休憩室に入り新聞を開く。パラパラとめくる。米雇用9月は10万人増。失業率は9.1%で高止まり。これはプラス評価だな。米、両極の先鋭化鮮明、来年の大統領選挙にらみ対決。リベラル派の陰も。ふ~む。観衆がいると、プレーヤーはハトではなく、タカになりたがるものである、それは力を誇示することによって相手がハト戦術を選ぶことを強いるコミットメントでもあるし、更にはブレない候補者、信念のある政治家という評価をかちとる戦略でもある。これがゲーム論からも確認されることで、まあ、定石って奴である。・・・(ゴロンと寝転がる)しかし、日本では違うんだよなあ。相手と対決する論陣を張るのではなく、むしろなるべく違いをなくそうとする。細かい所に論争の場を限定し、そこで政治家にしては細かすぎる議論をしようとする。これは何故だろうねえ?ま、見当はついているが・・・
温泉に入りに来ても、こんな風に新聞を読むようじゃ、気が晴れねえなあ、そうも思うわけだ。
するとコラム記事「エネルギー版TPPを提言」という文字が目に入った。何々?日本生産性本部の日本創成会議(座長:増田寛也元岩手県知事、元総務相)はエネルギー政策に関する提言を発表した。日本を含むアジア・オセアニア地域に送電網を敷設し、電力を融通しあう「エネルギー版TPP」構想を提示とのこと。国際送電網への接続に備え、国内では発電、送電部門を分離し、送電体制を全国で一本化すべきだとした。なるほど、なるほど、これはいいねえ。同じページには、八田達夫氏が「料金変動で需要抑制」、高橋洋氏が「発送電分離、競争促す」、河野龍太郎氏が「原発や送電、免許別に」、各氏がそれぞれのタイトルで意見を寄せている。どれも正論である。こんな正論があるなら、全く心配することはないわな。まずは一安心して湯屋を出た。
帰宅して手にとったのは昨日購入した「日本人はなぜ戦争へ向かったのか(上)」(NHK出版)だ。
なぜ日本は孤立化の道を歩んだのか。それは時代の選択の一つひとつが、確とした長期計画の下に行われなかったという点があげられる。(pp.46)これは陳腐な指摘であるなあ。
いったい誰が情報をとりまとめ、誰が方針を決めるのか。そしていったん決まったことがなぜ覆るのか。(pp.46)日本の中枢部の組織原理は何にも変わってはいないってことだ。何度こんな指摘を読ませられればいいのかなあ。とはいえ、当然過ぎて読みやすいのでグングンと読む。そうすると、内容のレベルもグッと上がってきた。
- ある意味で、関東軍の行動は関東軍にとってみれば合理的なことだったということですか?
- 非常に合理的だったと思います。現地は軍中央と必ずしも同じ目的ではなかったかもしれませんし、情報は全く非対称的でしたので、モラルハザードが合理的に起こった可能性があります。そういうかたちの不正で訴えられた人は「私のような状況に置かれた人はみんな同じことをやるんじゃないですか」と言うでしょうね。
- ましてや石原莞爾が起こした満州事変は強烈な事例です。「不正に行動しても、結果が良ければOK」という事例になりましたから、モラルハザードは起こります。
- その後、実際に暴走の連鎖が起こります。
- これが数年前に話題になった成果主義なのです。成果主義の怖いところは、モラルハザードをひき起こすことです。本当は「やってはならない」と言われているのに、結果が良ければ許されるということがわかっていますから、隠れてこっそりやってしまう。ですから、成果主義のもとではモラルハザードが起こりやすいのです。(同書pp.166、菊澤研宗「日本が陥った負の組織論」より、一部編集のうえ引用させていただいた)関東軍の暴走的南下を止めようと軍中央は天津軍を増強した。そうしたら急な増強に対する中国側の反日感情が高まった。そんな中、天津軍が廬溝橋事件を起こしてしまった。これについて、時の陸軍省軍務局長であった武藤章はこんな手紙を出しているとのことだ。
軍務局長着任以来、支那事変を急速に解決することを主眼として、他列国とは絶対に事を構えてはならぬと考えて、一切のことをやってきた。(pp.129)国家の意思が末端を制御できない状態が続く。人間の身体で言えば、アルコール中毒、パーキンソン氏病、筋無力症などに相当しよう。 日本人の性癖というより、組織設計に問題があったというべきだ。ここを考えなければ、同じ誤りを何度も繰り返す。
近衛文麿文書中には・・「政府側としては軍部が斯くの如く講話を急がるゝには何等かそこに深き事情が存するに非ずやと推測せざるを得ず」とある。(中略)木戸も1937年12月21日の時点で原田に「どうも参謀本部があれほどまでに熱心になっていることはすこぶるおかしい」と述べ、閣議の場などでも、「連戦連勝」の国である日本が蒋介石との和平交渉を急ぐのは筋違いであるとする近衛首相と共に、対中交渉の早期打ち切りを強く主張していた。家近亮子氏が論ずるように、蒋介石は1938年1月12日の時点までは対日和平を真剣に考えており、同16日、日本政府の「爾後国民政府を対手とせず」声明によって初めて「降伏せず」との決意を固めたことがわかっている。(pp.242)本書を大括りにまとめれば、戦前の日本を誰も望まない太平洋戦争に導いていったのは、肥大化した帝国陸軍だった。しかし陸軍組織が意図的、計画的に対米戦争に邁進したという事実はなく、むしろ対英米との開戦は絶対に避けるべき事態であった。それでも開戦をしてしまった。
う~む、文字通り、時に正論、時に愚論。それらは百家争鳴の中で雨や雪の一粒のようでしかなく、全く是非の区別は付けられなかった。こんなことって近代国家にあるのでしょうか?唸ります。そして国家は誰もが予想すらしていなかった方向へと歩んでいった。
正に文字通り、人間万事漠として窮まり無し(福翁)。まして国家、社会においてをや。アメリカ社会、ヨーロッパ社会の未来を誰が予想できようか?
気になる指摘もしてあった。大正期を通して進んできた戦前期日本の民主化の完成は1925年の普通選挙実施である。身分や納税額などに関係なく、広く国民が投票権を持ち、政治に参加すれば、その中で大新聞が世論を形成するようになる。日本が急速に軍国主義化し、天皇側近の重臣、学界の有識者の影響力、指導層へのリスペクトが失われたのはそれからのことである。このシンクロナイゼーションに何か真剣に考察するべき意味があるのか。読み終えてから、残ったのはこの疑問である。
今日は湯屋談義から読書感想文となり、いつものリンク集はまた先延ばしとなった。
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