小林はセザンヌの「革新的技法」にはこころを動かされない。独創的な芸術家の「静かな悲しみ」に感動しているのである。そう締めくくっている。ふ~~む、静かな悲しみ、ですか・・・同じ紙面には、「セザンヌ夫人の肖像」も印刷されている。静かな悲しみは、夫人の肖像の方なのか・・・それも違うようだ。
セザンヌ、カルタをする二人の男、1895年前後
確かにセザンヌは、印象派展に出展はしたことがあるものの、生涯の大半を田舎エクス・アン・プロバンスで過ごし、印象派で一緒に活動した旧友たちとも疎遠になり、「隠者」と呼ばれるようになったのは事実だ。しかし、例えば印象派の画家オーギュスト・ルノワールの息子ジャン・ルノワールが著した「わが父 ルノワール」を読んでみると、セザンヌの名はこの本の中で圧倒的に多く登場している。それは巻末の索引を見るだけで直ちに分かるほどだ。その中で108ページに記されている何行かを引用すると
とうとう(父オーギュストが)セザンヌと会う日がやってきた。「ひと眼で、彼の絵も見ないうちから、私には彼が天才だとわかったね。」この二人の友情は一生のあいだ続くこととなる。そればかりか二人の子孫にまで続いている。息子のポール・セザンヌは、私にとって友人以上の存在だった。兄弟以外のものと考えようなどとは思いもしなかっただろう。彼はナチによる占領を経験したのち死んだ。われわれ両家は、今も一体だ。(PP.108)
セザンヌはルノワールより二つしか年上ではなかったが、ずっと年長に見えた。「針ねずみみたいな気むずかし屋でね!」彼の動作はなにか眼に見えぬ枠で外から締めつけられているようだった。声もそうだった。(pp.108)こんな風にセザンヌを記憶している友人の息子、そして友人その人がいた。そんな人は決して孤独であったはずがない。実際、小生がセザンヌの真物を観た時に感じるのは、ひたすら絵として限りなく美しい、ただそれだけだ。
そう言えば、孤独とか不安を表現したと言われる画家ムンク。彼の有名な作品「叫び」も、余計な哲学を抜きにして、「とにかく美しい絵だ」、それが私にとってのムンクの発見だった。そんな文章を今日書店で立ち読みした何かの雑誌に見つけたのだが・・・何だったかな、その雑誌の名前は?ともかくもムンクの「叫び」の色彩をある程度正しく伝えている画像ファイルは中々見つからない。
Munch、Scream、1893年
セザンヌとムンク。上の二つの作品はほぼ同じ年に描かれている。ムンクはドイツ表現主義 ― 北ドイツの分離派でカンディンスキー達のミュンヘンとは少し方向が違う ― には欠かせない人物である。パリを訪れたときにはゴーギャンやゴッホにも影響を与えたとWikipediaなどには記されているが、この辺詳細を知らない。
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