2011年9月28日水曜日

東電社員の給与を公務員並みに引き下げよという提案について

やはり出てきたというのが枝野経済産業大臣が提起している「東電社員給与引き下げ論」である。

日経には以下のような報道がされている。
東京電力福島第1原子力発電所の事故被害の損害賠償を支援する「原子力損害賠償支援機構」が26日、開所式を開いて本格始動した。枝野幸男経済産業相は式典のあいさつで、東電の役員報酬や給与について、公務員や独立行政法人の職員並みに引き下げるなど厳しいコスト削減が必要との認識を示した。(2011/9/26 13:11配信)
 経産大臣としての公式発言だから、枝野氏の個人的思想によるというよりも、行政組織である経済産業省の見方もかなり含まれていると思われる。

さて、これをどう考えるかということだ。

制度として発送電市場の独占を認め、総括原価方式に基づいて、ほぼ言い値の電力料金を国に認めさせておきながら、驚くような役員賞与、平均を遥かに上回る給与を社員が得ているなら、これは典型的な<既得権>であり、これ以上の<アンフェア>はない。この種の既得権は絶対に除去しなければならない。この理屈は非常に分かりやすい。国民は電力、エネルギーという基幹産業だからこそ、競争市場に委ねた場合の万が一の不安を回避して、法に基づく独占を認め、その代りに安定供給をより確実にした。事実として電力会社は市場を独占しているからと言って、普通の独占企業のように独占利潤を形成してよい、正常な水準よりも高い給与をもらえるという論理にはならない。法で独占を認めたからと言って、国民は自らの負担で電力会社の高収益・高所得を支える義務はない。それはその通りであり、100%正しい考え方だと小生は考える。

しかし、「正常な」役員賞与、「正常な」賃金で電力会社を経営し、会社も「正常な利益」を享受せよというのであれば、そうした上でなおも制度的独占を認めておくよりは、エネルギー産業を自由化する方がずっと簡明・透明・賢明である。市場にゆだねれば、同じ結果が、国会や官庁の介入もなく、もっと低コストで享受できるはずだ。もちろん政府・独占企業が一体で事業を行うよりは、競争メカニズムにまかせる分、現在とは異なった問題が生じてくるだろう。しかし、生じた問題は解決すればよいではないか。市場メカニズムを補正する理論・政策はずっと研究され、ツールも多岐にわたるが、閉鎖的な独占体制が堕落した時に問題を解決するための理論はほとんどない。<修正力>は働きようがないのである。

市場によってエネルギー産業を運営すれば、全国津々浦々、過疎地への100%送配電あるいは停電ゼロ%など、過剰なほどの安定供給は難しくなるかもしれない。それは郵便事業と同じである。市場による最適化とは、需要サイドの欲求を与えられたものとして行う生産の最適化ではなく、供給サイドの欲求とも両立させながら行う需給両面の最適化だ。しかし、過疎地でのエネルギー生産、エネルギー消費のためには、バイオマスや地熱発電など自然エネルギー利用が研究され、道が開かれることになるのではないか。そこから新しい公共サービス、新しい集落形成、新しい地域振興戦略を展開する余地も出てくるのではないか ― 本ブログ投稿者は新しいことが好きなものですから。

産業自由化からもたらされる全ての結果が出尽くした後、(東電が今後どうなるかは知らないが)大手電力会社、エネルギー企業の役員賞与・社員給与が、どの位の水準に落ち着くか?

決して即断はできないが、その給与水準が公務員程度の高さにとどまるとは到底考えられない。事業経営者は事業リスクを負担する。わかりやすく言えば、株主への配当と役員賞与とはほぼ比例するはずである。その配当が理論的株価に対してどの位の利回りになるかだが、事業リスクのある分、国債利回りよりは高くならなければ、そもそも事業に資金が投下されない。政府はリスクを負っていない ― いや、最近は金融機関への公的資金注入、公的年金事業などの形で政府も多くのリスクを引き受けているが、この話題は別に論じる ― 無リスク部門である。だから、政府で働く職員は失業リスク、収入変動リスクなどにはさらされていない。そんな政府職員よりは、リスク部門で働く社員の給与は高くなければならない。考えてもご覧あれ。東電は原発が本来有している事業リスクが顕在化して、実質、民間企業としては寿命が尽きていると判断してもよい。これがエネルギー産業の現実である。公務員並みの報酬で人材を投入できる理屈にはならないと思いませんか。

枝野大臣が提起しているように、電力会社の経営陣、社員の給与を公務員並みとするのであれば、電力会社の事業もまたパブリックセクター並みの低リスクでなければならない。そこで働く社員が負担する収入変動リスクも公務員並みのリスクにならなければならない。そうなれば、エネルギー事業が本来もっている様々なリスク(原発リスク、燃料費高騰などの価格リスク等々)は、すべて国民全体が共同して負担するということにならざるをえないのだが、もしそうならば、エネルギー事業は全部まるごと国営化するのが本筋ではないか?

形は民間企業にしておいて、いざトラブル発生という時には国民の負担でトラブル発生に立ち向かうこともせず、そのまま倒産させる、そして新しい事業主体を立ち上げる。万が一、こんな発想でエネルギー産業の再編成を考えているなら、これこそ誠の<アンフェア>。アメリカ社会でいま懸念されている<制御不能な無責任社会>の到来を避けることはできない。

0 件のコメント: