北朝鮮がロケットを発射したとの報道があったと思うと、今度は米国→自衛隊→防衛省→内閣→JAlert(=全国瞬時警報システム)という正規の経路に沿って、なぜ発射の事実と警戒警報が国民に告知されなかったのか?そんな疑問で、またまた野田政権は ― というより「政治家主導」を旗印としたまま無自覚的に官僚による操作下に置かれている(としか思えない)民主党政権の欠陥であろうと小生は見ているが ― 不信をかっている。これでは消費税率引き上げもままならないだろう。まあ昨年の大震災では、現に福島第一原発のメルトダウンが心配される中で文科省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」を隠ぺいした民主党である。「また、やったか!」と感じる人は多いと思われる。
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さて、学期が始まって時間がとられるようになると、中々まとまった本に目を通すことができない。とはいえ、全く異質と思われる人が特定の問題については意見を同じうしていることを知ると、物事の本筋が見えてくる。そんな思いは誰にでも経験があるのではあるまいか。
森嶋通夫という高名な経済学者がいた。既に先年、故人となってしまったが京大、阪大を経て英国ロンドン大学(LSE)で学者人生を全うした人である。同氏の著書は難解な数式に満ちており、読みこなすのは大変である。しかし岩波新書から出た「イギリスと日本」は、1970年代の当時、ベストセラーになったから覚えている人も多かろうと思う。続編も出ている。
同氏の書いた本に「なぜ日本は没落するか」があって、これまた非常に面白い。1999年に出版されているが、現在の日本が辿ってきた歩みを予言しているかのような叙述は、エバンジェリストたる森嶋の一面を如実に伝えている。この本の中で、氏は日本の高等教育の弱点を「教えすぎる」ところにあると指摘している。たとえば
まず10歳代後半の人々の能力を高めるために、高校での教え過ぎの科目数を大幅に削減することを提案したい。・・・要するに、日本の高等学校は、新制でも旧制でも教え過ぎで、出来るだけ多くの科目を広く浅く学ばせようとする。だから日本人は、学問とは知識を数多く集めることだと考え、集めて保存するために記憶能力を磨く。その結果、日本人は考えることを甘く見る。「なぜか」と尋ねることは、学校でも、家庭でも(投稿者追加:そして社会でも)決して歓迎されない。(注:134~135ページから引用)
あまりに広分野について、過大な知識を要求する面があるのは高校だけではなく、日本の大学も上の弊害に陥っていると小生は感じている。そして、最近10年間の日本の大学改革は、学力低下是正の名の下に4年間で専門教育を終えることができないという理由から、1年次から専門教育を始めることに力点を置いてきた。たとえば経済学部ならあらゆる経済学関係科目を入学直後から数多く修得することを学生に求めている。
森嶋通夫氏と同じ程度に宇沢弘文氏も大変高名な経済学者である。同氏の「日本の教育を考える」という著書がある。この本の134ページには1970年前後の東大紛争時、政治学者である丸山真男を中心にまとめられた東大改革提言が紹介されている。それについて宇沢氏は次のようにまとめている。
本郷は、学部ないしは学科ごとに独立して、それぞれ法学専門学校、経済学専門学校、医学専門学校などとして、その教師は教諭と呼ぶことにする。駒場は、東京大学とよび、四年生の「リベラル・アーツ」の大学とし、その教師は教授とよぶことにする。(注:134ページから引用)
そのリベラルアーツだが、こう述べている。
いずれにせよアカデミック・プログラムは決してきびしい(投稿者追加:厳しいという意味ではなく、過重ではないという意味)ものであってはならず、一人一人の学生ができるだけ、時間的にも、精神的にも余裕をもって、自由に四年間の大学生活をおくることができるようにすべきです。(注:219ページより引用)
森嶋氏も述べているが、知の形成は教師の指導による、というより何より同世代の友人と切磋琢磨、悪く言えば議論、口喧嘩などをしながら、高まって行くという点を強調している。高度の<専門的職業>につく人材は、地頭(ヂアタマ)を鍛える場がいるという指摘だ。
戦前の旧制システムでは、小学校(6年)・中学校(5年)を終えたあと、職業教育を担当する高等専門学校(3年)と高度のプロフェッショナルを養成する旧制高校(3年)・大学(3年)のコースに分かれていた。森嶋氏は、それでも欠点があったと旧制高校を批判しているが、職業教育志望の学生と、高度のプロフェッショナル志望の学生が、ごった煮状態になっている現在の大学よりは、役割分担がしっかりしていたことは確実であったろうと思われる。
宇沢氏が紹介している東大改革のための「丸山私案」は、アメリカのロースクール、ビジネススクール、メディカルスクールの役割とも相応している。やはりここでも、戦後日本の新制大学が「大学=頭脳をきたえる場」と「大学=職業技術を習得する場」という、かなり異質の達成目標を持たされてしまった、二つの異質な活動が混在している、そのことの反映を見てとれる。制度設計として混乱していたわけであって、そのために考える力が不十分で、教えたことしかできない<自称プロフェッショナル>が大量生産されていた。そこを問題として指摘したのであろうと小生は解釈した。
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森嶋氏、宇沢氏はお二人とも純粋アカデミック・ワールドの人たちである。しかし大前研一はそうではないと思う。大前氏はビジネスの現場に立つ側にいると見てもよい。その大前氏も全く同じことを言っている。前にも紹介したが「知の衰退からいかに脱出するか?」である。その第7章にはサブタイトル「先生が子供にものを教えること自体が時代錯誤」という節がある。その節を含む大きな括りとして、「考える力があって知識が足りない人間」と「考える力はないが知識を詰め込まれた人間」とでは、21世紀にどちらが有利かという問題提起がある。こんなことを書いている。
本来の先生の役割というのは、生徒の能力を判定することではない。指導要領に沿って右から左に教えることでもない。子供たちの持って生まれた潜在能力を引き出すことが仕事なのだ。しかし指導要領に従うだけの現在の先生には、そのようなスキル、能力はまったく備わっていない。かえって子供の個性や能力をスポイルするだけである。・・・「教える」="Teach”には、「答えがある」という前提がある。だから先に生まれた方が答えを知っているから、教えてやる ― これが"Teach"の意味するところだ。答えがあるものを"Teach"するのだから、裏返せば、答えがなければ"Teach"できないということになる。(注:324ページから引用)
Teachではよい学校ができない。生徒達が、自ら会得する(=Learnする)ことを助ける。更には、自分の得意技を見つけて開花する(=Enpowermentする)ように持っていく。これが一番大事だ、と。現に北欧は、この点に気がついて教育改革を完了し、学校の基本スタンスを変えて、成果を出してきている。ここを強調しているのだな。考えるよりも先に「答え」を覚えてきた日本のエリート層が、答えのない世界に直面すると、当惑し、思考停止になるのは自然な結果であると大前研一は現状を要約している。
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まあ、この位のことは普通の日本人であれば、薄々は気がついてきたのではなかろうか。だからこそ、<官僚不信>の社会心理が、決して一過性のものではなく、長期間持続しながら、多くの人の胸の中に広がってきているとも言える気がする。
ところが、たとえば毎日放映されているTVでは、無用の知識を競うクイズ番組が花盛りであり、そんな場で成果を出すことの得意な全国のエリート大学生、エリート高校生が出演したりする。年長のプロデューサーがそんな価値観に染まり切っているのであろう。<ゆとり教育は完全な失敗>であって、学校の生徒達には<怠けることなく勉強させる>ことが必要である、と。そんな見方が正しいと公認されているかのようだ。いま、1日を1単位とするのではなく、5年を1単位として、日本が歩んでいる道をざっくりと振り返ると、まさに上で引き合いに出したような大前・宇沢・森嶋各氏の指摘、つまり<考えるのが苦手な日本エリート層> が、ここでまた取り返すことのできない失敗を演じつつある。その自称ジャパニーズ・エリートによる失敗は、「やっちまった!」と言う風なものではなく、10年程度の長い時間をかけて進行する<国の成人病>のような、いわば<生活習慣病>を招くような、そんな惨状につながっていくような気がする。そういう心配というよりか、諦めにも似た気持ちが胸中に湧いてくるのである。
少なくとも言えることは、現に自分の子供を育てつつある人たちは、諦めてはいけないということだ。意味のある教育サービスを供給している国は日本だけではない。社会のエリート層が、社会の問題を自分の問題であるかのように真剣に考えている国は、日本以外にたくさんある。日本では手に入れることのできない教育サービスは、外国から輸入するしかない。あるいは教育事業として真似をするしかない。幸い、日本の個人が保有している金融資産は多額である。投資をするなら、国債は投資の意味がない。カネにこだわる世帯への年金給付に回るだけである。バカの一つ覚えのように安値でシェアばかりを取りたがる日本企業の株も期待薄だ。アメリカのNASDAQや香港株、上海株に投資するのは癪である。次世代の卵たちに、ヒトに対して投資をするべき時代ではないだろうか。この点ばかりは確かであると思うのだ。現世代の英断は、将来世代が歴史の中で称賛してくれるであろう。それが日本人の現在世代には最大の報酬ではないだろうか。
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