2011年10月20日木曜日

個人芸とイノベーションとの違いはどこにあるか?

直近の週刊エコノミスト(10月18日号)がメールボックスにあったので部屋に戻ってパラパラめくってみた。すると、News of The Week "Flash!"でスティーブ・ジョブズの死を論じていた。
1976年にアップルコンピューターを設立して以来、パソコン「マッキントッシュ」や多機能携帯電話(iPhone)、多機能携帯端末(iPad)など、IT業界に革命を引き起こす商品を次々と世に送り出してきたカリスマの伝説は幕を閉じた。
ソフトバンクの孫社長が言うようにレオナルド・ダ・ビンチ級の多角的天才として歴史を刻んだのかどうか、そこまで同感するには躊躇を覚えるのだが、エジソンに匹敵する感性の持ち主であり、同時に起業家であったというのは、多分、そんなポジションを占めるのじゃないかなあという気はする。
単一商品大量生産でクォリティの高い製品を世に送り出すことに注力した・・・。デザインの良さを製品に反映するためにはコストがかかるが、数千万台を作るという判断を下せば、1台当たりのコストは小さくなる。そして、それだけの台数を売るために、商品を徹底して魅力的なものに仕上げるだけでなく、魅力的な「売り方」までシステム化する。直営店「アップルストア」を運営し、買い物体験の高度化にこだわるのもそのためだ。 
この面だけをみると 、単品大量生産の王者である初代ヘンリー・フォードを連想する。自動車という金持ちが使う乗り物を安価で便利な大衆の足として普及させたフォードと、コンピューターとネットワークというエリートが使う道具を普通の人が手にする文房具にしたジョブズと、二人がビジネス史において活躍したフェーズは奇妙に似通っているとも見られるだろう。ジョブズにはフォードに加えて、ある種のSense of Wonderを世の中に提供してきた。この点で、小生は同氏がエジソンにも匹敵するのじゃないかと思うわけだ。ビジネススクール流の製品多様化による利益拡大、多角化の利益。ブランドの傘の構築など、そんな理屈はクソ喰らえなのだろう。

何か新しいものが始まると感覚させる能力。これに対して、凡庸な経営者は、間違いなく運営されていると感覚させる能力の持ち主でしかない。
そのやり方はある意味独善的であり、他者との軋轢の原因にもなってきた。
ジョブズ後のアップル社に懸念が抱かれている。しかし、ジョブズが独善的に進めてきたことが、真に独善的なものであったなら、その理念やアイデアが世の中に受けいられることはなく、それより以前に「あれほど付き合いにくい」創業者と協力し、道を開くために人生をかける同僚があれほど多く現れることもなかっただろう。独善性と独自性は本質的に違う。理解された独善は、もはや独善とは言わない。世に受け入れられた独善は、もはやイノベーションであって、成功した革命になる。
このようなことは、ジョブズ氏の発想で生まれたものではあるが、彼一人の力で実現できるものではない。近年、アップルは、徹底した「チーム」での作業にこだわり、ビジネスを進めてきた。・・・単純にジョブズ氏がいなくなったから力は失われると決めつけるのは早計だ。
古くは原始キリスト教団、イスラム教団を思い起こしてもよいし、日本の織豊政権・徳川政権への交代期、中国の清朝入関の故事を考えてもいい。上に引用した文章のジョブズを、たとえばキリストとかマホメットに置き換えても文章の意味はそのまま通じる。織田信長は暗殺されたが、後継者の秀吉はそれまでの織田政権の路線を変えることはできなかった。その豊臣政権を倒した徳川政権も、前の政権は否定したが前の政権が進めてきた政策は概ね受け入れるしかなかった。清朝は中国では異民族であったが、漢人李自成が作ろうとした王朝は受け入れられず、清が中国を治めた。リーダーは、特定の個人だが個人芸で始めた仕事はその個人とともに消える。しかし、社会が認め、継続を望まれる進行方向は、そのリーダーがいなくなっても人物が集まり、その組織を支え、ずっと継続し、結果として発展していくものである。

ジョブズが成功した裏側には、同氏の理念を理解した組織と、その理念に高い価値を与えた社会があった。ジョブズは社会にもともとあった欲求を現実のものにしただけだ。それは今もある。アップル社は、<ジョブズ自身がいなくとも>、生命を失うことはないと思われる。しかし、社会経済の変化の中で、これまで通りのビジネスではダメだ、そんな状況がやがてやってくるだろう。その時に、アップル社はどう行動するのか?どこにアップルのアイデンティティを置こうとするのか?創業者の理念を否定して、破壊と再建を進めるのか?それに成功するのか?それは誰にも分からない。

創業の理念は、しばしばコーポレート・アイデンティティと一体のものである。社の理念を捨て去るよりも死守するべきだ。社のアイデンティティを否定するのではなく守るべきだ。何もかも捨て去ろうとする企業は、そもそも存在する必要のない組織であり、市場から退出するべきである。よくそんな風に言われる。組織はただ存続のみを目指しても、それだけで生き残ることは難しい。それは確かにその通りだ。いま多くの日本企業が、守るべきものと捨てるべきものを、見極められずにいる。とはいえ、アップルという会社が、現在の日本メーカーと同じ苦境に立つことは、まだまだ先のことであると見ている。

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