経済学では経済成長のコンバージェンス仮説というのがある。遅れて経済成長を開始した国は、先進国へのキャッチアップ過程で高度成長を遂げ、最終的には全ての国が概ね等しい生活水準を達成するという仮説である。最近の状況はコンバージェンス仮説を裏付けているのではないか?
ダニ・ロドリック氏の見解からいくつか引用しておきたい。
CAMBRIDGE – Perhaps for the first time in modern history, the future of the global economy lies in the hands of poor countries. The United States and Europe struggle on as wounded giants, casualties of their financial excesses and political paralysis. They seem condemned by their heavy debt burdens to years of stagnation or slow growth, widening inequality, and possible social strife.ラテンアメリカ、アフリカもさることながら、民主主義国であるとは認め難い中国の高度成長をどう解釈するか?ロドリック氏も予測は難しいと言っている。ただデータ的には、今日の中国の高度成長はレアケースである。
Much of the rest of the world, meanwhile, is brimming with energy and hope. Policymakers in China, Brazil, India, and Turkey worry about too much growth, rather than too little. By some measures, China is already the world’s largest economy, and emerging-market and developing countries account for more than half of the world’s output. The consulting firm McKinsey has christened Africa, long synonymous with economic failure, the land of “lions on the move.”
コンバージェンス仮説に対するロドリック氏の見方は懐疑的なものだ。
Optimists are confident that this time is different. They believe that the reforms of the 1990’s – improved macroeconomic policy, greater openness, and more democracy – have set the developing world on course for sustained growth. A recent report by Citigroup, for example, predicts that growth will be easy for poor countries with young populations.非民主的な体制を維持しながら、教育を通じて国民の平均的な知的水準を高め、(私有財産制度を確立したうえで)多くの人材が新しい産業分野に進出し、そこで新しい投資を行って効率的な企業経営を行う、そして政府内の腐敗を極力防止する。そんな芸当が可能なのか?
But igniting and sustaining rapid growth requires something more: production-oriented policies that stimulate ongoing structural change and foster employment in new economic activities. Growth that relies on capital inflows or commodity booms tends to be short-lived. Sustained growth requires devising incentives to encourage private-sector investment in new industries – and doing so with minimal corruption and adequate competence.
新興国の高度成長と先進国の低成長は目立つだろうが、富の存在が逆転するとまで予想することは無理ではないか。これがロドリック氏の結論のようだ。
新興国の高度成長の多くの部分は、リーマン危機以前に長期間継続した先進国全体の安定した成長と開放的な経済体制に負っている。今後、新興国が更に成長する中で、先進国の雇用機会は奪われ、社会内部の対立が激しくなるかもしれない。開放的な経済政策が見直されるかもしれない。
事実としては、先進国、新興国双方の経済成長にとって、開放的で安定した経済体制は不可欠の必要条件である。いま不安定化しているとすれば、世界市場を安定化させるには何が必要か?それがあるべきアジェンダだ。上の命題が「新興国にとっては・・・・必要条件である。しかし、先進国にとっては有害である」。こんな認識が先進国の側で台頭するとすれば、1992年のスペイン・バルセロナ五輪から2008年の中国・北京五輪までの16年間が、後々、黄金の16年と言われるだろうことは間違いない。
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