2012年4月15日日曜日

日曜日の話し(4/15)

昨日近くの書店でミシェル・カプラン「黄金のビザンティン帝国」を買って早速読んだのだが、確かに失われた帝国の興亡と運命に思いを馳せるきっかけにはなるが、気持ちは沈んでしまう。かつてはシリア、小アジア、ブルガリア、バルカン半島からベネチアにかけて領土が広がる大国であったかもしれないが、今はもうない国であり、その文化と伝統を継承した国も — ロシアが継承していると自ら言ってはいるが余りにも遠く離れている — ないに等しいからだ。使われていたギリシア語は、ソクラテスやプラトンがしゃべっていた古代アッティカ方言より、今のギリシア語に余程近いそうだが、当のギリシアは独仏に押さえこまれて財政緊縮中である。

そういう詳細な歴史はともかくとして、ビザンティンの歴史の中でイタリア人が登場する場面は実に多いのである。まずベネチアが出てくる。ベネチアという都市国家が、元はビザンティンの領土であったから当然でもあるし、ビザンティン即ち(東)ローマ帝国でもあったから、イタリアとは一衣帯水と言っても、当たり前である。イタリア・ルネサンスを遡っていくと、まずはビザンティンにたどり着くが、そこにも多くのイタリア人がいる。国が破れても人はいる。

ベネチアがビザンティンから独立したのは11世紀である。その都市国家の海軍が地中海に覇を唱えたのは13世紀から14世紀にかけてである。興隆のきっかけは<帝国政府>からベネチアに<金印勅書>が下されてベネチア商人に関税免除の特権が与えられたことである。そのため貿易取引においてベネチア商人は競争優位を獲得し、地元ビザンティン国内の貿易業者は市場を奪われることになった。イタリア商人が継承したのはビザンティン商人の顧客である。ベネチアが衰退するのは、国民が保守化し、主力の造船業が標準規格に安住し、技術革新という創造と破壊への動機を喪失したことによる。17世紀にはいるとオランダ、イギリスが新興のライバルとなり、競争に敗れ去っていったのである。現在のベネチアは経済覇権とは縁のない、枯れ果てた観光都市となって残っている。であれば、千年も続いたビザンティンという国には、持続への意志と理念があったはずであり、国家として侮れないわけでもある。

それはさておき、国家はゆっくりと成長し、ゆっくりと衰退することが分かる。成功したことによって形成された習慣や制度が安定し定着し伝統となり、正にそのことによって、衰退が始まるということを教えられる。その中で、文化や芸術はむしろ経済が衰退するまさにそのピークの時代において、成熟するのかもしれない。16世紀に盛期イタリア・ルネサンスを支えたのはベネチアである。


Tiziano, Venus of Urbino, 1538

上の「ウルビノのビーナス」は美術の教科書にも出てくる名作だが、ヌード(Nude)と裸(Naked)とはどう違うのか?上の歴史的名作と称される絵を観ていると、その問いを思い出すのだな。

「ヌード」とは、古代ギリシア人が創始した美の哲学であると言われている。それは人間の裸を表現したのではなく、人間のありのままの姿に宿る神性を表現しているそうだ。作品は写実であると同時に、人間を超えた理想、つまり神でもあったのだな。はるか後の19世紀、上の作品へのオマージュとしてマネがオランピアを発表した時、これは単なる裸ではないかと酷評され、大騒ぎになったことがある。その時、マネは裸を描いたわけではなく、美の表現をした点において、マネは確かにルネサンス以来の古典主義を破壊して見せたわけだ。マネは印象派の一人には数えられていないが、強烈な破壊者であった点は専門家の間で意見がまとまっているようだ。


Manet、Olympia、1863年
Source: WebMuseum

ベネチアは経済大国として200年の間、ビザンティン帝国衰退後の欧州において、覇を唱えたが、今でも残っているのはその当時にため込んだ金ではなく、金を使って作った建築物と芸術作品である。貯めた金をどう使うかで、その国が歴史にどう残るかが決まる。使うときの感性に国民のレベルが反映される。エジプトのピラミッドは、失業対策として実行されたということだが、無用の長物も今では観光資源となって古代エジプトの壮大なスケールを思うよすがとなっている。


Tiziano, Assumption of the Virgin, 1518

とはいえ、ティッツアーノは文句なしに美しい。日本もこうありたいものだ、と。はるかに貧しく、不平等度も高く、国力も弱かった時代に創った様々の歴史的遺産が日本には残っている。そうした先祖の遺産を「世界遺産」に登録したいとも考えているようだ。いま生きている日本人は、忙しく仕事をこなしているのだが、だから一つの国として記憶に残り、歴史に残っていくとはどうしても思えないのだ、な。一体、<戦後日本>は何を残すつもりなのだろう。

貯めた金は、ドル安と高額年金で雲散霧消するであろう。結局、ゼロになるのではないかな?結局、現代日本人は、丸ごと<失われた世代>になるのではないかな?生きている私たち同士で<失われた世代>と呼び合っていたなどと知られたら、それこそ「こんな世代も生きてたぞ」と笑い話のタネにされてしまうだろう。

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