キーフレーズは「なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すのか?」。具体的には、<情報の隠蔽>、<リスク管理の甘さ>、そして<ずさんな戦略>、<イノベーションの欠如>、更に<空気の支配>、<リーダーシップの欠如>が項目としては並んでいるから、大体、読む前からどんなことが書かれているかは察しがつく。
すぐに思うのです、ね。こういうことを書くのであれば、
組織は戦略に従う(チャンドラー)
これを連想しないといかんのではないか、と。というか、この点が分かっていれば、上の失敗の本質は言い尽くされてしまうのではないか。
余りにも有名な上の一句の前後を順に解釈すれば、基本戦略がなければ組織戦略もないということになる。組織戦略がなければ、組織能力は形成されず、従ってリーダーシップなどは最初からあるはずがない、という理屈になる。リーダーシップがないから烏合の衆となり、全員の何となくの気持ち、つまり「空気」が支配して、同じ方向に歩んでいくという因果関係になる。
上の一句の前後を逆に解釈すると、組織改革を拒否するが故に基本戦略そのものを議論しない、と。こういう逆の因果関係もある。つまり、一度、烏合の衆の「空気」が支配すると<和>を乱すリーダーはいないほうがいい。だから戦略は不必要になる。戦略はリーダーがリーダーであるためにこそ必要なものだからだ。それ故、基本戦略は構想しないということになる。もし基本戦略を議論すると、何を選択するにせよリスクを考えざるを得なくなり、組織は安泰でなくなる。情報が集まれば集まる程、戦略の中身が固まって来て、組織改革の方向が定まってくる。そうなると幸運組と不運組が明らかになる。それまで形成されていた<和>を維持することが難しくなる。それは空気を乱す行為になる。空気を乱すという行為に「多くのものの痛みが分からないのか?」という<大義名分論>がくっついてくると、「それは止めろ」という結論になる。こうなると日本国で議論に勝利するのは難しくなる。「日本国の役に立っているのか?」、この当たり前の議論が通らなくなる。
だから、小生は繰り返して書いている。大日本帝国憲法では天皇が神聖であり、日本国憲法では国民、人民が神聖であるのだ、と。上下は逆転しているが、なにか神聖なものを崇拝するという点では思考の回路は同じである。崇拝から出発しているが故に、何よりも<和>が大事になるのだ、と。生きている一人一人の<幸福>よりも、<和>がもっと大事であるのが日本という国家ではないか、と。
このように、上の一句を拳拳服膺するだけで、今回新刊された「失敗の本質」には超入門できるような気がして来た。まずは立ち読みしてから買うかどうかを決めても遅くはないような気がして来た。
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