2011年9月10日土曜日

リンク集 - 新内閣を見る目・ギリシア再燃、ホント大変だ

経産相の舌禍事件で野田新政権が早々に困惑している模様だ。そもそも、民主党政権になってから新首相は三代目である。初代の鳩山氏は、党代表として総選挙を勝ち抜いたのだから、指導者に就く資格を形式としては有していた。しかし、2代目の菅氏、3代目の野田氏は、いわば仲間内で職を継いでいるだけであり、何の権威性も与えられていない。まあ、自分の子供に継がせないだけマシである。その程度の手続きしか踏んでいない。内閣成立の背景がもつ脆弱性、非正統性を思えば、些細な不祥事ですぐに信任性を失うとしても、ロジックとしては当たり前のことである。

次の二つの記事は、この国の指導者養成・選択システムそのものに欠陥があることを指摘していて、同じ問題意識をみてとることができる。

指導者の要件(小野直樹ブログより)
問題は党首の選び方である(岩本康志のブログより)

先週のリンク集ではロシア・中国が放射能汚染に対して損売賠償を請求するかもしれないとの指摘を紹介した。それに対して

国家賠償と除染で財政が破綻する(池田信夫blog part2)

では、数値を示しながら、反論している。絵画では印象派が歴史を作ったが、政策選択において印象派は常に破綻への道をたどるものだ。データの確認は常に重要である - と同時に、統計によるウソを見破る心構えも大事である。

日本が国として資金繰りがつくのか?災難に遭遇して大打撃を被ると、大体は経済的困窮に陥ることが心配される。国も同じである。しかしながら、日本国全体をみれば、日本は貯蓄投資差額が大幅にプラスであり、最大クラスの資金余剰国。現時点においても、海外資産を増やし続けているのが事実だ。最近の円高により海外企業のM&Aが急増している。つまりカネに窮しているのは<政府>なのである。カネに余裕のある階層が国債を買うことで政府の金繰りをつけている。端的に言うと、「貸すのはいいが、税として取られっぱなしになるのは嫌だ」。この言い分を政府が突破できないわけである。もっと言い換えれば、カネに余裕のある階層が、余裕のない世帯にカネを貸してもいいところを、政府が借りてから、社会保障(医療・介護・年金)という形であげている。返済義務主体が、現実の受益者ではなく、政府になっている。政府が代わりに借りている。これが20世紀型福祉国家の基本図式である。この事自体は、多くの国民が窮状に陥ることを防いでおり、ほとんどの国民はこの制度に賛同すると思う。財政不健全化はその副作用だ。

下は竹中平蔵氏が海外論壇に投稿したもの。

Will the Sun Still Rise? (Heizo Takenaka, Project Syndicate)

要点は次の下りだろう。
As a result, more companies are likely to create and implement business continuity plans. Indeed, “BCP” is set to become a key term in the region’s economic discourse. Using BCPs to determine alternative producers means that regional economies will be integrated in a new form, with companies establishing cooperative relationships even with their competitors.
Unfortunately, Japan’s public officials appear incapable of similar flexibility. The disaster confirmed the traditional view of Japan as a country that combines a dynamic private sector with an anemic public sector and central administration. The government’s mistakes in so-called “risk communication” regarding the Fukushima nuclear plant, and its slowness in getting necessary aid to people displaced by the disaster, have once again put the stereotype on full display.
有能な現場(民間)と無能な本社(政府)。この対照は、本当に日本的組織原理を特徴付けるものとして、広く世界的に知られるところとなった。なぜこんな組織原理になるのだろう、日本では?やはりトップに指導力を求めるのか、調停力を求めるのか?ヒントはこの辺りなのかもしれない。
Soon after the disaster, the government announced that reconstruction demand and higher prices would bring about relatively rapid economic recovery. I think this view is too optimistic, because I suspect that the government wants to finance its new expenditure with a tax hike. Moreover, the extremely sharp contraction in first-quarter GDP may indicate that the disaster’s negative impact on the economy was more significant than expected.
次第に将来見通しを悲観化させているのは奇妙ではない。しかしその理由というと、増税のマイナスが強調されている。

小生は、財政健全化が日本経済に与えるプラスの効果は否定できないと思うし、実際、世論調査では半分程度の国民が増税を容認しているという結果が、安定して得られている。世論調査は、統計データとしての品質に色々な問題があるとは思うのだが、それでも専門家の発言とか、政治家の一言に比べれば、よほどニュートラルであり、有害なバイアスからは自由であると思っている。だから、半分程度の日本人は本音では「増税は仕方ないんじゃないの」と考えているのは事実であると、小生は見る。加えるに、増税で得た収入をそのまま復興事業として支出すること自体、プラスの需要創出効果が期待できるのであり、景気のマイナスになるという理屈はない。

ところがテレビや週刊誌、週末の政治討論ショーに出てくる政治家達は、ほとんどが増税反対を声高に唱えている。本当に、これミスマッチなんだよなあ、そう感じているのが正直なところだ。しかし、これって幕末の<攘夷>と同じなんじゃないか、と。武士、豪農、町人とも<尊皇攘夷>と言っておけば、「おう、そうとも!このニッポンをいい国にするために、身を捨ててゆこうぜよ」。それが今では「増税!?なにを言うちょる。その前にやることがあるがぜよ。無駄の削減、役人のリストラ、そっちが先にやることじゃないんかえ?」。故に、小生、最近は<いまのムダ削減=幕末の攘夷>と考えるようになった。ということは、<ムダ削減>は、本当は反政府、反主流派の旗印であり、究極的には政府不信任。反体制論。これが本音なのではあるまいか?

攘夷を唱える急先鋒が、実際には開国を主導したように、いまムダ削減を主張している人たちは、本心からそう言っているわけではないのであろう。あれは戦略。パフォーマンスである。そう眺めている次第だ。

竹中平蔵氏は日経WEB版でも以下のような意見を開陳している。
また、行き詰まった経済政策を前進させるため、経済政策の司令塔づくりの立て直しを進めるという。政府・与党で乱立している会議を集約し、首相官邸と国家戦略室を中心とする「国家戦略会議」(仮称)に、政治家、官僚、経済界・民間人から人材を集約する構想だ。これまで官僚を過度に排除する偏った政治主導が目立ったが、かつて経済財政諮問会議を活用した小泉スタイルを目指すようにも見える。
(中略) 
そのうえで問われる問題が2つある。
第1は、枠組みができたとして、それを運用するリーダーシップが新首相に本当に備わっているかどうかだ。早々に環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加を巡り、閣僚間で意見がまだら模様になっている。鉢呂吉雄経済産業相は2日の記者会見で、TPPへの参加問題について「国民的に合意できる形が大事だ」と述べ、交渉参加の判断時期について明言を避けた。TPPについては他の閣僚からも異論が出ているという。
こうした重要な問題を新たな「国家戦略会議」でオープンに議論し、そのうえで最終的に首相から強い指示が出されなければならない。 
第2は、大きなものでなくてもいいから、新政権として最初の成功事例「アーリー・スモール・サクセス」を1~2カ月のうちに示せるかどうかだ。TPP参加への方向を示すこともその1つだが、加えて円高への対策と成果が問われることになろう。現下の円高のマクロ的背景は、相対的に日本の実質金利が高い(つまり円資産の利回りが高く、円が買われる)ことにある。こうした問題に対応するため、政府と日銀の新たな協力体制の構築が必要になろう。この点について古川元久経済財政・国家戦略相は適切な発言をしているので、期待したいところだ。 
現実主義の立場で政策を粛々と進めることは重要なことだ。しかしこれがすぎると、官僚主導・霞が関依存の極めて古い政策スタイルになってしまう。結局のところ、重要なのは「どじょう」のようになることではなく、「どじょう」になって何を実現したいのか、である。この点がまだ野田首相自身から明らかにされていない。
(出所:日本経済新聞WEB版 2011/9/6 7:00)
残念ながら鉢呂経産相の「放射能をうつしてやろうか」発言があり、ファースト・スモール・サクセスの前に、アーリー・ミステイクを犯してしまったようだ。同省官僚たちが、早々に脱原発、ゼロ原発を高らかに宣言してしまった経産相に対して、丁寧な現状説明や「要注意発言のポイント」を供することなく、放置していた様子も窺えないでもない。しかし、これとても言い訳にはならず、政治家としての能力が不十分だったという結論になるのであろう。

さて、欧州のギリシア危機は7月中に独仏が手打ちをして解決したはずであったが、あれはその場しのぎであったことが、どうやら見透かされつつある。ギリシャは債務を返済できないであろうという冷厳な事実を認めなくてはならない。そういうことである。

G7 communique: "Central Banks stand ready to provide liquidity as required" (Calculated Risk)

各国がマネーを供給して経済をサポートすると言っても、金繰りがついた人は直ちにゴールドに(文字通り)換金して財務の保全に心がける。その国の政府が発行するマネーの信任性が低下していることが、金価格急騰を誘発している。で、中央銀行当座預金のブタ積みばかりが積み上がる。それでもベースマネーは十分供給されていることになる。


「破産させるべき組織(=企業も国も)は、一度破産させる方が良いのではないか?」。シュンペーター流の<経済浄化>がいずれ到来するかもしれない。だとすると、持つべきものは<金>ですね。中央銀行が発行するマネーは低金利で融通されるにしても、金が本源的マネーとして認知されているなら、現実は高金利状態であり、将来は大きく割り引かれて評価され、事業をスタートさせるには過酷な経済環境になってしまっている。こう見る方が現実的ではないだろうか?


いろいろな問題を、経済的には(お金の面、モノ作りの面では)、どんな風に考えればいいのか?海外には多数の良質のブログがあり、様々な意見が公開されている。それらのブログによって、社会全体の政策討論のレベルが上がって、正しい政策を選択できることに寄与しているのか?なにも社会的な啓発に寄与していないなら、わざわざブログなどを公開しても、(個人的覚書としては使えるが)社会的には無駄である。現実はどっちだ?上の記事は、そんな問題意識に立っている。


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