2011年12月28日水曜日

決められない日本 - なぜいつも太平洋戦争開戦直前を議論するのか?

書棚を整理していると猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」(中公文庫)が出てきた。これは太平洋戦争開戦直前の昭和15年に設立された<総力戦研究所>に参加した官民の若者達が、いくつものシミュレーションを尽くした結果、仮に日米が開戦すれば日本必敗という結論を翌年16年の夏に提出したにもかかわらず、レポートは一顧だにされなかった。その顛末をノンフィクション小説(?)にした作品である。中々読み応えがある。

当時、「総力戦」という言葉が時代のキーワードになっており、それは第一次大戦の対露戦線でドイツの大勝をもたらした名参謀ルーデンドルフの持論であり、またどこかの政府機関が日本必敗の結論を出していた。そのくらいは耳にしたことがあった。それが、総力戦研究所であり、当初は「国防大学」という名称で設置したかったものの、「▲▲大学にするのであれば、それは文部省の管轄下に置かれねばならぬ」と文部省からクレームがつき、その剣幕に陸軍も辟易とし、仕方がなく「総力戦研究所」という名称をつけて内閣に設置した。そんなことまで紹介されているので、著者猪瀬氏の調査はしっかりしていると言える。

巻末にある著者×勝間和代対談:日米開戦に見る日本人の「決める力」。これまた(小生にとっては)大変面白い。但し、中身については、色々な突っ込みどころも満載だ。たとえば猪瀬氏は語っている。
無謀な戦争と言いましたが、戦争に負けたからそう思うのです。敗戦国はみじめでした。子供のころ、アメリカ占領軍が駐留していましたし、テレビ放送が始まってアメリカのドラマを見ると、生活水準が全く違う。あちらの家庭には大きな冷蔵庫があるけれど、こっちには冷蔵庫すらない家のほうが多い。なぜ、そんな豊かな国と戦争したんだろう、と考えた。勝てっこないじゃないか、と疑問を抱くようになった。だが戦前の日本人は勝てるかもしれない、と思っていたのです。なぜだろうと、不思議に思っていたのです。
語り口が上手であることもあるし、そもそもアメリカを相手に戦争を始めた政府の愚かさ、適時適切に戦争を回避する決定を下せなかった優柔不断な政府というイメージが浸透していることもあって、猪瀬氏の語りはすっと頭の中に入ってくるのだな。しかし、小生、上の指摘は誤りであると思う。

そもそも総力戦研究所の若者たちもそうであるが、アメリカと戦争をするという選択はありえないと当時の日本人の大半が考えていた。これが事実だということは、専門家の研究を通して、相当明らかになってきている。大体、陸軍にはアメリカを相手に戦争をするという思想は皆無だった - このこと自体、特に説明はいるまい。海軍もアメリカ相手に勝てる自信をまったく持っていなかった。大体、1920年代を通した海軍軍縮で、対英米劣勢になることを了解しているのだから、勝てる可能性はほとんどゼロと知っている。だから当時の関係者が「勝てるかもしれない」と考えていたと言うと、それは間違っていると思うのだ。

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太平洋戦争をなぜ避けることができなかったのか、なぜ負けるはずの戦争を始めてしまったのか?この問いかけは、これまで文字通り無数に登場しているし、回答は星の数ほどある。しかし、勝てるはずのない戦争を始めたのは、太平洋戦争だけではない。これも大変大事な点だと思うのだ。

日曜日に終わってしまったが、ドラマ「坂の上の雲」。日本は日露戦争で勝利しようと思って開戦したわけではない。大体、明治日本がロシアとの<総力戦>を演じ、ロシアを屈服させることができたか?明治日本の当事者は誰もそれが可能だと考えていなかった。この点は、ドラマの中でも、明白な事実として紹介されていたので安心した。

そもそも日清戦争にも問題はある。巨額の賠償金をとったうえ、遼東半島の権益まで得ようとして三国干渉を招いている。東アジアにおける対露政策の中で、日清戦争を始めたのであれば、中国(=清王朝)国内の<反日抑止>を戦略上の目標にしないといけなかったところだ。故に、日清戦争の戦後処理は、日本が融和的態度をとり、中国国内で親日勢力が育つ方向で戦略的決定をするべきだった。そのほうが、日本の利益になったはずである。清王朝から親日的政府への交替を誘導する戦略が有効だったはずであり、東アジア全域のソフトランディングを日本が主導するべきだったのではないか。それが猪瀬×勝間両氏のいう<歴史的意識>というものではなかろうか。1941年の太平洋戦争開戦に至るずっと前、そもそも日清戦争の戦後処理の段階で、日本はすでに賢明な戦略的判断を選びとる能力が不足している、そう(小生には)窺われるのだな。なぜ、この話題がもっと頻繁に登場しないかなあ、と思っている。事実、戦前期体制崩壊までの長い目で振り返ると、日本の真の失敗は、中国国内の反日心理を抑止できず、そのまま中国との全面戦争に引きこまれていった点にあると見る。

そういう目で、小生、見ているものだから、太平洋戦争の完敗は、それまでラッキーに恵まれていた日本的行動が通らなかった。詰まりは、そういうことでしょう、と。

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だから、太平洋戦争開戦時の指導層は愚かであり、明治日本の指導層は賢明であった。そのようには、小生自身はとても感じられないのだな。それは、銀行が不良債権処理に失敗して経営破綻した場合、その時の経営陣が愚かであり、それに比べて銀行を発展させた以前の経営陣が賢明であった。そうは言えないでしょ?同じことである。

もし<決められない日本人>という症状が、昭和戦前日本に認められ、現在の日本にも同じように認められるとすれば、同じ症状は、時代を限らず、常に日本人集団には認められる。これが客観的な見方ではないか。だとすれば、戦前と戦後の日本の制度は大きく変わっているのだから - ただ一つ、天皇制を除いては - 決められない日本人の原因は、日本の制度にあるわけではない。むしろ日本人が歴史的に形成してきた<和の精神>、<集団主義>。日本的価値規範にこそ求めるべきだ。

物事を決めない日本の指導層は、その時点その時点では<決断の時、いまだ熟さず>。一人ひとりの当事者は、そう思考しているはずである。善い指導者はそうあるべきだと思考しているはずだ。とすれば、決めないという行動特性は、日本文化に深く根を張ってしまっていると小生は見ている。だから、太平洋戦争開戦時の歴史的経過をいくら勉強して、これではいけないと意見を述べても、現実の問題解決にはほとんど無力であろうと考えている。

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