2012年8月29日水曜日

覚書き ― 戦争責任に関する個人的意見

既に旧聞に属するが、韓国大統領による天皇謝罪言及への日本側の反発が韓国の予想を超えるものであったのだろう、今度はなぜ日本がそれ程にまで反発するのかという疑問が生じたようだ。そこから、日本人と天皇制、ひいては昭和天皇の戦争責任にまで話が広がってきた。

小生は歴史家ではないので、本ブログで<戦争責任>という入り組んだテーマについて、深く掘り下げた論述を行うつもりはない。

しかし、ブログはノートに書き散らした物とは違って、ずっと後になってからでも読み易い形で残るものだ。良い機会だから、小生自身は<戦争責任>なるものについて、どんな考え方をしているか、未整理のまま簡単に記しておきたい。どんな立場に立っていたかを知る材料になれば、それで十分である。

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第一次世界大戦で敗北したドイツとオーストリアでは、皇帝が亡命をするか退位をして、帝国全体が崩壊した。それより先に、ロシア帝国は東部戦線で大敗する中で、1917年には革命が起こりロマノフ王朝が終焉を迎えている。皇帝一家は生存すら許されなかった。トルコ帝国も同様に消滅した。その40年前には、第二帝政下のフランスが普仏戦争でプロシアと戦い敗北し、帝政から第3共和制に移行している。第2次大戦でも敗戦国のドイツ、イタリアでは、戦前の統治体制が根こそぎ一掃されている。日本の戦後もそうした多数例を参照基準にするべきだと思う。

明治憲法下の天皇の役割など詳細な議論はここではおき、陸海軍の統帥権を把握していた昭和天皇が皇位に留まり続け、昭和時代が結果として64年間も続いたことは、そうすることが必要な理由があったにせよ、やはり日本人全体から<戦争責任>を引き受ける覚悟を奪う、というと誤りかもしれないが、少なくともそれを非常に薄弱なものとした。もっと言えば、戦争を歴史の中で批判的に掘り下げる国内の議論をやりづらくしたとは言えるのじゃないか。小生はそう思ってきた。

たとえば靖国神社にA級戦犯が合祀されている。それが中国、韓国から批判されることも多い。生前の罪は救済されると日本人の多くは考えるが、儒学的観点にたてば罪は死後も消えない。同じ敗戦国であるドイツと比較して、日本の戦争責任追及努力は十分なのかどうか、これまた入り組んだトピックであり、一概に日本はドイツに比べて悔悟の念 − 賠償の事ではない、念のため − が不十分であるとは言えないと思うが、ただ一点、日本は<戦犯>を自らが裁き、処刑するという内部努力を免れてきている。というか、その痛みを回避したと言われても仕方のない側面はある。

軍事裁判の判決を受け入れた点は、日本とドイツで同じだが、自国による<血で血を洗う>ような浄化の努力は(置かれている国際環境も違っていたが)日本とドイツとで違っている。その基本的背景として、やはり戦後も天皇が国民統合の象徴であり続け、同じ昭和天皇がずっと在位していたことが、ある種の<免罪の象徴>として機能し続けてきた。そういう見方が、どうしてもあると思うのだ、な。ドイツにはそれがなかった。今に至ってもなお未提出の宿題を督促されるかのような<錯覚>、そうでないなら<居心地の悪さ>が、何かの拍子でドスンと響くように感じるのは、歴史の歩みの中で、忘れていることがあるからではないのか。一人の人間でも80年は生きる。国家の歩みならば、100年、200年の過去は昨日、一昨日と同じである。忘れているなら、思い出すべきだ。小生はそう思う。

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いま皇位継承をめぐって女性宮家を創設する方向で話が進み、内親王の称号を与えられるのは今上天皇の直系女子に限定される方向だと憶測されている。上の戦争責任との関連で議論する向きはほとんどないと伝えられている ― 仮に議論されているとしても一般報道には絶対に出てはこないだろう。思うのだが、歴史的にも採用したことが一度もない「女性宮家」までを創設し、そこまでして明治・大正・昭和と続いてきた直系を正統として守らなければならないのだろうか?守らなくとも天皇制は維持できる。

こんな発想をするのは古いと言われれば古いのだが、男子に恵まれず、ついに今の系統が(万が一)絶えることになれば、それはそれで歴史の流れの中で下された<天意>というものではないだろうか?その時には、敗戦後に廃止された伏見宮系統の皇統が皇族に復帰して、新たに正統として皇位を継いでいけば、よいのではないだろうか?明治・大正・昭和と続く、現在の皇統が聖なるものとして、採用したことがない方策をとってまで直系に執着するには、「永遠に刻むに値するような歴史的歩みだったのだろうか?」というか、国民が心からそう願うための倫理的な根拠が薄弱ではないのか。小生、そう思うのだな。ずばり<国を誤ったではないですか>、実際、それが戦後日本の基本的姿勢だと思うのだが。なのに・・・という意味である。

日本の文化遺産の多くは、天皇と朝廷を舞台にした王朝文化である面が大きいのだが、天皇は国家と一体化してきたが故に、政治の荒波から無縁ではありえない。1945年以後10年ほどの間に ― なるほど日本人の多くは食べていくにも大変であったとは思うが ― 道義の観点からとるべき行動で、何か日本人がし忘れた行動が、あるいは幾つかあったのかもしれない。それは後世代である私たちがもう一度真剣に考えてもいいのかもしれない。ま、これが小生の個人的な意見だ。

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