日本は先進資本主義国の中では、現在、断トツに高いのだが直近時点では韓国に逆転されている - 喜ぶべきことでは決してないが。日韓ともこの30年間、自殺率が一貫して上昇をたどってきているのが共通の特徴である。その歴史的フェイズは、ちょうど20世紀初頭のヨーロッパ社会と似通っているかもしれない。
さて不安と退廃のヨーロッパ社会においては、価値規範の崩壊が進んでいたが、それは結果として表現主義と呼ばれる行動につながっていた。前の日曜日はゴッホ、ゴーギャンらの後期印象派を話題にして、それはフランス表現主義であると記したのだが、日本の大正期「白樺」も、日本表現主義と呼ばれることはないものの、個人の内心の動機を優越させる点は互いに通底している。フランスのほうが少し先行しているが、大体、同時代のことなのだな。まったく日本とパラレルになっていたのがドイツ表現主義である。
小生の好みでカンディンスキーをよくとりあげるが、彼の根っこにはロシアがある。いかにもドイツを感じるなあというと、ドレスデンを拠点に活躍したブリュッケ派。その中でもキルヒナーを語らずにはいられない。
Kirchner、Street Berlin, 1913 (TheArtStory.orgより)
キルヒナーは、トーマス・マンの「魔の山」の主人公、また「トニオ・クレーゲル」を彷彿とさせるような青年である。第一次大戦で応召されたが神経を病み除隊となる。サナトリウムで療養を続け、ダボスに転地療養をかねて移るのだが、結局、台頭したナチス政権から「退廃芸術」との批判を浴びピストル自殺を遂げる。
Kirchner、Blick Auf Davos, 1924
どこか病んだ内面がそのまま絵の色彩になって表現されている。その時代の文化はやはり<不安と退廃>から出発しているところがあったのだろうなあと感じる。その不安は、誰でもなく先ずは<青年層>の不安であったわけだし、それが解決するべき社会的テーマであったのだ。
さて現在の日本は、依然として、自殺大国である。とはいえ、その自殺大国の地位は青年層が支えているのではない。
日本の高自殺率を支えているのは主として団塊の世代、つまり中高年である。男性に限るが日米比較グラフをつけておこう。後期高齢者の自殺率が高いのは日米共通の現象である。10代の自殺率はアメリカのほうが寧ろ高いくらいである。青年層では日米は概ね同レベルだ。そして最も大きな違いは、50代後半にさしかかる中高年の自殺率。その年齢層を過ぎると、日本は自殺率が逆に下がってしまうというのが、非常に特徴的である - この点については以前にも投稿したことがある。
明瞭なのは、日本の将来を背負う青年層に<不安と退廃>の心理が浸透しているようには、どうしても思えないことだ。惨めな心理、悲哀の心理、不幸の心理は、必ず自殺率というデータに現れてくるものだからだ。新しい文化の形成は中高年が担い手になることはない。もしも中高年が担い手になって新たな文化が形成されるなら、それは不安をモチーフにするはずだ。しかし、若い年齢層は不安と退廃の感覚を共有しているわけではない、少なくとも日本では。これからの日本で世紀末ヨーロッパに似た退廃芸術が広がるとは思われないのだな。
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