実はゲラの校正段階で編集担当者から貴重な助言を受けたのだ。「最近の本では上から目線で書かずに、読者と一緒に考えるというスタイルをとるのが増えているんです」、「断言調に説明されると、そこで反発を感じて、筆者が言いたいことが素直に伝わらないことがあるんですね」、「ですから編集サイドからコメントした箇所は、そういう風に読まれてしまうことがあるという意味で受け取ってほしいんです」。そういえば小生も同僚も、たとえば「次に議論するべきは当然・・・でなければならない」とか、「この事実は・・・であることだ」とか、教え諭すように書いている所がいっぱいある。なるほどねえ、そうであるか、小生は悟りを得たような心持を抱いたのだ。
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そういえば北京五輪で星野監督や田淵、山本浩二といった面々がチームを率いたが、実力を発揮する場面もなく敗退したことがあった。その時も世代間コミュニケーションがとれなかったと耳にしたことがある。長い時間をかけて意思疎通をするだけの余裕があれば、年齢差があっても、お互い共通の目標を求めるメンバーなのだから、理解し合えないはずがない。しかし短時間でチームを統率するためには共通の行動規範がなければならない。目上の世代は上意下達のタテの行動原理、目下の世代は水平型の仲間原理を善しとするのであれば、一方は他方に自分がタカだからお前はハトになれと言い、一方はハトにはならないといい、互いが互いを傷つけあい、拒絶の感情が高まるだけに違いない。人間は理性だけではなく感情に支配され、更に無意識の価値規範によって他者とのコミュニケーションを図り、人間関係を築くものだからだ。
小生は昭和20年代の生まれだから受けた教育は戦後民主主義教育だ。しかし、学校の教師、教授たちは戦前に育った人だった。大体、小生の親からが、軍国主義教育の下で授業をきき、亡くなった父は軍事教練を授業として受けた世代である。小生の世代が学んだ学校は、内容は民主的であったが、行動の規範、善悪の規範、求められているマナーは戦前日本を支えたタテ社会の道徳であったと感じている。
いまは教師生活という比較的タテの関係が希薄な組織の中で仕事をしているが、役所という世界で10年余仕事をしたことがある。役所では周囲の人間関係を上下関係という切り口から理解する。この習慣から脱するまでに、小生は10年以上の時間を要した。心の垢、無意識の歪みという奴でしょう。ことほどさように、無意識界に刷り込まれた価値規範 ― これ即ちイデオロギーでしょう ― は心の中に頑固な根を張るものなのだ。
政治・行政を担当している世代も(想像するだけではあるが)まず確実にピラミッド構造をモデルに物事を考えているのではなかろうか?そもそも官庁の組織原理はタテの関係で設計されている。配置される人材集団は年功序列原理で管理されている。整然と管理されているといえば耳当たりは良いが、悪しざまにいえば国民がピラミッドの底辺を構成し、Ⅲ種、Ⅱ種、Ⅰ種と階層化され、さらには高い等級の職員は高い権限をもち、指定職に昇進すれば高度の業務を総括する。そんな意識は今なお刷り込まれていないだろうか?官僚組織というのは、いつでもどこでも階層化と職務権限を柱とするものなのである。そこで生きるためには、下から上をみるか、上から下をみるか、そうでなければ同じレベルで競争をしているか、そのいずれかである。
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軍隊を知っている世代がタテの意識で、一方が政治家と官僚になり、他方が国民を形成しても、全体を円滑に運ぶことは可能だったと思う。命令することに慣れており、命令されることにも慣れているから。しかし、上意下達の価値規範を全く持っていない、それが善いこととも全く考えない世代が日本には育ってきているし、実際に社会の現場の中心になりつつある。民間企業は会社の統合を確実にするため常に組織戦略を再検討している。政治や行政の分野で何かというと財政再建や成長戦略が口にされているが、「上から目線で」国民に提案をしても、やればやるだけ政府に対する信頼が毀損されるだけではあるまいか?
組織は戦略に従う
公務員改革などと重箱の隅をつつくようなレベルではなく、行政組織の設置、管理を今後どうしていくのか?やりたい事柄があって、実行する組織の形が決まるものだと思うのだがどうであろう?「上から目線」で給与を減額する、「上から目線」で増税する税目を決め、あとは国民に周知させる。これではまるで昭和20年代、30年代の行政スタイルのままではないか?
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