白小菊、水彩
どうも花を描くと、小生の場合、仏壇を飾る花のような雰囲気が出てしまう。しかし、師匠の手本を模写する画業を続けるより、自分の思う通りに描くのがハッピーではないかとは思う。なので、いまのようなペースで制作していきたいとは思っていて、統計分析や経済分析に関わる仕事はそろそろ店じまいして、絵とガーデニングをメインにして次の人生の一区切りを歩いていきたいと思っている。
しかし、いくら美術でも独善はいけない。「自分にはこれが美しい」と思うのは、その人の自由だが、本当にそれが美しいのかどうか、他の人の目に触れなければ単なる独りよがりだ。科学的発見も自分以外の誰か他人が再確認してはじめて真理になる。美も善も同じだ。他の人の同意や共感を得て、はじめて思い込みではなく、新しい美や善の形が見いだされたことになる。見いだされたものが究極的な価値の本質をついていれば、より多数の人がそれを認め、それまで存在しなかった新しい形式が社会全体に浸透し、定着する。こんな風に進歩していくのが、文化というもので、逆戻りのない本当の進歩というものだろう。そう考えているのだ、な。
統計学や経済学が求めているものは<真理>だ。絵を描く行為は<美>を求めている。経営やビジネスで求めているものは、真理や美、善という窮極的価値を実現するために不可欠な物的な基盤である。では、政治が求めているものは何だろうか?政治的理念などというものは<理念>の名に値するのか?ビジネスでは達成できないものを政治は求めているとしか言えないだろう。
少なくとも言えることは、政治家の個人的信条、政党の政治的理念は、それだけでは何の価値もないということだろう。それは科学的真理、芸術的な美と同じロジックである。
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